糞尿を上手く処理してこそ環境問題は解決する+ tumblr.(タンブラー)(随想録―16)
糞尿を上手く処理してこそ環境問題は解決する+ tumblr.(タンブラー)(随想録―16)
以前、乗馬を趣味とする友人から聞いたことだが、乗馬クラブの人が馬を御していたところ、広い農地で、馬が糞をしたというのだ。それで、この農地の持ち主が激怒したという。ともかく”汚いもの“を置いていくな、と立腹したわけ。おいおい、肥やしになるのではないか!?
こんな持ち主のような感性では、とてもじゃないが環境問題は解決できない。糞尿は汚いもの、と遠ざけようとしたのが、近代の西欧社会だ。汚物は窓から公道に捨てていたのが、流して川のそばで下水処理場を作ることになった。でも、実際、この下水道は、今に至っても、環境問題解決には逆行している。私が東京大学工学部・都市工学科に進学した際、都市計画コースに進んだ同期生が、「親には、(うんこ、おしっこを扱う)衛生コースには進まないでくれ、と泣いて頼まれた」と語っていた。専門が近くてもこの違いだ。
汚くても、糞尿はリサイクルに乗せるべき重要な資材だ。でも現在の生成物:活性汚泥は、工場の廃液も処理するため、重金属など、有害物質も含むので、農地還元はできない(廃棄)。そういった不純物が入らなければ良いのだが。そして作物を収穫して、土から栄養分がなくなると、鉱物肥料や化学肥料を与えることになるが、これらの貴重な肥料は、いずれ人の体を通り、糞尿になる。これも捨てることになるのだから、いかに人類は資源の無駄使いをしているか解る。「資源投入→資源廃棄→資源採掘→資源投入」の悪循環だ。江戸時代の「肥溜め」といった発想がゆかしく覚える。江戸時代の日本の資源リサイクル率はほぼ100%だった。同時期、ヨーロッパのロンドンとかパリなどの大都市では、糞尿を街路に捨てていた。(いまでも、糞尿を汚泥に変えるだけのことで、捨てているのは同じだ。)
糞尿問題に比べると、「食品ロス」というのは、贅沢な問題である。食糧が余っているから、食品ロスも起こるわけだが、糞尿問題は、人類の生きる根幹により深く係わるものである。
(2022.04.03)
tumblr.(タンブラー)を一か月やってみた。
タンブラーは、アメリカに本拠を置く、ブログとSNSの合いの子のような性質を持ったメディア。利用者数1億人。私はここ1年半ほど、「虚虚実実――ウルトラバイバル」から厳選した記事を英文化した「Diamond cut Diamond—Ultra-Vival」をはてなブログの英語版で連載したが、閲覧は少数に留まった。最近はすこしづつグーグル経由の(つまりは英語圏のひとたちの)アクセスもあるが、微々たるもの。そこで初めから英語を使う人々宛てに発信しようと、タンブラーを始めてみたわけだ。
私がいつまでタンブラーを続けるかは解らないが、ひとつ面白い事実を発見した。それは「黒人女性」の投稿が目立つこと。いろいろな黒人女性たちだが、セクシャルな記事と写真、考え抜いて書かれた文章など、多様で目立つ。そして、彼女らは美しい。いろんな意味で。
思うに、白人⇔黒人、男性⇔女性の比較をすると、黒人は、白人に劣ったものとされ、女性は、男性に劣ったものだとされる差別が厳然とあるとすれば、この4分類では黒人女性が「もっとも劣ったもの」だとされるだろう。彼女らにとってはフザケルンジャない、といった事態だが、賢明な性質の黒人女性たちは、振るって記事を上げるのだろうな。応援したくなるね。なお、1か月タンブラーをやって、1人フォロワーがついた。一人もなってくれなかったら、どうしよう、と思っていたのだが。まずは良かった。
(2022.04.14)
今日の詩
@「あれか、これか」と「あれも、これも」:ソネット
『あれか、これか』は、デンマークの哲学者
キルケゴールの著作だが、
このような態度で私は生きてきた。
数学を捨て、フランス語を捨て、マンガを捨て・・・
それが人生への敬意だと思ってきた。
でも、「あれも、これも」という立場もあることに
ここ数年で気づいた。
ブログに自作のイラストを掲載できること――
これは私の財産だと言ってもよい。
もちろん、両方の立場が揃ってこその人生だ。
でも私はブログ友達について交際の基準が厳しい。
これについては「あれか、これか」なのだ。
だからブログに訪問してくれる人は少なくなる。
まあ、自業自得と言ったところか。
(2022.04.15)
今日の5句
サクラ散り
あとは任せと
ハナミズキ
(2022.04.15)
並木道
落ち葉の掃除
だれもせず
常緑樹は一年通して落葉するような。
(2022.04.16)
この荒地
三年前は
畑(はた)だった
一度耕作放棄をすると、再び農地にするのは難しい?
(2022.04.16)
庚申(こうしん)の
夜っぴき遊ぶ
磊落さ
むかしの信仰で、庚申というものがあり、庚申の日は体に住む虫が、体から抜け出し、本人の悪事を神に報告するので、そうならならないよう、宴会をして夜明けまで遊ぶ、という粋な習慣でした。庚申塔はそのシンボル。
(2022.04.17)
こんなにも
近くに在るや
銀河たち
(2022.04.17)