虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

ユダヤの総督 (アナトール・フランス著)和訳:(2)承

ユダヤの総督 (アナトール・フランス著)和訳:(2)承


アナトール・フランスの逸話:彼はあるとき、フランス中世の文豪:ラブレエについての連続講演をしましたが、日一日聴衆が減っていき、最後にはだれも来なくなりました。でも彼は腐らず最後まで虚空に向かって講演を行い切り、堂々と引き上げていきました。(原稿起こしをしていたなら、是非読みたいものです。非凡な講演だったと思うからです。)


この翻訳は、私が大学2年目に、フランス語を始めて、4か月後に行ったものです。著者のアナトール・フランス(1844-1924)には、キリスト教の虚妄を鋭く突く作品群に光るものがあり、ローマ法王庁は、つい近年まで、彼の著作を禁書扱いしていました。


彼は幼いころから、盛んに「懺悔(ざんげ)しろ、懺悔しろ」と言われ、でも彼には懺悔する覚えはありませんでした。素直な彼は悩んだ末、こう悟ります:「悪いことをすれば良いんだ。」


今回の小品「ユダヤの総督」は、アナトール・フランスの真骨頂の一つで、ここに登場するポンティウス・ピラトは、イエス・キリストを十字架の刑に処した人です。後世ではイエスを殺したことを、大いに悔やんだ、とされていますが、実際はどうなのか?という発想で書かれたものです。「総督は、地方の領土を統括するのを任された職、政治・軍事・法において大権を握る。」(ピクシブ百科事典)。「ユダヤの太守」とも訳します。4回、起承転結の形でアップします。今回は「承」。更新は私の通常のペース:6日に一辺ではなく、5日に一辺にします。お爺さん同士の会話で話が進行しますが、よろしくおつき合いくださいませ。


f:id:iirei:20200330052326j:plain


アナトール・フランス(wiki)


@@@@@@@@@@@@@@@@@@


ポンティウス・ピラトは悲しげに頭を振った。
「もっともな気遣いだね。そう、一種の義務感が、勤勉のみならず愛情をもっての、公務の遂行に私を導いたのだ。しかし嫌悪が休みなく私を追い立てたのだ。陰謀と中傷、生気に満ちた私の生命を破壊し、(その生命が)成熟させるべき果実を枯らしてしまった。サマリアの反乱について質問があったな。まあ、ここに座ろうじゃないか。手短かに答えよう。あの出来事は、いまだにはっきりと覚えている。――


平民のある男、シリアにおいてはよく見かけるように、口の達者な奴だったが、そいつがサマリア人に、武装して、ガズィム山に(そこは聖なる場所として通っていたが)結集しろと説いたのだ。そして奴は、古代、我々の祖先の時代、彼らの土地の名づけ主、つまりモーゼという名の国家守護神が隠したとされる聖器を彼らに見せてやる、と約束したのだ。
こう保障されて、サマリア人は蜂起したのだ。だが、私は機先を制した。歩兵を派遣し山を領し、奴らの接近を監視するため騎兵を置いた。この周到な策も急を要したものだった。反乱軍は、既にティラサバの要塞を取り囲み、ガズィムの間近に迫っていたのだ。
私は易々と奴らを蹴散らし、反乱軍を鎮圧した。それから、最少の犠牲で最大の見せしめを示すために、私は反乱の首領を刑に処したのだ。


しかしだ、ラミア、君も知っての通りだが、あの狭い属国で、総督のビテリウスが私に噛みついてきたのだ。奴はシリアを治め、ローマに味方するというより敵対し、帝国の諸州も属国と同様に税を負担すべきだと考えていた。サマリア人の首領たちが、私を憎んで泣きながら、奴にひざまずいたのだ。奴らの言い分を聞いて、奴の頭の中で、「帝国への服従」ということほど隅っこに追いやられたものはなかった。
私は挑発者だった。そして奴らがティラサバのまわりに集まったのは、私の暴力に反抗するためだった!!ビテリウスは奴らの訴えを聞き届け、友人のマルセラスに、このユダヤの事件を知らせ、私に、帝国の前で申し開きをするよう命じてきた。・・・苦痛やら心残りで灰色の心のまま、私は海に向けて出発した。


 私がイタリアの海岸に着いたとき、皇帝のチベールは、老齢と帝国疲れのため、(ここから、その突端が夜霧の中を延びているのが見える)ミゼーヌ岬で、突然没したのさ。そこで私は後嗣であるカイウスに、断を下してくれと要求した。彼は当然のことながら、活発な精神を持ち、シリアの事件も知っていた。しかし、ついてないときはそんなもんだ。笑ってくれ、ラミア――当時カイウスは、ローマ市内、彼のそばに、ユダヤ人のアグリッパ・・・彼の仲間、幼児の頃からの友、目の中に入れてもなんとやらのアグリッパを侍らせていた。さて、アグリッパはビテリウスを支持した、というのは、ビテリウスは、アグリッパと同様に、ヘロデを憎んでいたから。皇帝は、親愛なるアシスタントの感情に従い、私の言い分をはねつけた。彼は私に、場違いな不名誉に甘んじることを強いたのだ。涙を飲み、私はシチリアの領地に引きこもったのだ。


もし、優しいポンティアが父を慰めに来てくれなかったら、苦痛のために死んでいたことだろうよ。私は小麦を栽培し、その地方で最も大きな作を持つようになった。今では私の一生は完成された。ビテリウスと私のいずれが正しいかは、いずれわかるだろう。
「ポンティウスよ、君は自分の信じるところに従ってサマリア人に対し、ただローマのためにのみ、行動したと信じているぞ。しかし、その状況の中で、君は、これまでいつでも持っていた烈しい勇気を発揮しなかったのか?君も知っての通り、ユダヤでは私は君より若かったが、もっと熱心でなければならなかった時、私はしばしば君に寛大さや柔和さについてアドバイスしたことがあった。」
ユダヤ人に対する優しさ!」ピラトは叫んだ。
「奴らのところで生まれたとはいえ、君とて、あの人類の敵をよく思ってはいまい。そろいもそろって野蛮・下品であり、笑うべき臆病者でありながら、無敵の頑固者であり、奴らにとっては愛も憎しみも同じことだ。私の精神は、神のごときアウグストスのお言葉に基づいて形作られている。私がユダヤ総督になったときには既に、ローマによる平和が台地を覆っていたのだからな。今では、我々ローマ市民の仲たがいのため、属州の財政を豊かにするプロコンスルは見いだせぬ。私は自分の義務を知っていた、知恵や節度の適度な用い方のみに心を配った。それは神々も証明してくれよう。
 私は優しさにだけ固執した。(他はともかく、優しさだけは失うまいとした。)どれだけこのような好意に満ちた考えが役立ったか?


 私が統治をはじめた当初に、最初の反乱が起こったとき、私がどうしたか、ラミア、見ただろう?当時の状況を思い出してもらう必要があろうかな?セザレの守備隊は、イェルサレムで冬営しようとしていた。軍人たちはカエサルの遺像を旗印にしていた。この光景が皇帝の神性をまったく知らぬイェルサレムの人々を怒らせた。もし、従う必要があるのなら、神に従うよりは人に従うことが名誉なことだったのか?ユダヤ中の坊主が、私の法廷の前に、「聖なる都にカエサルの肖像を持ってきた」ことに対しての昂ぶった侮りと共に、私に嘆願するためにやってきた。
 私はカエサルの神性と、帝国の偉大さのために拒絶した。坊主どもと親しい民衆は法廷のまわりで、脅しと言っても良いような「嘆願」をやらかした。私は兵士たちに、アントニア塔の前で結集し、リクトゥールのように鞭を以て、この無礼な民衆を蹴散らすように命じた。しかし、この実力行使も苦にせず、ユダヤ人どもは私に再び嘆願しはじめた。もっとも頑固な奴らになると、地面に横たわり、喉を絞めて自害し、鞭の下で死んだほどだ。ラミア、その時の私の屈辱といったら、君も証人になってくれるだろう。


