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厚生労働省は、実に分け隔てなく国民に接する。特に、一般国民にはあまり知られていないが、マルフクというホトケ様のような制度がある。私の知る範囲では、精神障害者の救済制度なのだが、「厚生労働省が決めた期間において、(注:それ以外は決して認めないが)ちゃんと年金の掛け金を払った(これは本人が払っていなくても良い)」精神障害者には、精神科の医療費はもちろん、他の診療科、たとえば内科、歯科、皮膚科、すべての診療科の医療費が、課されないのである。これはスゴイ。医療費免除のオン・パレードである。もちろん、障害年金も貰える。
実は私も精神障害者であり、その決められた期間に年金の掛け金を、自分で払えず、冷酷な父親も出してくれなかったので、障害年金は、何度申請しても認められず、体を酷使し、精神障害者であることを会社に隠して、働き続けなければならなかった。(こういうのをクローズド労働という。)精神科の医療費はさすがに軽減されるが、マルフクは当然適用されない。
さらに、極めつけ、私が定年後貰える年金額は、月額3000円になっていたそうだ。ただ、障害者についての特例があるというので、精神科医院に1万5千円も払って診断書を書いてもらい、申請した結果、かろうじて月額3万5千円の国民年金受給額になったと、社会保険事務所の職員に聞いた。おいおい、いくら貧乏暮らしに慣れている私でも、月3000円では野垂れ死にするだけだ。
このように、厚生労働省は、全ての国民に平等に接する、ホトケの省庁だ。とくにマルフクという制度は、とっても平等だ。精神病院、自立支援A型施設などで、多くの精神障害者と付き合った私から見て、精神障害者の大部分は、こんな厚遇に相応しくない「デクノボウ」ばかりだ。私は東大工学部を出て、多くの社会貢献をしてきた。一例として、東京都議の政策スタッフとして、都の水行政に一定の正の貢献をした。その他もろもろ。(最近は、自衛隊に、特に言語とそれを使う民族の興亡の興味深い連関性についてレクチャーした。)私のことは、朝日新聞の天声人語にも取り上げられている。(発病前)それはそれで、私はVIPなのだ。私が精神を患ったのは一種の事故であり、それでも行き着く先が月3000円の国民年金。なんて厚生労働省はホトケなんだろう。
社会保障費の増大が、消費税や保険の掛け金の増大を余儀なくするという論理は、厚生労働省や財務省の「金科玉条」だが、その実態は、マルフクを見れば解る。ハッキリ言おう、精神障害者の一部、痴呆老人の一部など、ほんの一部の国民にのみ厚遇を与え、ほかの大部分の国民を冷酷に切捨てるという、棄民政策を取っているのが、厚生労働省や財務省である。(限定せずに言えば、全省庁がこんな意識なのだろう。)不公平極まりないマルフクという制度は即座に廃止するのが妥当だ。あんなに、一人の精神障害者があらゆる診療科で無料になる、という設定をしていたら、社会保障費がいくらあっても足りないのは、いくらこれら省庁の官僚が東大法学部出身のデクノボウでも、解るだろう。一事が万事で、全ての社会保障を仔細に検討すれば、マルフクのような制度は山ほど確認できるに決まっている。
最後に。2025年5月20日に、私が太田社会保険事務所に行ったとき、ペットボトル600mlに入れていた水がなくなったので、水を所望したら、職員が便所を指定したので、行ってみたら、チロチロと、ジジイのションベンのような手洗い水しか出なかった。東大工学部卒の私は、ヤクザのように烈火のごとく怒り、「ペットボトル一杯に水を持ってこい!」と建物の外にも聞こえる大音声で保険事務所所員に命令した。怯えた彼らは、職員専用の蛇口から!!水を汲んできたようだ。(私はインテリであると同時に、遊侠の徒・893なのだ。)
このペットボトルの一件でも解るように、公官庁は、例外なく、その外局も含めて、基本的に国民を舐めている。そうね、公官庁の奉職者は、一回全員首を切り、あらたに重複(や再任)のない人選をすればよい。首を切られたら、彼ら、彼女らはただのデクノボウ。マルフクを受給するか?
