松久家の兄弟(1)目覚めた蛇と眠れる亀
誰が描いたか不明だが素晴らしい玄武
松久兄弟は趣味が似ていて、兄の松久義也は、東京大学工学部の卒業論文で中島敦の「李陵」を、論文の中休みの話題に取り上げた。その数年後、弟の松久賢二は東京経済大学の卒業論文でやはり中島敦の「弟子」をメインテーマにした。「李陵」と「弟子」は、日本最高の小説家中島敦の最晩年の2大傑作であり、義也にとっても賢二にとっても取り上げる必然性の大きな2作品だった。
最近、2人でこれらを評価すると、「李陵」は「戦争」がメインテーマ、「弟子」
は「教育」がメインテーマだ。「李陵」の作品世界では、主人公司馬遷は命がけの戦争を戦い抜き、「弟子」では優しく厳しい師:孔子の下でとにかく成長する弟子:子路の悪戦苦闘を描く。
目覚めた蛇:松久義也は幼少のころから天才と呼ばれ、成人してからも多くの業績を多分野で残しているが、蛇は世間で尊敬される龍と同等の能力を持つのに、いかんせん「忌み嫌われる」。眠れる亀:松久賢二は、兄に匹敵する潜在能力があると思われるが、いかんせん嗜眠し、60歳を超えた今となっても、まだ寝ている。松久義也の強烈なプッシュによって、目覚める兆しは認められる。すなわち、生まれて初めて共同で実験し、「デーツフランスパン」を共同で創造したのだ。賢二は、必ずこの理科系体験を生かせるだろう。
さて、兄の義也は、それまで長年続いた兄弟の共同生活の解消を宣言し、弟の賢二はそれを受け入れ、家を出た。それを受け、義也が整理整頓の遅い弟の持ち物をチェックしていたら、「子路が見ていた物」(たぶんそんな題名だった)の草稿が出てきた。一瞥すると、賢二の立場は一貫して「傍観者」だったことが解る。
家庭の事情で、義也が母:保子に虐待されていたときも、賢二は傍観者だった。この状態は、義也が恨み重なる父:友行に殴る・蹴るの暴行を加えたときに、賢二が必死で義也を止めに入るまで続く。さすがに、兄思いの弟:賢二は、兄義也が殺人者になることは看過できなかったのだ。このとき、賢二は一瞬「目覚めた」。この際、2人とも、鬼畜:友行のことなど、なにも気に掛けてなどいなかった。
松久賢二の卒業論文を検討すると、賢二は孔子=子路の師弟についても傍観者だった。決して子路に感情移入などしていない。孔子と子路には大きな境地の隔たりがあって、その達成度の違いはあるものの、「この師弟は“同一者”であると考えられるのではないか」。賢二は孔子や子路に憧れるが、傍観者に留まる立場からは脱していない。因みに義也は「李陵」への言及で、非運に襲われた司馬遷と義也自身を同一視した上、他人から見たら、恥ずかしいほど涙するくらい感情移入して「自分が司馬遷だったらどうするか」と考えていた。ここまで立場の違う兄弟も珍しい。勘ぐれば、松久賢二の論文は、「兄・松久義也への憧れ・傍観を描いたもの」だったと言えるかも知れない。
中国の陰陽五行論における四神のうち、北・冬・夜・塩辛さ・黒色・「水」を支配する「玄武:げんぶ」は、蛇と亀が合体したもので、他の青龍、朱雀、白虎の3つのどれより強力で、最強の四神と呼ばれる。確かに蛇と亀は攻防一体、戦争に強い。これまで、義也と賢二の兄弟はそのように戦ってきた。
ちょっと良い話:当時4歳の義也は、賢二が誕生したとき、可愛いと思い、「お前がオレの弟か、よろしくな。」と、まだ耳も聴こえぬ弟に語りかけた。いまでも義也は賢二を可愛いと思っている。
松久家の兄弟(1) 了
森下礼