ビテリウスの命により、旗はセザレに戻さねばならなくなった。確かに、この屈辱は私にとって不条理なものだった。不滅の神々に誓って、私は一度だって統治中、公正さも、法の順守も欠いたことはないのだ。しかし、私は老いた――私の敵も、密告者も死んだ。私は仕返しもせずに死ぬことだろう。誰が、私の記憶を保持してくれよう?ピラトはうめき、そして口をつぐんだ。ラミアは答えた:
「不確かな未来には、恐れも期待も持たぬが賢いことだ。後世が我々のことをどう考えようと、それが何だというのだ。我々の証人とか裁判官になりうるのは、我々自身を措いて他にはないではないか。ポンティウス・ピラトよ、君は勇気があった、という証拠が確かにあるのだから、自信を持ち、君が自身を正当に評価し、また君の友人が君を正当に評価していることに、満足することだ。それに、優しさだけでは人々を支配できない。哲学者が奨める、このような人間愛は、実際の大衆の行動では、あまり大きな位置を占めないものなのさ。


「そうしよう。・・・フレグレアン平野に立ち上る、硫黄の蒸気は、太陽の光によって再び熱せられて地面を離れるとき、より一層力強くなる。急がねば、さらばだ。だが、折角旧友に会ったのだから、この幸運を役立てたいものだ。エリウス・ラミアよ、明日の夕食は、私と共にしないか?私の家は海岸にあり、それは町でも最も優れたところだが、ミゼーヌの近くなのだ。虎やライオンに囲まれ、彼らをその妙なる竪琴で魅了しているオルフェウスの絵が描いてある門を、容易に見つけられるだろう。
「ラミア、では明日。」ピラトはカゴの中に入りながら言った。
「明日は、ユダヤ人について話そうではないか。」


(次回:「転」に続く)



f:id:iirei:20200330052449j:plain

翻訳ノート2




神々は渇く (岩波文庫 赤 543-3)

神々は渇く (岩波文庫 赤 543-3)

ペンギンの島 (白水Uブックス)

ペンギンの島 (白水Uブックス)





今日の一品


@切干大根の炒め煮


f:id:iirei:20200330052551j:plain


定番料理。大根をごま油で炒め、砂糖、醤油を投入、クコの実、油を抜いた油揚げを入れました。

 (2020.03.25)



@高野豆腐の含め煮


f:id:iirei:20200330052657j:plain


高野豆腐、どんなタレをしみこませるかが味の分岐点ですが、今回は「青じそ」(理研)を使いました。鍋に水を張り、タレをその4分の1ほど加え、沸騰させて、吸水させて絞った高野豆腐を投入、3、4分加熱しました。

 (2020.03.25)



@カキナの油炒め


f:id:iirei:20200330052750j:plain


栃木県、群馬県にまたがって収穫されるアブラナ科の野菜。今日はごま油で炒めものにしました。一口大に切りそろえたカキナを炒め、最後に昆布汁(ヤマサ製)で味付け。太目の茎も柔らかく、美味でした。

 (2020.03.27)





今日の四句



灼熱の
炎の如き
芍薬(しゃくやく)よ


f:id:iirei:20200330052854j:plain


もう芽生えてきました。

 (2020.03.25)



森の中
走るがごとき
電車かな


f:id:iirei:20200330052951j:plain


はい、錯覚です。

 (2020.03.25)



花の穂を
つまんで食べる
ほろにがさ


f:id:iirei:20200330053042j:plain


アブラナの黄色い花が咲く寸前のつぼみは、散歩がてらつまんで食べると美味しいのです。

 (2020.03.28)



天の川
水路を隔て
猫二頭


f:id:iirei:20200330053145j:plain


 熱愛中?

 (2020.03.28)

ユダヤの総督 (アナトール・フランス著)和訳:(1)起

ユダヤの総督 (アナトール・フランス著)和訳:(1)起


この翻訳は、私が大学2年目に、フランス語を始めて、4か月後に行ったものです。著者のアナトール・フランス(1844-1924)には、キリスト教の虚妄を鋭く突く作品群に光るものがあり、ローマ法王庁は、つい近年まで、彼の著作を禁書扱いしていました。


彼は幼いころから、盛んに「懺悔(ざんげ)しろ、懺悔しろ」と言われ、でも彼には懺悔する覚えはありませんでした。素直な彼は悩んだ末、こう悟ります:「悪いことをすれば良いんだ。」


今回の小品「ユダヤの総督」は、アナトール・フランスの真骨頂の一つで、ここに登場するポンティウス・ピラトは、イエス・キリストを十字架の刑に処した人です。後世ではイエスを殺したことを、大いに悔やんだ、とされていますが、実際はどうなのか?という発想で書かれたものです。「総督は、地方の領土を統括するのを任された職、政治・軍事・法において大権を握る。」(ピクシブ百科事典)。「ユダヤの太守」とも訳します。4回、起承転結の形でアップします。今回は「起」。更新は私の通常のペース:6日に一辺ではなく、5日に一辺にします。お爺さん同士の会話で話が進行しますが、よろしくおつき合いくださいませ。


なお、原稿は、長年ゆくえ不明でしたが、弟が持っていた資料から見つかりました。もう無くなっていたと思っていましたので、ラッキーでした。むかし弟に預けたのだったと思います。弟は律儀でしたね。



f:id:iirei:20200325042505j:plain

アナトール・フランス(wiki)


@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@


エリウス・ラミアは、名だたる両親から、イタリアで生をうけた。彼がアテネの学校に哲学を学びに行ったとき、まだ成人していなかった。それから、ローマに住み、エスキリアにおいて、若い時には当然のことだが、色と酒に溺れた生活を送った。しかし、あらんことか、前・コンスルの、スルピシウス・キリユスの情婦である、レピダと色恋沙汰を起こし、有罪にされ、皇帝:チベリウス・カエサルによって追放されてしまった。


彼はそのとき、24歳になっていた。追放の憂き目を見た19年間、彼は、シリア、パレスティナ、カパドス、アルメニアを遍歴し、アンティオキア、セザレ、イェルサレムに長く滞在した。チベリウスの死後、カイウスが皇帝に選ばれ、ラミアは、ローマに戻ることができた。財産も、少しは回復できた。


しかし、彼の苦労は、彼を世間嫌いにしていた。彼は、自由な身の上の女とは交渉せず、公職も求めず、名誉からは遠く身を持し、エスキリアの家に隠れ住んだ。はるかな旅で彼が見た、特記さるべきことを書き下しながら、彼は言ったものである:私は、あの過ぎ去った苦難の中で、今という時を楽しむことを知った、と。


彼が、少し驚くべき、しかも少し残念なことに、年の割に老成してしまったのは、このような平穏な仕事をやり、エピキュロスの著を熱心に追究したからである。62歳のとき、たちの悪い風邪をひき、ナポリへ鉱水を飲みに行った。波静かなこの海岸地方は、当時裕福で、快楽主義者のローマ人が、よく訪れたものだ。もう、一週間も、まわりのきらびやかな人たちを尻目に、一人、たった一人で暮らしている。


そんなある日の昼食後、気分爽快になった彼は、丘に登る気になった――バッカスの園のごとく、ブドウに覆われ、海を一望できる丘に。頂上を極めてから、テレピンの木陰、小径のヘリに座り、この美しい風景を思う存分、頬張った。そして、彼の目は、美しい風景をあちこち見やった。左手には、クーメの遺跡あたりまで、フレグレアン平野が、蒼白く、生々しくひろがり、右手には、ミセーヌ岬がその鋭い裾を、チレニア海にすべりこますのが見え、足元には、西側に、海岸の美しいカーブに沿い、肥沃なナポリが、その庭園、彫刻で満たされた別荘、柱廊、大理石のテラスを、イルカたちがたわむれる蒼い海の行きつくところに、惜しげもなく披露していた。目の前には、入り江の向こう側、カンパニアの丘の上、既に傾いた太陽に染められ、寺院は輝いていた、また地平線の奥にはベスビオス火山が微笑んでいた。


