『噂の眞相』(月刊誌)と私:誤解の多い雑誌
私は『噂の眞相』という、現在休刊中の雑誌と縁が深かったです。この雑誌、「お下劣で汚らしい」というイメージを持つ人が、私のブログ友達の中にもいて、この場合、マスコミという物を知らずに、不快感を持っていたのだろうと思われます。この雑誌は、噂、ゴシップの展覧会という色彩を、確かに持っていましたが、それに留まらず、世の中の「権威」と言うものにも、反旗を翻し、果敢に戦いを挑むというスタンスを持っていました。
実に、証拠を掴んだ上、時の内閣総理大臣:森喜朗が、「買春」をしたことがある、と誌面にぶち上げ、裁判沙汰になりましたが、なぜか裁判所の判決は、『噂の眞相』側の敗訴。裁判所には、首相の悪行を隠す意図でもあったのでしょうか。正義は向こうにはないのに。また、検察のメンバーの悪行も誌面に載せ、これも裁判沙汰になりましたが、こちらは『噂の眞相』側の勝訴・・・喧嘩を仕掛けて、検察にも勝ったのです。(検察庁の高官の辞任を導きました。)
なぜ、こんな離れ業が出来たか、というと、『噂の眞相』は、マスコミの仕組みを熟知していて、どんな雑誌でも、広告収入がないと、雑誌が維持できない、という大きな制約があり、最近大スクープを連発している週刊文春といえども、広告、および広告主の意向には逆らえないのです。『噂の眞相』の場合、広告収入はまったくと言って良いほどにオミットし、実売部数のみで勝負する選択肢を選んだのです。これによって、広告主の顔色を覗うことなく、「戦闘的な誌面作り」に専念できたというわけです。
また、紙面上に、匿名座談会というコーナーがあって、いろいろな立場、出版社の現役ジャーナリストが集まり、勤務先ではマル秘あつかいの事案を語り合うというユニークさでした。
以下に挙げるのは、休刊間近の時点で、『噂の眞相』20年史というテーマで、投稿が募られた際、私が投稿し、採用になった文章です。
『噂の眞相』と自分史 森下礼
’81年、「東大マスコミ研究会」を旗上げし、『噂の眞相』編集長:岡留安則氏と他2氏を招いて、新入生歓迎企画として「ミニコミの現在」というテーマのティーチ・インを開いた。サークルの宣伝、およびティーチ・インの企画もまずまずで、参加者が結構くることを期待していたのだが、来たのは2、3名で、豪華なゲスト陣には淋しい思いをさせてしまった。後に岡留氏から「気を落すな」と言われたが、「東大にはマスコミ研は似合わないのか」と思いつつ、サークルとして2、3回集りを持った。しかし私本人がやる気を失ってしまい、サークルは自然消滅した。この時、メディアにかかわる難しさ、恐ろしさを味わったのだと思う。
私は本来の専門、都市工学科:衛生コースの学生として勉強をすることにした。上・下水道、環境問題、特に「水」にまつわる諸問題がテーマだった。卒論は「トリハロメタン生成状況」という題名で、水道水を塩素処理することによって生じる発ガン性物質トリハロメタンが、東京と千葉の一般家庭の蛇口でどの程度検出されるかという研究だった。(ちなみに今話題のダイオキシンも、トリハロメタンに近縁の物質である。)卒業後は、東京都議(当時)のIさんの政策立案スタッフをしていた。都の水政策に一定の影響を与え得た仕事だった。
‘87年、それまで考えていたことをまとめ、『狼なんかこわくない――災害を見切る』という小冊子を書いた。この小冊子は、中国哲学、特に『老子』と『易経』を駆使して、「人間の存続をおびやかすもの」と広く捉えた災害について考察したものである。(地震、水害、戦争のみならず、飲酒、喫煙などについても守備範囲。)この本は、マスコミに発表することはせず、会員制をとり、一口1000円以下のカンパなり情報なりを与えてくれた人に無料で配布した。人から人への伝達のみとしたわけである。配布後はどう使っても自由、という具合だ。理屈の上では、この小冊子一冊で世を変えられると考えていた。しかし、本をまわし読みする人もいたが、大抵の人は死蔵してしまい、目論見通りには行かなかった。(当然といえば当然だが)
配布後は群馬県下の山中で2年半ほど山暮らしをした(‘89年まで)。杉の管理、畑作、炭焼き、紙すきなどを学んだ。山を降りた後はごく最近まで工場労働者をしていた。この間は『噂の眞相』はほとんど読んでいない。マスコミからは意識的に距離を置いていた。
さて、‘98年末になって、「狼なんかこわくない」を出版しようと思い立ち、現在準備中である。マスコミから離れていた私も、再びマスコミに向かい合う時が来たと言えよう。『噂の眞相』も創刊20周年とのこと、長い歴史である。私もその中の一コマなのだと考えると、感無量である。
今日のひと言:この投稿は、『噂の眞相』1999年4月号に掲載されました。題名は「編集長と出会って以降の人生」と改題されました。休刊、経済的には、度重なる裁判沙汰の割には、黒字で勝ち逃げしたそうです。なお、岡留安則氏は、2019年に他界されました。ご冥福を祈ります。
- 作者:岡留 安則
- 発売日: 2005/01/14
- メディア: 新書
“スキャンダル雑誌”創刊物語―『噂の真相』編集長日誌〈1〉 (現代教養文庫)
- 作者:岡留 安則
- メディア: 文庫
- 作者:西岡 研介
- 発売日: 2009/07/03
- メディア: 文庫
今日の一品
モーカをシャトル・シェフで煮込み、ローレル、ヒソップで香り付けしましたが、時間が足りず、モーカそのものの風味になってしまいました。失敗。
(2020.08.31)
@大根の一夜漬け・ナツメグ風味
名前のとおり、野菜を塩で一晩漬けた食べ物です。アクセントとしてナツメグを使いました。夕方出したのですが(朝の取り出しを忘れていて)、塩からすぎなく助かりました。
(2020.09.01)
@モツ・タマネギ・クワの炒めもの
金華亭食品のほるもん(調理済み)と玉ネギ・桑の葉を炒めました。たっぷり油を敷いて玉ネギを炒め、色がついたところでクワの葉投入、さいごにモツを入れて炒めて降ろす。
(2020.09.03)
今日の詩
@おろし金のソネット
精神病院で亡くなった母は
料理は好きで台所用品を通販で
おびただしく買っていた。
たしか「平安頒布会」と言ったかな。
母が亡くなって30年以上
それらを使うことはなかったが
整理の意味で改めたところ、
鋭利なおろし金が見つかった
使ってみたらよくおろせる!
大根をすり、ジャコと和えたら
まだ病気ではなかった母に会えた気がした。
(ちなみに精神を病んだ母から
私は精神的虐待を受けたのだが)
おろし金、タイムカプセルみたいだな。
(2020.09.01)
今日の四句
二色花
あやかに語る
サルスベリ
(2020.08.30)
土くれも
夜来の雨で
息をつき
(2020.08.31)
桜葉の
落ちて天下の
秋を知る
(2020.08.31)
ツタ屋敷
上を覆える
ヤブガラシ
その内、ヤブガラシ屋敷になるでしょう。
(2020.09.01)
写真集
水路から引き揚げられた水藻
河原の怪訝な草(カラスウリが巻き付く)
サルスベリの落花