虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

日蓮の錯誤:国を救いたいのか、布教したいのか?

日蓮の錯誤:国を救いたいのか、布教したいのか?


初めに:私は無宗教です。もし死んだら、葬式はせずに、県内の国立大学医学部に遺体を提供し、研究用に解剖してもらい、あとは共同遺骨置き場に置いてもらう:「献体」の契約をしています。私は、どんな宗教であれ、どんな宗派であれ、葬式をしてもらう積りはありません。そんな立場で、以下の文章を書きました。



私は、小学校中学年の頃だけ、日蓮(にちれん)が好きでした。特に、いくら鎌倉幕府の迫害を受けても、屈せず布教活動に邁進する、その悲愴さが。そして、あわや処刑されそうになっても、その場で俄かに稲妻が落ちかかり、刑の執行が猶予された故事(竜の口の法難)などには心揺さぶられました。――この人、超能力者?(とも考えたか、どうか)


そのあと、日蓮については意識の外でしたが、私が30歳目前で大病を患い、入院したとき、ちょうど創価学会の人と仲良くなり、学会が発行している『教学の基礎』(昭和63年版)という教本を彼に頂き、読んでみたところ、当時の私には適切な事柄が書かれていると認識し(例えば「因果倶時:いんがぐじ」という言葉、将来身に降りかかる事柄は、すでに何事かを起こした際に、既に確定している、といった意味です。原因は、そのまま結果を指し示すというわけです。)、そのインパクトで、それまで心の支えにしていた『老子』をも捨ててしまおうか、と考えたほどです。


ですが、ほかの項目も読んでみて、「一念三千」という言葉に引っかかり、この言葉の無意味さを感じとるに及び、創価学会に入信するという行動は起こしませんでした。この言葉、仏教者(特に法華経を根本経典とする仏教の一派:天台系)が大好きな「足し算、掛け算を使う」数字遊びに過ぎず、数学ならぬ算数が出来ることを、無知蒙昧な庶民にひけらかすという意味しかない言葉なのです。(「♪京都~大原~三千院~」という歌は、たぶんこの用語が元になっているのでしょう)結局、ちょっと創価学会に傾きかけたけれど、私は老子を捨てませんでした。『教学の基礎』140Pに、こう書いてあります:


衆生の一念に十界がそなわり、その各界にまた十界がそなわって百界となり、百界のそれぞれに十如是がそなわって千如是となり、その各々に三世間となるということで、結局、この三千の諸法が一瞬の生命にそなわっているというのです。」


この記述を見た知人、「わけわからん」と言っていました。算数的には
「10×10×10×(1+1+1)=3000」  ということでしょう。


さて、小学生の頃、私が好きだった日蓮鎌倉時代当時の心理と行動について考えてみましょう。『立正安国論』を書いたとき、彼は2つの乱が起こることを警告しています。すなわち法華経に則らなければ、「自界叛逆難」(内乱)と「他国侵逼難」(外国から攻められる)が起きるということです。ところで彼は自分の説く法を広めたかったのでしょうか?それとも日本を未曾有の国難から救いたかったのでしょうか?もちろん両方だと思います。でも、それは彼の錯誤(誤り)だと考えます。どちらか一方を行うべきだったのです。もし、元寇(げんこう:巨大王朝:元が2度にわたり、日本を攻めて来た戦乱)に備えるのを、当時の支配階級である鎌倉武士に進言したかったのであれば、彼らが篤く信奉していた禅宗の高僧になり、その上で進言すれば、彼らも素直に受け入れたでしょう。


それなのに、「禅天魔」と禅宗をけなしていたのでは、武士の怒りを買うのは当然です。それなら、元寇には関係なく、法を説けば良かったのです。いわゆる「法難」は、だれのせいでもなく、日蓮そのひとが呼び寄せたのです。「二兎を追うもの、一兎も得ず」ですね。まあ、日蓮にしてみれば、彼の法の布教と、救国の志が不可分であったというのは事実なのかも知れませんが、彼はあまりに敵を作りすぎました。頑ななまでの法華経第一主義によって。(もっとも、私自身の、法華経の評価自体は高くないです。縷々(るる)述べて来た末に、「釈迦出世の本懐」という一大事を記述して、結局「解らん」と結ぶなら、達磨大師の言葉「不識」というたった2文字で足りるのです。)



