虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

欧米人の作った俳句:奇想天外なのもある。(随想録―76)

欧米人の作った俳句:奇想天外なのもある。(随想録―76)



2022年4月から、私はアメリカのブログ・タンブラー(tumblr.)を始め、欧米人の生態を観察してきました。その中で、「俳句」という日本起源の文芸ジャンルは案外広く受容されていて、色々な国の人が「俳句」を作り、タンブラー上で発表しています。



そのなかでも、度胆を抜かれ、感心した句が、以下のものです。


風が触れる
濡れた肌、それ
彼はあなたが欲しいだけです。


これは、2022年8月ごろ、イタリアの「俳人」が発表したもので、ちょっと日本では類を見ないほど肉感的な句です。さすが、人生に喜びを見出すことにおいて、世界に冠たるイタリア、イタリア人の俳句だと思います。(もちろん原文はイタリア語で書かれていますが、ここでは「グーグル翻訳ツール」で日本語に変換した文を挙げておきます。)


そもそも、この句は、松尾芭蕉を始祖とする日本の俳句とは、作句の発想が違います。俳句の従来からの特徴は、人の外面を描いて、人の内面に至る、というものだと思います。そして、その外面とは、人を含む自然であることが決まりです。タンブラーでの欧米人の俳句を読むと、「最初から、人の内面」「内面の感情」を詠んだものが多いことが解かります。そして、はなはだしくは、「短い文章なら、それは俳句だ」と思っているフシのある人も多くいるようです。日本における5・7・5に準拠しないのはもちろん、17文字であることから、なるべく日本の俳句に近くなるよう、17音節で詩にする、という運動がかつてありましたが、タンブラーの「俳人」は、それすら知らない人が多いようです。


もちろん、作句態度として、外面から内面を指向するという欧米人もいます。それは俳句を志す者として、好ましい態度であることは論を待ちません。まあ、玉石混交という状態であると言えるでしょう。


戻って、初めに挙げたイタリア人の句、以上の考察を経た上でも、特異で面白い句であることは言えると思います。この句の肉感性は、「内面の感情」吐露だけでは得られないからです。かと言って、日本本来の句でもありません。何と言っていいか、奇跡の句?とするしかありません。


最近も、この人によるユニークな句を見ました。こんな具合です。


私が持っている必要があります
すべて保ちます
あなたの裸の写真。



あいかわらず、お盛んなこと。

 (2023.01.02)








今日の7句


枯れ残る
薔薇の花弁の
黒さかな



 (2022.12.25)



寒さなど
ものともせずや
ノゲシかな



キク科のこの草は、タンポポのようにサラダにできる。ハルノノゲシ

 (2022.12.25)



年を経て
蘇りたる
ネトルかな



栽培はしたのだけれど、その気が無くなって絶やしたつもりだったハーブ。

 (2022.12.25)



あばら雲
一時間後は
消失し



私の造語。

 (2022.12.28)



ローズマリー
海から遠く
咲き至り



ローズマリーは「海の雫」ともいう、地中海原産のハーブです。

 (2022.12.29)



背後では
荒れ果てたるや
祠かな



地域の絆だったのでしょうが、今は荒れ果てています。

 (2022.12.29)



白い毬
花期の長きや
名無し草



「小手毬」かと思いましたが、花期が違う。可愛い花です。

 (2022.12.30)