ラミアは、トガの襞の中から、『自然についての省察』を取り出し、地面に座って読みだした。しかし、奴隷の叫びがあり、彼はこの狭いブドウの小径を登ってくるカゴを通してやるため、起きあがらねばならぬ、と知らされた。カゴは、開け放たれて近付いてきたので、ラミアはクッションの上に、恰幅の良い老人が、額を片手で支え、厳かで堂々とした目をもって見つめる老人が、寝そべっているのを見た。彼のワシ鼻は、唇の上まで伸び、それを秀でた顎の先と、力強い顎骨が圧していた。瞬時に、ラミアは、この顔には確かに見覚えがあると思った。彼は、呼び掛けるのにすこしためらったが、それから急に、驚きと喜びの入り混じった所作で、カゴに走り寄った。
「ポンティウス・ピラトではないか?」と彼は叫んだ。
「何たる倖せ、再び君に会えるとは!」
老人は、奴隷たちに止まるように合図をし、挨拶をして来た男に、注意深く視線を投げかけた。
「我が友、ポンティウス」彼は繰り返した。
「20年という月日は、私の髪を白くし、顎をくぼませてしまった――君がもはやエリウス・ラミアを思い出せない程にね。」


この名を聞いて、ポンティウス・ピラトは、年齢や弱い足腰を忘れたように、素早くカゴから降りた。そして彼はラミアを2回抱擁した。
「君に再会できるとは、確かにすばらしいことだ。ああ、君を見ていると、私がシリア地方で、ユダヤの総督をしていた昔の日々が思いだされる。君にはじめて会ってから、30年にもなるのだな。君が追放という苦難を背負ってやってきたのは、セザレだったな。私は君の倦怠を和らげることができて嬉しかったし、ラミア、君は君で、あのどうしょうもないイェルサレムユダヤ人どもが私に苦しみや嫌悪をなめさせた、あのイェルサレムに、友情のため、ついてきてくれたっけな。10年以上もの間、君は私の師であり仲間であったけな。2人で、ローマについて話し、いっしょに慰めあったな。君は君の不運、私は私の大役。」


ラミアは再び彼を抱擁した。
「君は言うべきことを言いつくしていない、ポンティウス。君はヘロデ王の君への信頼を私のために用いてくれたし、また私のために気前よく財布の紐をゆるめてくれたではないか。」
「もう言うな、どうしてって、君は、ローマに帰ってのち、君の自由人によって、私にその金の全額を、しかも利子つきで、戻してくれたではないか?」
「ポンティウスよ、私は、たかが君に返した金銭で、君との仲を切り捨てたとは思っていないぞ。それより、答えてくれ、君の望みは適ったか?君に見合った幸福を持てたか?君の家庭、財、健康についても語ってくれ。」
「シシリー島に引きこもり、まあ、そこに土地を持っていたのだが、小麦を栽培し、売っている。長女である、愛しいポンティアは、夫を失い、私について来、家を取り仕切っている。嬉しいことに、知力は衰えていない。記憶力は、いささかも弱っていない。だが、老いらくというものは、苦痛や病弱というおつきなしに来るはずがない。痛風に、ひどく悩まされたのさ。そしてフレグレアン平野に、病の薬を求めに行こうとする私が、今君と会ったわけなのだ。夜になっても、火炎が洩れ、イオウの刺激臭を吐き出す、この燃える土地は、痛みを和らげ、手足の関節をしなやかにすると言われている。少なくとも、医師たちは、そのことを保証している。」


「ポンティウス、君自身で体験できんことを!でも、痛風とか、焼けつくような傷を差し引いても、君はかろうじて私と同じ歳に思われる。実際のところは、私より10歳も年上なのに。確かに、君は、私がかつて持ち得なかったほどに、活力を保持している。そして、君がこんなにも力強いのを見て、嬉しく思う。どうして、そんな歳でもないのに、公職を辞めてしまったのだ?どうして、ユダヤの総督を辞めてから、自分から国外の、シシリー島の領地に住んでいるのだ?私が君のもとを去ってからの、君の行動を教えてくれ。君がサマリアの反乱の鎮圧を準備していたとき、私はカパドスに発ったわけだが、私は、その地で、馬やラバの飼育によって、いくらかの収入が得られぬか、と心待ちにしていた。でも、私はその時以来、君には会っていない。あの遠征の首尾はどうだったのか、教えてくれ。君に関することなら、何でも興味があるのだ。」


f:id:iirei:20200325042600j:plain


翻訳ノート1


(次回:「承」に続く)


アナトール・フランスの小説

iirei.hatenablog.com




神々は渇く (岩波文庫 赤 543-3)

神々は渇く (岩波文庫 赤 543-3)

エピクロスの園 (岩波文庫)

エピクロスの園 (岩波文庫)





今日の一品


@具乗せハンペン焼き


f:id:iirei:20200325042701j:plain


弟作。ハンペンを直角二等辺三角形に切り、ハム、チェダーチーズ、コチュジャンを乗せ、レンジでチン。スナックみたいで美味しい。

 (2020.03.20)



@レンコン・干しシイタケ煮


f:id:iirei:20200325042808j:plain


半日水に放って膨らませた干しシイタケと、一口大に切りそろえたレンコンを煮ました。醤油、昆布だし、レモン酢を加えて、乾燥クコの実を入れ、蓋をして、保温調理1時間。

 (2020.03.20)



@プンパーニッケルの酒かす乗せ


f:id:iirei:20200325042913j:plain


ドイツでよく食べられるライ麦パン:プンパーニッケル。今日はおやつにと、以前取り上げた酒かすを乗せて食べてみました。まずまず調和。

 (2020.03.22)



フキノトウの醤油漬け


f:id:iirei:20200325043017j:plain


この前のブログで触れた「フキノトウを塩漬けし、その後醤油漬けして」作ったもの。小出しにして2、3個を切り、食卓に。苦くて、弟は味見して、以後は箸をつけませんでした。この強烈さは、酒の肴に良いかも。

 (2020.03.23)






今日の三句


おお、ここに
トウダイグサ
晴れ姿


f:id:iirei:20200325043131j:plain


線路の踏切の入り口近くに育って。

 (2020.03.18)



華奢なれど
糸葉水仙
自己主張


f:id:iirei:20200325043305j:plain


 (2020.03.20)



水辺なく
和する河童の
やるせなさ
 

f:id:iirei:20200325043427j:plain


最近、太田市八瀬川の親水公園施設が取り壊され、残ったブロンズ像がさみしくポツンと。


その河童を称えて、ある人が詠んだ歌を収録したブログ。↓

iirei.hatenablog.com


 (2020.03.20)

ベルギーで一部のコインが廃止らしい:愚挙!!

ベルギーで一部のコインが廃止らしい:愚挙!!


ベルギーでは近い将来、最小通貨の1セントおよび2セントコインを廃止することを決定した。買い物などで端数が生じる場合は今後、1ユーロ2セントの場合は1ユーロと計算され、1ユーロ3セントの場合は1ユーロ5セントと切り上げられることになる。1セントの通貨価値は日本円で現在約1.33円に相当する。独フランクフルターアルゲマイネ・オンライン版が9日に報じた。


同様の方針はすでにオランダおよびフィンランドでも採用されており、今回ベルギーもオランダ同様、これを法規制として定めるのではなく、小売業における協定として実施する。ユーロ圏に属してユーロを使用している国では、EUの決定なしに特定の貨幣の使用を禁止することはできないが、通貨の鋳造に関しては各国に決定権が委ねられている。このため、ベルギー国内で1セントおよび2セント廃止後も、ユーロ圏内の他国から来た人が、1セントコインを支払いに使うことは可能となる。


ベルギーでは数年前から1セントおよび2セントコインの廃止について論議がされてきており、EU委員会でも同件は2013年以来議題に上っている。1セントおよび2セントコインの鋳造には、実際の通貨価値よりもコストがかかることから、「鋳造に不人気な硬貨」とされている。