今日のひと言:当時の武士が帰依していた禅宗では、「不立文字:ふりゅうもんじ」といって、悟りを得るまで仏典に食らいつくが、いったん悟ったら、仏典を忘れる、という態度が良しとされましたが、この点に日蓮は噛み付き、「経典を大事にしないのは、高慢で悪魔のような態度だ」とするわけです。このように、当時の既存の仏教をことごとく貶す言葉に「四箇の格言:しかのかくげん」というのがあり、禅宗への罵倒の言葉が「禅天魔」なわけです。「法華経」にのみ則り、そこからちょっとでも違う立場の仏教は、すべて排斥の対象にする、これが日蓮の基本的な態度です。そりゃ、方々から嫌われるわな。この妄執は特筆物です。そして、日本で生れた新仏教の中で、教祖の名称を流派の名前にするのは、たぶん日蓮宗くらいのものでしょう。自己顕示欲が日蓮にはあったのかな?(中国の場合、禅僧の名を冠した「臨済宗」「黄檗宗」などがあります。)


ちょっと補足すると、私は釈迦その人が書いたといわれる文章を読んだことがありますが(たしか岩波文庫で)、上で述べた「一念三千」などと言う数字遊びなどは一切出てきませんでした。大体、釈迦没後数百年後に成立したいわゆる「大乗仏教」が、釈迦の正当な後継者である、とは客観的には言えないと思います。法華経も、大乗仏教の経典に過ぎません。しかし、大抵の仏教者が、「自分、自分の宗派こそが釈迦の唯一の正当な継承者だ」と言ってきた歴史があると思います。古来そうですし、現在の新興仏教もそうです。「末法思想」と、そのセット語の「下種仏教」などは、自分こそ世を立て直す者だと宣伝するための仕掛けに過ぎません。あの時代が良くて、この時代が悪いなんて議論は不毛です。どんな時代でも、悟れる人は悟れるし、出来ない人は出来ないだけです。


さらに:大乗仏教は、紀元後1世紀の間に成立した新興宗教で、おもにインド、チベット、中国、朝鮮、日本と言うように伝わったもので、北伝仏教と言われ、言語はサンスクリット語チベット語、漢語などです。そしていわゆる小乗仏教はインドからスリランカ、東南アジアに伝わり、南伝仏教と言われます。言語は古代インドの言語:パーリ語です。でも、小乗仏教という言葉は大乗仏教の陣営が、勝手に名づけた差別語で、現在は使われていないようです。より正しくは「上座部仏教」と言います。大乗仏教については、日本の江戸時代に「大乗非仏説」という議論が起きたそうです。この大乗仏教と、上座部仏教を比較すると、より釈迦の教えを正確に伝えているのは、後者であると言えそうです。(この「さらに」の文章の、法華経大乗仏教上座部仏教の記述はwikipediaを参考にしました。)



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仏教伝来図(wiki)

説明:黄色は漢語訳された大乗仏教、オレンジはチベットからの大乗仏教、赤は上座部仏教
ベトナムは、東南アジアの国なのに、漢語系です。




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老子 (中公文庫)

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今日の一品


@干しシイタケいり焼きそば


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休日の昼食。干しシイタケ(手作り)、ザーサイ、キャベツ、豚肉を炒めたあと、麺、粉末ソースなどを加えてさらに炒める。彩りにミニトマト、紅ショウガ。

 (2020.09.06)



@ナス煮


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よく使う手ですが、前日に何かを煮た液を転用します、切りそろえ、アク抜き、煮汁に入れて、煮込み、最後に山椒を加えます。煮汁の成分は、醤油、オイスターソース、青しそドレッシング、コチュジャン、蜂蜜でした。

 (2020,09.07)



@茹でカルビの青じそドレッシング付け


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肉の赤身がなくなるほど茹でて、皿に取り、青じそドレッシングに付けて食べる手抜き料理です。でも美味しい。

 (2020.09.09)



@山山和え


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雲南百薬


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今年初の収穫の雲南百薬(オカワカメ)とキクラゲを一緒に茹で、ごま油、醤油、かつお節で和えました。雲南と言っても、南アメリカ原産。モロヘイヤより栄養価が高いとされます。ワカメ、クラゲは海のものですが、山のもの同士を合わせたので山山和え。

 (2020.09.11)







今日の二句


鶏とさか
赤く熱され
争えり


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ケイトウ(鶏頭)のことです。

 (2020.09.07)



きっとして
ムカシヨモギ
花咲けり


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たしかヒメムカシヨモギと言いました。キク科。今日は「重陽節句」(菊の節句)です。

 (2020.09.09)




バンクシー小劇場

蛇:オスは2又に分かれたペニス(ヘミペニス)を持っている。メスのヴァギナも2又だ。
SEXする時はこの両性器を結合させて、長い時には絡み合いながら数日まぐわう。

  (2020.09.09)