森下礼
2025.05.21
PS これを朝、書き上げて、即座に太田警察署に行って、市民相談の窓口で担当の警察官に見てもらったが、「酷い話ですね。どこかに伝えたほうがいいですよ。」と彼は仰るので、「もちろん、国民民主党と参政党に送るつもりです。」と答え、21日午後に実行しました。私の経歴のところで、「自衛隊にレクチャーしたこと」も追加記入しておきました。
ご挨拶
これまではてなブログで20年、tumblr. Blogで3年、全力疾走でブログに励んできました。そして前回、前前回の「松久家の兄弟 (1)(2 )」で私の家族内的モチベーションを、そして今回の「マルフク」で社会的モチベーションをそれぞれ語り尽くしたと考えます。また、ブログにおける筆法も極め尽くしたと考えます。ピークを極めたのです。そういうことなら、画家:速水御舟に倣い、別のピークを目指してブログの世界から足を洗うのが最適解と考えます。この「マルフク」を最後のブログとして、私はIT空間を去ります。これまでご縁のあった方々、ありがとうございました。Auf Wiedersehen!Good Luck!Au revoir!
種明かし/ロプロス:フランス、ポセイドン:イギリス、ロデム:ドイツ
横山光輝はよく手塚治虫と比較されるが、by far, 横山光輝がより本質的で愉快なSFを描く。手塚治虫も無能ではないのだが、「なんちゃって民主主義」に毒されていて(私が今考えた造語)、SFを構成するには、余計なファクターを抱えているので、つまらぬ作品を五萬と描いている。横山光輝の「バビル2世」は、すくなくとも、今現在2025年時点での私の達成点を見事に明示している。まさしく、ロプロスとはフランスのことである。以下同文。この作品は、どう控え目に見ても、白土三平の「忍風カムイ外伝」とデッドヒートを演じて、日本アニメのツイン・ピークスである。
忍びのテーマ(忍風カムイ外伝)
忍風カムイ外伝:日本で、もっとも優れたアニメーション
このアニメーションは、普通のアニメーションではない。日本文化の1つとして、欧米人にもよく知られる「忍者」の影の側面を、堂々と、はっきり表現している。天才忍者:カムイは忍者の世界に耐えきれず、「抜け忍」になり、忍者組織に追われる毎日。心ならずも、追っ手を殺し、辛うじて生き延びている。そして、カムイは最強の追っ手:五ツと対戦して敗れる・・・
だが五ツは、カムイを殺さず、見逃す。それは必然的に、五ツも抜け忍となり、命を狙われる立場になることを意味する。カムイはいわゆる「アンタッチャブル」の被差別民の出、五ツは、腕が3本ある奇形児だったのだ。それで2人とも、忍者になったのだった。五ツの言うことが振るっている。「お前を殺したら、(カムイの飼っている)可愛い鷹が悲しむだろう。」心優しい五ツ。
差別され続けてきたカムイと五ツ。その理由は違えど相通じる者同士、殺し合わなかったのは救いである。それにしても五ツは、「悟った暗殺者」だ。自分の死さえも相対化している。カムイにとって、良い出逢いだった。たぶん、この2人、生き抜くであろう。
“カムイ”は、傑作。第5話“五つ”は、傑作中の傑作。「忍風カムイ外伝」は、なんとあの長寿番組「サザエさん」の直接の前番組。ただ、話の完成度、凝集度を考えると、「サザエさんを全話合わせても、カムイ外伝1話にとうてい及ばない。」これは私がYou Tubeに書いたことです。
ブログ最後の一句
結婚は
男が損する
一大事
Oh,Wedding-
It’s An event only female
becomes happy
私は、一生独身を貫く。ある種の優れた男性は、たった一人の女性を幸せにする暇とエネルギーを、そんな愚かなことに浪費せず、真理の探究および人類一般の福祉のためにこそ振り向けた。円の研究に没頭してローマ兵に殺されたアルキメデスこそが私の師。ああ、私はなんてナルシスト!!
2025.05.23
松久義也(森下礼)