早川 栞 (2018.02.12)

https://www.newssalt.com/23596


・・・これは大変なことになってきた。私はかねて、コインそのものを通貨とみなす「新たな」貨幣制度を抱いてきましたが、コイン、特に低額コインが廃止になると、その前提が崩れてしまうのです。その構想は、以下の過去ログで記述していました。

iirei.hatenablog.com


 :超地域流通貨幣・ガロア



「はい、1524円になります。」とレジの係員に言われたとき、あなたならどのように払いますか?たいていの場合、1000円札を2枚出すか、1000円札2枚と24円を出すと思います。私は、断然1000円札2枚派です。そうすると、コインで476円返って来ますね。1000円札2枚と24円では500円返ってきます。


 あたりまえですよね。


ところが、この2つの選択は大違いなのです。私は以前、コインの原価計算をしてみたことがあります。その結果、原価的には小額コインのほうが高いのです。500円コインなんて、原価は5.5円、10円コインは3.6円もあります。すると、500円コイン1枚より10円50枚のほうが断然!!原価が大きいことが解かります。紙幣に至っては原価はただみたいなものです。


 一国の経済が破綻するとき、通貨は「無意味」になります。でも、物としての価値だけを問えば、小額コインがベストであることになるわけですから、・・・・
   つまり、私は「小額コインを貯めているのです!!」まあ、こんな意識の主婦は、皆無でしょうがね。

↑そのブログの書き出し。



f:id:iirei:20200319015036j:plain

現行コインと50銭紙幣


私はもともと、紙幣についても「その軽さ」から、通貨としては不備だと思っていましたが、ましてや「電子情報の数字に過ぎず、IT社会では、PC上の悪意ある操作によって、消滅させたり移転させたりできるであろう仮想通貨」が持て囃されることに、大きな危機感を持っているのです。人は、重さということの持つ意味を忘れ、ひたすら軽さを求める・・・なんとも危ういと思われるのです。財布がコインで重くなるということが、そんなに悪いことなのでしょうか?(キャッシュレス支払についても、私は同様な危惧を持ちます。)



今日のひと言:以前、私は、友人と議論して、「お金はなにか実質的な価値を背後に持つ」と発言し、彼は「お金は、単なる空疎な約束事に過ぎない」と言いました。たしかに、金本位制が崩れて久しい今、彼の見解が優勢であろうと思います。なお、今回挙げたニュースは、報道から1年半以上あと、2019年年末に見聞きしました。



参考過去ログ


iirei.hatenablog.com


iirei.hatenablog.com





コミュニティ経済と地域通貨

コミュニティ経済と地域通貨




今日の一品


豚ソテー・マーマレード風味


f:id:iirei:20200319015144j:plain


弟作。豚肉をソテーし、醤油、バター、マーマレード3者を煮立たせたソースを掛ける。マーマレードが絶妙。


 (2020.03.12)



カラスノエンドウの卵炒め


f:id:iirei:20200319015227j:plain


カラスノエンドウ


f:id:iirei:20200319015309j:plain


料理

カラスノエンドウは、エンドウのミニチュアのような野草。庭に意識的に生やしています。花の咲く前なら、「豆苗」のように料理できて、美味です。

 (2020.03.13)



うずら豆の煮豆


f:id:iirei:20200319015350j:plain


インゲン豆の一種、うずら豆を煮ました。良く作る花豆のように、一昼夜水に漬け、水、砂糖、塩で圧力鍋。10分おもりを揺らし、火から降ろし、冷やして小分け。煮豆らしい仕上がり。

 (2020.03.14)



@白菜のとろとろ煮


f:id:iirei:20200319015444j:plain


白菜を小さく刻み干し千切り黒キクラゲとともに、コンソメ一個、塩で20分ほど茹で、2時間保温。(保温調理鍋)仕上げにクコの実を加え、食卓に。白・黒・赤の色どりも楽しみます。

 (2020.03.14)






今日の四句


夜明け前
花びら閉じる
タンポポ


f:id:iirei:20200319015527j:plain


 (2020.03.14)



盛り過ぎ
されど香るや
沈丁花(じんちょうげ)


f:id:iirei:20200319015618j:plain


芳しいけれど、毒草です。

 (2020.03.14)



水たまり
張る氷にて
映す月


f:id:iirei:20200319015724j:plain


 (2020.03.15)



いぬふぐり
霜の降りるや
クリスタル


f:id:iirei:20200319015807j:plain


 (2020.03.15)




(番外:自由律俳句)


タネもカネもコネもない



・・・何を言っているかは、ご想像にお任せ。

 (2020.03.16)

「ゆとり教育」と「新自由主義」:何が教育を殺す?

ゆとり教育」と「新自由主義」:何が教育を殺す?


私が小学生のころ、夏休みに地域の小学生が集って、写生大会が催されたことがあります。私は写生が好き、また得意で、会場に生えていた松の樹を丁寧に描きました。さて、各自の作品の品評会になったとき、上級生の男子児童の多くは、「青色だけで塗られた絵、すなわち青空」を一押ししました。これはとてもトリッキーな作品(?)でした。男子児童は、そのアイディアに惹かれたのでしょう。ここで上級生の女子児童たちから、「反対!」の声が上がり、「この子(私のこと)、こんなに良い絵を描いているじゃない、賞はこの子にあげるべきよ。」――賞は私に授与されました。(「青空」を描いた男子は、それ以前にも、「黄色一色の絵=藁(わら)の中」といった「作品」を描いた前歴があり、まあ、味を占めていたのです。)


f:id:iirei:20200309065710j:plain


松と青空


さて、以上のお話がどうして今回ブログのテーマにつながるかと言えば、このトリッキーな絵とそれを描いた児童は、「ゆとり教育」の産物であり、それと拮抗した私とその絵が「新自由主義」の産物であろうと、おおまかに言えると思うのです。


今回のブログは『現役文部官僚が直言 「ゆとり教育」亡国論 学力向上の教育改革を!』(大森不二雄:PHP:2000年初版)を読んで書いています。この人は、一貫して、同じ文部科学省寺脇研(のちに映画評論家)が中心になって押しすめられた「ゆとり教育」に異議を唱えているのです。では、ゆとり教育とはっきり違う大森氏の教育の要諦は


1)競争原理
2)選択の自由(これは学校のシステムを担う者と、進学する学校を選ぶ生徒の2つの場合があります。)
3)自己責任


この3つが3点セットだと言っています。でも、よく見てみると、この3点セットは20世紀末から、世界の経済を大混乱に落しいれ、貧富の差が拡大し、格差社会を生み出した「新自由主義経済」のスローガン、そのものなのです。経済学と教育は無関係じゃん、という声も聞こえてきそうですが、私が大学で学んだ「教育原理」という専門教科では、講師が「日本の大学は、経済界が求めるような人材を供給するのが役割だった」と言っていたのを覚えています。でしょ?教育と経済(政治も)は不可分に結びついているのです。新自由主義は、経済にとって劇薬ですが、それはこの学問を無制限に適用させようとすれば、カタストロフ(破局)が待っていますね。大森さんはそこまで過激な主張はしていないと思いますが、彼が海外視察の際、参考にしたのがサッチャー保守党党首・首相のイギリスの教育改革だったのは皮肉だと思います。この国、この政治家の下で、新自由主義経済の猛威が吹き荒れたのですから。


大森さんが「ゆとり教育」について、もっとも怖れたのが「学力低下」です。「マジメに勉強することはかっこ悪い=勉強否定論」とか「学力では、生徒の能力は測れない」とか「知識は仇だ」とか、結局は怠け者を量産するような教育体制・・・こんな考えでやっていたのでは、日本人の教育水準は落ち、国際競争力がなくなることを大森さんは危惧しているのですね。だいたい、月の月齢をいくつかしか教えない、生き物の名前もあんまり教えないというのは、児童の頭脳の可塑性を舐めていましたね。


このブログの枕のお話で、一色だけで画用紙を塗り、あとは知らんぷりといったあの児童の一種傲慢な態度は、(絵の)勉強を忌避しているという意味で、いかにも「ゆとり教育」の産物です。いっぽう私は、勤勉に、当時持てる最大限の技術で、松の樹の絵を描いて、結局賞をもらったというわけで、「ゆとり教育」と対置する意味で「新自由主義」の産物だったと言っても良いでしょう。「ゆとり教育」では「個性」を大事にするといわれましたが、努力を度外視した「個性」というのでは、私が冒頭に挙げたあの手抜きの絵にも個性がある、という理論的帰結になってしまうでしょう。



