私の師(師の中の師):「師」とは「先生」のこと。(随想録―24)
環境問題を専攻した私には、師と呼べる人たちが多くいた。真っ先には、宇井純さん(助手)、卒論指導教官だった中西準子(助手)さんが思い出されるし、都市工学の秘奥を教えて下さり、また、私の卒論審査の際、不当にも、あやうく不可にされそうになった際、弁護してくださった森村道美助教授には、巨大な恩義を受けた。
でも、よく考えてみると、私の自主講座の同僚だった男にも、極めて大きな恩義を受けたことを思いだした。彼(K)は、アイディアマンで、実務は苦手だったが、当時の私はアイディアの浮かべ方も知らず、実務を分担することで彼と二人三脚をしていた。
テーマは宇井純さんと同じ「水問題」だったので、宇井さんは、自分の言うように行動しろ、と迫る。ここでKは、そうならないようなアイディアを以って、私たちが宇井さんの操り人形団とならないようにした。例を挙げれば、宇井さんは彼の糞尿処理も含めた汚水処理技術の下働きを我々にさせたかったのだが、その汚水処理についても、Kは「糞尿を薄めて処理し、それをまた固形物にするなんて、エネルギーの無駄でしょう」と言う。これには宇井さんですら、反論できなかった。等々。
運動体自体としても、宇井さんの人脈を辿って公開講座を開くのではなく、Kは関西に出向いて、大阪、京都などの運動のキー・パーソンたちと知り合いになって、東京大学での自主講座で講師に呼ぶ、など、極めてクリエイティブだった。これらの活動は、Kならではだった。私にとっては、「貴重な授業」であったと言えよう。
ただ私は、実務をやろうとしないKにはしびれをきらし、袂を分かった。その数年後、失恋の痛手か、将来への絶望か、Kは自殺した。私は自主講座の2人から、葬儀に出るように哀願されたが、「自殺なんかする奴の葬儀には出ない」と列席を断った。そのとき、私は群馬県の山の中で暮しはじめていて、私なりに大事な仕事があったからでもあるが、それは本心だった。
実力的に、大学者になれる器だったのは確かだ。反面、精神的な弱さも抱えていたのだが、それにしても、今思うと、同い年のKは、私にとって、「得難き師」「師の中の師」であったとも言えよう。それは、今の今まで、考えたこともなかったが、Kとのあれこれを思いだすと、そう言って、的外れではないと思慮される。
(2022.03.24)
今日の5句
コンクリート舗道の上で(3句)
毒を持つ
アカメガシワで
餅包み
この木はトウダイグサ科で、有毒だが、その殺菌力を買われて餅を包むのかも知れない。
まだ苗木。
(2022.05.12)
一重咲き
白い野ばらの
精一杯
清楚な美しさを感じる。
(2022.05.12)
この亀裂
麒麟の模様だと
学者言い
物理学者の寺田寅彦は、田の土が乾燥するとき出来る模様が、キリンの模様と同じ原理で出来ていると考えました。
(2022.05.14)
ヘビイチゴ
かも知れぬけど
可愛らし
ハーブに、ワイルド・ストロベリーというのがありますが。なお、ヘビイチゴは味がないとともに無毒です。
(2022.05.14)
水戻り
復活するか
田螺(タニシ)たち
(2022.05.14)