今日のひと言:なにごとも、ほどほど(中庸)が良いと思います。新自由主義的な脈絡で強引に世界を語る、という潮流は、むかしのアダム・スミスの『国富論』で展開されていたことを言い換えて実施しているに過ぎず、金持ちが、楽してお金をさらに儲けるというシステムに過ぎません。水道を民営化して、民間業者を参入させて、競争原理で戦わせる――これ、麻生太郎財務大臣が実施しようとしていますが、命の根源:水まで民間業者に扱わせようと言う意味で、この似非理論(新自由主義)は、行き着くところまで行ってしまったな、と嘆息するのみです。


最後に、「ゆとり教育」も「新自由主義」も、やりすぎは、教育を殺します。最近でも萩生田文部科学大臣の舌禍によって導入が延期された大学入試・英語民間試験でも、二流の受験産業会社:ベネッセ(福武書店安倍晋三の選挙区のある山口県の隣県の広島県に本社がある)が担当するように決まっていました。新自由主義の臭いがプンプンします。そして、現在は「脱ゆとり教育」ということで、「ゆとり教育」は破棄されたという形だと思います。ただ、寺脇研らが推し進めたこの政策、もし世の流れ、新自由主義に抵抗した試みであったとするなら、やり方と結果は無残であったにせよ、心意気は感じられるものなのでしょうかね?(余談ですが、大森さんは彼の著作のなかで、寺脇研のことには、一切触れていませんでした。)


参考過去ログ


iirei.hatenablog.com


iirei.hatenablog.com






今日の一品


ガラムマサラ入り焼きそば


f:id:iirei:20200307114413j:plain


ガラムマサラは、インドの複合調味料。カレーの基本です。これを仕上げに、通常の焼きそば(粉末スープのあれ)に入れてみたところ、焼きそばのランクが一つ上がった感じです。

  (2020.03.07)



@アサリのお好み焼き風


f:id:iirei:20200308153634j:plain



弟作。お好み焼きの具として、アサリとキャベツを入れて作りました。結構箸が進みます。これは、主食+野菜+動物性たんぱく質を兼ねる料理です。

 (2020.03.08)



フキノトウの醤油漬け



f:id:iirei:20200305231442j:plain

塩漬け(2020.03.06)


f:id:iirei:20200308164153j:plain

醤油漬け(2020.03.08)


wikiの「たまり漬け」を参照したもので、フキノトウをまず塩漬けし、毒成分を除き、醤油に漬けるという料理で、酒のつまみにも向くようです。8日から数え、7日くらいで味見をします。

 (2020.03.08)



@ネギのグラタン


f:id:iirei:20200310185331j:plain


弟作。在庫の十分あるネギを使って(HEINZの「グラタンソース缶」)、グラタン。ネギを炒め、ソース、牛乳を加えて加熱、耐熱皿に取り、チェダーチーズを乗せ、オーブントースターで200度、20分。とろりとしたネギが食欲をそそります。

 (2020.03.10)






今日の五句


見つけたり
錆びた水門
音もなし


f:id:iirei:20200307075134j:plain


河川付け替えの結果、川筋から外れたのでしょう。

 (2020.03.07)



休耕地
土も動かず
眠りけり


f:id:iirei:20200308125632j:plain


 (2020.03.08)



太陽の
昇るときにぞ
沈む月


f:id:iirei:20200311065213j:plain


写真の左端に満月。

 (2020.03.11)



春来たり
芽生えつつある
ニラ・チャイブ


f:id:iirei:20200311080718j:plain


チャイブ(手前)はネギ類最小のハーブ。ニラは「オリエンタル・チャイブ」とも呼ばれます。

 (2020.03.11)



バナナ草
新芽生えたり
おずおずと


f:id:iirei:20200312064917j:plain


バナナらしき木(草)の春。だいたい松尾芭蕉の「芭蕉」のことなのです。でも、松尾バナナは変。恥ずかし気に薄緑色なのが新芽。

 (2020.03.12)

自画像は自己愛(ナルシシズム)の産物か?:私の場合。

自画像は自己愛(ナルシシズム)の産物か?:私の場合。



表題の疑問、確かにそうかも知れません。一般的に人は画家ではないために、その自己愛の表現として画家に肖像画を依頼するのではないでしょうか。


f:id:iirei:20200307051601j:plain


私の自画像1


ここに、画家が自画像を描く場合、必須なのが「鏡:mirror」です。必ずこの道具を使って、絵を描きますね。(追憶上の自分を辿り、外部に関係なく描く場合は別ですが)ところで鏡を持つ象徴的な存在は女性(♀)です。この♀という記号は、「鏡を持つ者」という意味で、そのことから言えるのは、画家は自画像を描く間は、女性化(♀化)するのだと思うのです。


f:id:iirei:20200307051702j:plain


私の自画像2


鏡を持つ存在についての記述、それは神話の世界でも存在して、私がすぐ思いだせるのはギリシャ神話で、「自分しか愛せなかった」ナルキッソスが、水面に映った自分の姿に「恋をして」、フリーズしてしまい、神に他の者たちの求愛を無視した罰として、水仙(すいせん)の姿に変えられて、いつも水面の自分の影を見つめることになったのですね。また「自己愛」=「ナルシシズム」という言葉もこの青年から採られているのです。


さて、私の場合、やはりナルシスティックな自画像を数枚描いています。高校時代の美術の時間、油絵での最初の作品が自画像でした。クラスメートには「まあ、森下はなんともナルシスティックな絵を描いているなあ」、と揶揄されました。


もう一枚は大学時代初期に描いた「自画像」です。これはクレヨン画でした。なんども色を塗り重ねられる点、油絵と似ているのがクレヨン画ですね。この絵の出来は、高校時代の作品より、ズッと、真に迫った出来で、私は気に入っていました。


でも、私に「自己愛」を卒業する時期がやってきて、この種の絵は大部分破棄してしまい、ついでにそういった傾向のない作品までそうしてしまったのは若気の至りです。もっとも、作品を破棄した有名画家も案外多いように思います。


そういった人たちにとっての絵画はたとえその絵画が自画像でなくても、自画像に準じる意味内容が込められているように思います。自分の人格を投影した絵画・・・自分の否定「自己否定」の対象となってしまったわけです。これは後世の鑑賞者にはもったいない話ですが、画家本人がそうしたかったのなら、まあ、仕方のないことでしょう。


「私の自画像1」は1983年に描いた作品で、ナルシシズムの要素の乏しい絵です。3、4分で描きあげました。「私の自画像2」は、1978年、鏡という道具を前面に出して描いたもので、鏡像というのか、光の反射というものを意識した作品です。どっちらも捨てずに残っていました。例のクレヨン画ほどは私本人が嫌ってはいなかったということですね。



今日のひと言:坂本龍一さんには“self-portrait”(自画像)という傑作があり、よく聴いたものですが、この曲について彼を直接知っている方と話をしていて、私が「このことば、auto-portraitの誤りなのではないか」、と話したところ、その人は「坂本くんは、ボブ・ディランに義理を立てて題名をつけたのではないかな」と語っていました。(ディランにもそんな題名の曲がある、ということですかね。)もっとも、というか、ありうるというか、坂本さんのアルバムに“beauty”という題名のこれぞ坂本さんのナルシシズムの表出、というのがありました。私は手に取りませんでしたが。


https://youtu.be/xxL0F5xyx9M

   : self-portrait (ユーチューブ)


参考過去ログ

iirei.hatenablog.com



自画像の美術史

自画像の美術史

  • メディア: 単行本




今日の一品


メカブのバジル酢・醤油和え



f:id:iirei:20200301142811j:plain

f:id:iirei:20200301145734j:plain


メカブは、ワカメの根っ子の部分。黒っぽいですが、熱湯をくぐらせると、綺麗な翡翠色になります。これを、バジルを漬けて作った酢と、醤油、刻みネギで和えます。和えたあとは、色は褪せます。三陸の名産です。原発事故以降、買っていませんでしたが、たまには・・・ということで購入しました。

 (2020.03.01)



@茹でキクイモ


f:id:iirei:20200302185138j:plain


弟作。スライスしたキクイモを茹で、マヨネーズと辛子のディップで食べます。

 (2020.03.02)



@自家製白菜漬け


f:id:iirei:20200305190931j:plain


この冬、何回か白菜の漬物を作っていますが、今回がベスト。葉の切り方と塩の振り方が上手になったのです。葉1枚を、まず縦に2分割し、横に4分割。白く厚い根本の部分に塩を振り、その上に薄い葉を敷き詰め、塩は振らない・・・これを4、5回繰り返し、少々前回できたつけ汁を入れます。唐辛子は適宜葉の間に挟みます。漬けこんで10日くらいで食卓に。今回の食材の白菜は、丸ごと一個で50円(無人販売所)、塩も安いものですから、この一品は原価10円以下でしょう。同時期、地元のスーパーでは4分の1カットの白菜を350円で売っていました。一個で1400円!・・・高いですね。

 (2020.03.05)





今日の四句


空気澄み
くっきり立つや
赤城山


f:id:iirei:20200303065710j:plain


前日の雨後の朝。

 (2020.03.03)



毒草の
庭に生えたり
今年また


f:id:iirei:20200303071215j:plain


一昨年、絶滅しそうだったトウダイグサを庭に植えたのです。種が飛び散り、2年連続で発芽したわけです。

 (2020.03.03)



雨の前
里山ばかり
見えにけり


f:id:iirei:20200304071514j:plain


 (2020.03.04)



薹立ち(とうだち)す
河原のカキナ
命もなく


f:id:iirei:20200306073542j:plain


誰かに命じられることなく、一斉に薹立ちするのです。

 (2020.03.06)

渋沢栄一の正体:体制べったりのうさんくさい奴

渋沢栄一の正体:体制べったりのうさんくさい奴

渋沢栄一・・・私は、この人、どうにも胡散臭い(うさんくさい)人であるというイメージを抱いていました。実際どうなのか、調べてみました。まずは広辞苑第六版より。

実業家。青淵と号。武州血洗島村(埼玉県深谷市)の豪農の子。初め幕府に仕え、明治維新後、大蔵省に出仕。辞職後、第一国立銀行を経営、製紙・紡績・保険・運輸・鉄道など多くの企業設立に関与、財界の大御所として活躍。引退後は社会事業・教育に尽力。(1840~1931)


f:id:iirei:20200301091302j:plain


渋沢栄一 (wiki)

次に、もうすこし詳しくwiki(渋沢栄一)より。

江戸時代末期に農民(名主身分)から武士(幕臣)に取り立てられ、明治政府では大蔵少輔事務取扱となり、大蔵大輔、井上馨の下で財政政策を行った。退官後は実業家に転じ、第一国立銀行理化学研究所東京証券取引所といった多種多様な会社の設立、経営に関わり、二松學舍第3代舎長(現、二松学舎大学)を務めた他、商法講習所(現、一橋大学)、大倉商業学校(現、東京経済大学)の設立にも尽力し、それらの功績を元に「日本資本主義の父」と称される。また、論語を通じた経営哲学でも広く知られている。令和6年(2024年)より新紙幣一万円札の顔となる。また、令和3年(2021年)に渋沢栄一を主人公としたNHK大河ドラマ『青天を衝け』が放送される予定。


wikiの記述を読む限り、聖人、君主であるかのように、欠点ない人格者であるとされているようです。ただ、この人の略歴からすると、常に体制側の人間であったことに留意する必要があると思います。ところでここに、wikiからある人物を引いてくると、俄然様相が変ります。


また、小野組と取引があった渋沢栄一の経営による第一銀行に対し、市兵衛は倒産した小野組の資産や資材を提供することで第一銀行の連鎖倒産を防ぎ、渋沢という有力な協力者を得ることに成功した。

小野組破綻後、市兵衛は独立して事業を行うことにした。まず手始めに秋田県にある当時官営であった有力鉱山、阿仁鉱山と院内鉱山の払い下げを求めたが、これは却下された。続いて新潟県の草倉鉱山の入手を企て、渋沢から融資の内諾を得るものの、やはりこれも最初は政府の許可が得られなかった。

しかし市兵衛は小野組時代から縁があった元相馬中村藩主を名義人に立て、市兵衛が下請けとして鉱山経営を行う条件で、明治8年(1875年)に政府から草倉鉱山の払い下げを受けることに成功した。草倉鉱山の経営は順調で、明治10年(1877年)には市兵衛は鉱山業に専念する決意を固め、いよいよ足尾銅山を買収することになる(現在の古河機械金属)。

同年、市兵衛は草倉鉱山と同じく相馬家を買い取り名義人として立てて足尾銅山を買収した。相馬家では家令であった志賀直道(志賀直哉の祖父)が市兵衛の共同経営者となり、そののち渋沢も共同出費者として名を連ねた。


この人物・・・古河市兵衛は、あの「公害の原点」とも呼べる足尾鉱毒事件の加害者です。足尾銅山を中心にした広範で深刻な環境汚染を引き起こした当事者と、渋沢栄一はズブズブな関係だったのです。そして渋沢は、渡良瀬川流域の民を弾圧するのに何らかの功があったろうと思慮できます。なんせズブズブですから。500からの企業を興した結果で有名ですが、足尾銅山のような社会に害悪を流す企業も、相当数起業したのでしょう。ここで思いだして欲しいのは、渋沢が体制側の人間であったことです。そして、鉱毒事件の解決に一命を賭した田中正造とは、絶対に相容れないでしょうね。(引用部の赤字は、私がつけました。)



今日のひと言:ろくな政治家が育たない「松下政経塾」のように、論語を人として必要不可欠な教養とする行きかたは、不毛だと思います。出典は忘れましたが、以下のような例え話があります:ある国王が弓を無くした。いわく「国民が拾うから探さなくてもよい。」それを聞いた孔子、「それは狭い、人が拾うから良いではないか」、またそれを聞いた老子、「それも狭い、なにかが拾うから良いではないか」と。老子の視座には、今でいう環境問題も収められていたのかと思われます。渋沢は、老子より視野が狭い孔子を見習おうとしたけど、古河と組んで、人を陥れることも何らかの形で仕事にしたと思われるので(足尾鉱毒事件)、孔子にも及ばないでしょう。だから儒教についても渋沢は、中途半端で、生半可な素人の理解に留まるでしょう。(『論語と算盤』という著書が、渋沢にはありますが・・・)今で言う環境問題についても、たぶん田中正造のほうが渋沢栄一古河市兵衛たちより、本質に迫っていたことでしょう。結局、私にとって渋沢栄一は、胡散臭いままです。同じように胡散臭い政治家、企業家には喜ばれるでしょうが。


参考過去ログ

iirei.hatenablog.com


iirei.hatenablog.com



論語と算盤 (角川ソフィア文庫)

論語と算盤 (角川ソフィア文庫)

谷中村事件―ある野人の記録・田中正造伝

谷中村事件―ある野人の記録・田中正造伝

  • 作者:大鹿 卓
  • 発売日: 2009/11/27
  • メディア: 単行本




今日の一品


@いわし丸干し(千葉県産)


f:id:iirei:20200226185203j:plain


いわしは、大衆魚と言えども、馬鹿にできない滋味を持つ魚です。今回は九十九里産の本格派です。塩を振り、いくらか干して販売するようです。ただ、人気がないようで、よく売れ残りかけるので、値引きすることが多いです。そこがねらい目。

 (2020.02.26)



@ブナシメジのアヒージョ


f:id:iirei:20200227175445j:plain


巷間、「シメジ」と名の付くキノコは多いですが、(ほんとうの「ホンシメジ」はマツタケ並みに高価で、)すべて偽物です。ブナシメジはそれでも、食味の良いキノコです。アヒージョはスペイン料理で、オリーブオイル、ニンニク、(唐辛子)で食材を炒めた料理の総称です。

 (2020.02.27)



@牛バラ肉とセリのレモン酢炒め


f:id:iirei:20200229125738j:plain


牛肉を目先を変えて作るため、庭のセリと合わせ、レモン酢(ミツカン)と醤油で炒めてみました。まずまずの出来かな。

 (2020.02.29)






今日の一首


白き畑
黒く染めるや
雨水なる


水の色こそ
真黒なりけれ


f:id:iirei:20200225071442j:plain

雨の前


f:id:iirei:20200227073225j:plain

雨の後


中国の陰陽五行論でいう水の色についての一考察。その色は黒です。

 (2020.02.25)




今日の三句


春告げて
青つぼみ付く
矢車草


f:id:iirei:20200225072338j:plain


 (2020.02.25)



ある夕べ
月と金星
共演し


f:id:iirei:20200227191516j:plain


 (2020.02.27)



切り株の
先に葉の芽の
出でにけり


f:id:iirei:20200229080331j:plain


 大根の葉のつけ根を水栽培したのです。8本くらい新芽が出ているよう。

 (2020.02.29)






新型コロナウイルス肺炎と『赤死病の仮面』


2020年初頭から、中国発・世界を席巻しているこの病気。空気感染をはじめ、手についた菌からも移る、始末に悪い病気。SARSと遺伝子型が90%共通で、致死率はSARSよりは低いとされるようです。高齢者と、糖尿病などの持病(基礎疾患)を持つ人には命にかかわるとも言います。


さて、この病気は、日本においては、4000人弱乗船していた豪華客船(ダイアモンド・プリセス)に乗船した1人の香港人が持っていて、それが船に拡散され、2020年2月29日現在700人超を患者にしたということですが、この政府・厚生労働省の不手際はどうでしょう。(罹患率は実に20%、5人に1人が感染したのです。)ここで感染した人が日本各地に散り、その地域で二次感染を起こしている場合が多いのです。それを糊塗するため、無能で宴会大好きな安倍晋三が全国の小・中・高校に一律で長期の閉校を要請したわけです。(2月27日)この男、感染対策の重要な会議を3分で切り上げ、盟友の稲田朋美の誕生会にイソイソと出席したそうです。毎日が宴会三昧。


ダイアモンド・プリンセスのような「密閉空間」に、多くの人が集まると、色々な問題が生まれます。疾病もそのひとつ。アメリカの作家(詩人、怪奇小説推理小説)であるエドガー・アラン・ポー(1809-1849)は『赤死病の仮面』という作品を残しています。ある国に、罹るとほぼ100%命を落とすとされる赤死病が蔓延し、国民は死滅しましたが、領主は自らの城(密閉空間)に食糧と仲間を囲い、赤死病をシャットアウトして、舞踏会を催すのですが、趣味の悪い(赤死病で死んだデスマスクのような)仮面を被った人物が現れます。あまりの扮装に、領主は激怒し、さまざまな色彩に照らされた部屋から部屋へ移動し、剣戟し合うのですが・・・じつはこの闖入者こそは、赤死病そのものだったという結末です。・・・勝利者は、もちろん仮面の男。


200年近く前に書かれたこの作品、むしろ現代的なものであるように思います。すくなくとも、ポーは安倍晋三よりは物を見る目が確かです。


エドガー・アラン・ポー短篇集 (ちくま文庫)

エドガー・アラン・ポー短篇集 (ちくま文庫)

  • 発売日: 2007/05/01
  • メディア: 文庫


 (2020.02.29)

大豆と方波見(カタバミ):葉を夜下げる点が似ている

大豆と方波見(カタバミ):葉を夜下げる点が似ている


マメ科のクローバーとカタバミ科カタバミには、大きな共通点があります。葉がおおむね3枚で(たまに幸運を意味する4枚になることとか)、夜になると葉が降下し、休眠するかのような状態になる点が、です。マメ科では、ダイズ、落花生、クズなどが、葉の休眠を起こします。まず、この2つの科について一瞥してみましょう。


マメ科の植物は、葉が羽状複葉になるものが多い。また「就眠運動(夜になると葉柄や小葉の根元(葉枕)で折れ曲がり葉が閉じること)」をするものもある。オジギソウでは触れただけで同じような運動を起こす。

(中略)

花の形態により伝統的にマメ亜科、ジャケツイバラ亜科、ネムノキ亜科の3亜科に大別されてきた(新エングラー体系など)。クロンキスト体系ではそれらを科にしてマメ科を3科に分割し、それら3科(すなわち、従来のあるいは現在のマメ科)の属する目としてマメ目を立てた。しかしいずれも、系統的な分類ではない。APGは広義のマメ科を採用している。

マメ科(wiki)


葉は複葉(カタバミ属のような3出複葉または羽状複葉)で、マメ科と同じように就眠運動をする(オサバフウロ属はさわるだけで動く)。花は両性、放射相称の5数性で、がく片と花弁および心皮は5個、雄蕊は多くは10本。果実は断面が五角形または星型、さく果(勢いよくはじける)または液果。

カタバミ科(wiki)


どちらでも触れられているように、マメ科植物とカタバミ科植物は、夜になると葉が「就眠運動」をします。この点からするとこの両者は「かなり近しい種類」の植物であるとも考えられますが、ここに「被子植物の目レベルの系統樹」というサイトから、この両者を含む区分を挙げてみます。ただし、この資料では、科レベルではなく目レベルで括られています、生物の分類では「界・門・綱・目・科・属・種」の大分類があり、目(もく)は科を含む集団です。

https://ww1.fukuoka-edu.ac.jp/~fukuhara/keitai/angiotree_01.html


以下の図がそうですが、系統樹系図のように捉えると、カタバミ目はマメ目と「伯父・甥」の関係にあることが解ります。かなり近い集団同士ということになるでしょう。また、私は以前、カボチャの葉も夜に就眠活動しているのを見たのですが、カボチャを含むウリ科植物も、カタバミ科マメ科に近縁なので、あり得る現象だと思っています。(図は、上から下に読みます。)


f:id:iirei:20200224011421j:plain


今日のひと言:以前は植物の分類に「クロンキスト体系」という花の性質で分類していましたが、近年、遺伝子レベルの分析で分類する「APG体系」にとって換わられました。
むかしの分類に慣れた人には、解りにくい分類法です。例えば「アカザ科」は消滅し、「ヒユ科・アカザ亜科」にされたことなど。


参考過去ログ

iirei.hatenablog.com




新しい植物分類体系—APGで見る日本の植物

新しい植物分類体系—APGで見る日本の植物

植物の特徴を見分ける本

植物の特徴を見分ける本

植物一日一題 (ちくま学芸文庫)

植物一日一題 (ちくま学芸文庫)

美しき小さな雑草の花図鑑

美しき小さな雑草の花図鑑





今日の一品


@ニシンの煮凝り


f:id:iirei:20200224011552j:plain


「煮凝り:にこごり」とは、煮魚を作ったとき、魚のゼラチンで出来るフルフル状のもの。一回消毒して作ろうとしましたが、あまり固まりませんでした。前回ブログで挙げた身欠きニシンの煮魚の副産物。

 (2020.02.19)



@岡ジュンサイいり野菜炒め


f:id:iirei:20200224011710j:plain

ギシギシ

f:id:iirei:20200224011853j:plain



キャベツ、モヤシ(緑豆の)、クコの実、岡ジュンサイを炒め、オイスターソース、醤油、胡椒で味付け。岡ジュンサイは、ギシギシのぬめりある新芽のことです。

 (2020.02.19)



@サンラータン(酸辣湯


f:id:iirei:20200224012019j:plain


弟作。出来合いのスープで、豆腐、卵を煮ました。名の通り、酸(すっぱい)と辣(からい)のスープ。コンセプトはタイ料理のトムヤンクンに似ているかも。

 (2020.02.21)





今日の五句


雨の中
小山描かる
水墨画


f:id:iirei:20200224012137j:plain


 (2020.02.17)



古株も
芽い出しけり
ネギの未


f:id:iirei:20200224012300j:plain


 ネギの捨てられる部分も、栽培すれば増やせると確認したくて。

 (2020.02.19)



弁天や
琵琶を爪弾く
川の音


f:id:iirei:20200224012432j:plain


 弁天(弁財天)は、幸運、財産、音楽を司るインド起源の女神。また、水、川の女神。

 (2020.02.20)



蛍光灯
蝿の止まるや
まだ二月

 (2020.02.22)



老梅(ろうばい)の
樹下に漂う
余韻かな


f:id:iirei:20200224012613j:plain


梅も、バラ科の植物。バラのような香気がします。

 (2020.02.23)

ラ・フォンテーヌと鹿島茂:売れっ子仏文学者の実際

ラ・フォンテーヌと鹿島茂:売れっ子仏文学者の実際


ラ・フォンテーヌは中世フランスの詩人。その、イソップ物語に想を得た寓話集は、お色気たっぷりな小話集と並んで、今でもフランス人の必須の教養になっているようです。おおむねこんな人です。


ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ(Jean de la Fontaine, 1621年7月8日 - 1695年4月13日)は、17世紀フランスの詩人。
イソップ寓話を基にした寓話詩(Fables、1668年)で知られる。(北風と太陽、金のタマゴを産むめんどりなど)
有名な格言に「すべての道はローマへ通ず」や、ことわざ「火中の栗を拾う」を残した。
  Wiki (ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ)


f:id:iirei:20200218012431j:plain


まあ、彼の寓話は必ずしもイソップ物語にばかり依存するのではなく、「全ての道はローマに通ず」などは独自の文言です。このフランスのエスプリ(風刺精神)を体現するラ・フォンテーヌを、現代人の眼にもよく見られるように出版されたのが鹿島茂『「悪知恵」のすすめ ラ・フォンテーヌの寓話に学ぶ処世訓』(清流出版)です。鹿島さんのプロフィールは


神奈川県横浜市出身。神奈川県立湘南高等学校東京大学文学部仏文学科卒業。同大学院人文科学研究科博士課程単位習得満期退学。大学院の指導教官は蓮實重彦だった。
著作活動としては当初は、フランス文学の研究翻訳を行っていたが、1990年代に入り活発な執筆活動を開始。1991年に『馬車が買いたい!』でサントリー学芸賞受賞、1996年『子供より古書が大事と思いたい』で講談社エッセイ賞、2000年『パリ風俗』で読売文学賞受賞。
共立女子大学助教授・教授を経て、2008年より明治大学教授。忙しい時期は月産400枚の原稿を書いており、常時定期連載を持っている。 

 Wiki (鹿島茂

です。ある意味、売れっ子だけど、粗製乱造の気があるとも言えるでしょう。全体に、上手にラ・フォンテーヌを紹介していて、わかり易いですが、往々にしてラ・フォンテーヌの言わなかったことを、安易につけ加えることがあります。その例。「第19話 得意なものと好きなものは必ずしも一致しない」・・・「ジュノンに不平を言うクジャク」(巻の2 第17話)。自分の声の悪さに不満だったクジャクが女神ジュノンに不平を言ったところ、女神は怒り、「全ての美点を兼ね備えた動物はいない。不平を言うと、お前の羽根を全部むしってしまうよ」とするお話です。それはそれで一定の教訓がありますが、鹿島さんは以下のようなお話をくっつけてしまいます:

ファッションモデルなんて、ただ服を来て(ママ)歩いているだけだからツマンナイ。歌手やタレントならテレビに出てみんなからチヤホヤされる。ああ、私もファッションモデルなんかやめて、歌手かタレントになりたい。

 ラ・フォンテーヌの『寓話』と違うのは、テレビの世界にはこうした増長クジャクを怒鳴りつけるジュノンがいないことである。いるのは知り合いディレクターに紹介してやると甘言を弄する悪い男ばかりである。

 かくして、テレビには、歌の下手な歌手や、才能がないタレントがあふれることになるのである。

  (本書108P)


このようなつけ加えには、世の人におもねるような意識が多いにあると思えます。ラ・フォンテーヌがいう真理を「否定」することにもなりますね。面白おかしく潤色したようなつけ加えなのです。私が鹿島氏のような売れっ子エッセイストや詩人になることはないでしょうから、「粗製乱造」の謗りを受けることはないようで、その点、安心していいでしょう。



今日のひと言:以前、鹿島氏がNHKの「人間大学」だかで、山田風太郎の奇想天外な小説について、とても説得力のある分析をしていたのを見ました。すてきな言葉でした。でも無意味に言葉の力を使いすぎると、その力は使い果たされると、老子は言っています。



「悪知恵」のすすめ -ラ・フォンテーヌの寓話に学ぶ処世訓-

「悪知恵」のすすめ -ラ・フォンテーヌの寓話に学ぶ処世訓-

  • 作者:鹿島 茂
  • 出版社/メーカー: 清流出版
  • 発売日: 2013/03/21
  • メディア: 単行本
ラ・フォンテーヌ寓話

ラ・フォンテーヌ寓話

イソップ寓話集 (岩波文庫)

イソップ寓話集 (岩波文庫)



今日の一品


@スウィート人参と卵の炒めものナンプラー風味


f:id:iirei:20200218012831j:plain


弟作。薄い黄色をした人参を、試しに料理しました。たしかに、砂糖を入れなくても甘く、しゃれた一品になりました。

 (2020.02.11)



@キクイモとニンジンのアヒージョ


f:id:iirei:20200218012932j:plain


飛び切り辛い「黒唐辛子」で作ったアヒージョ。ニンニクと黒唐辛子を切ってオリーブオイルで炒めて味を出し、輪切りにしたキクイモとニンジンを炒め、塩を振り、さらに炒めて完成。ただ唐辛子の辛みが半端なく、しばらく部屋の空気に咽ました。


参考過去ログ

iirei.hatenablog.com

:各種イモ類の栄養価を比較してみる:イモの王者はどれ?



@干しシイタケと昆布の佃煮


f:id:iirei:20200218013234j:plain


「魚干し網」で加工した干しシイタケと、昆布を戻して佃煮を作りました。一口大に切った食材を鍋に入れ、醤油、トウキビ糖で煮詰めて、水分が切れたところで山椒。美味しく出来ました。特にこの料理は、干すことによってシイタケのエルゴステリンがビタミンDになり、昆布のカルシウムの吸収を促進するわけです。

 (2020.02.15)



@身欠きニシンとダイコンの煮物


f:id:iirei:20200218013335j:plain


「身欠きニシン」とは、ニシンの身を乾燥させ、カチンカチンにした保存食。昔から、山間の住民は貴重なたんぱく源として、大事にしてきました。もっとも最近はもっと水気の多いソフトタイプのものは売れますが、カチンカチンのはいまいち。私は6枚いりの身欠きニシンを、2度の値下げの末、100円になったものを入手しました。これが美味しい!一昼夜水浸して柔らかくなったものを、水、砂糖、醤油、ショウガで煮ました。

 (2020.02.17)





今日の六句



秩父なる
両神山(りょうかみさん)の
屏風かな


f:id:iirei:20200218013451j:plain


埼玉県小鹿野町秩父市を隔てる山。標高1723m。古くから信仰の山。

 (2020.02.11)



夜が明けて
踏切照らす
月なりき


f:id:iirei:20200218013551j:plain

 (2020.02.12)



いずこより
卵焼きの香
朝の餐(さん)


餐は、食事のこと。

 (2020.02.12)



鳥たちの
囀る(さえずる)声や
夜明け前


f:id:iirei:20200218013741j:plain


犬が朝の散歩を愉しむように、鳥たちも太陽を愛でて啼くようです。

 (2020.02.15)



街角に
ズルリと落ちた
マスクかな


折からの新型肺炎のこともあり、道端の捨てられたマスクも気になります。

 (2020.02.15)



ジンチョウゲ
香りちらほら
少女かな


f:id:iirei:20200218013852j:plain


 (2020.02.16)