「マンガ日本の古典全32巻」(源氏物語):中央公論社の転身+中国を叱る(随想録―49)
「マンガ日本の古典全32巻」(源氏物語):中央公論社の転身+中国を叱る(随想録―49)
隔世の観がある。以前「中央公論社」と言えば、押しも押されもせぬ大出版社だった。若い頃、左翼青年でもあった、読売新聞社の主筆:渡邉 恒雄さんが、中央公論の入社試験に落ち、さすがに思いは残っただろうが、後年、中央公論社が経営危機に落ち込み、あわや倒産の事態になった時、渡邉氏は、中央公論に救いの手を差し伸べ、危機を救った。まあ、それ以後「中央公論新社」と社名をちょっと変え、いまでも存続しているのだ。
その中央公論新社の「ドル箱」になっているのが、このブログで取り上げる、表題のシリーズだ。このような叢書は、他にも手がけた出版社は多くあると思うが、なにぶん、大出版社、マンガ家として名の通った人たちが執筆している。そして32巻通算で470万部も売れているのだから、これはV字回復だ。渡辺主筆も鼻が高いだろう。なお、私は東京新聞(読売新聞とは犬猿の仲)の下段の書籍広告で、この叢書の存在を知ったのだが。(注:下記のように、実際本を見てみて、この叢書を出版したのは、まだ改名前の中央公論社名義だった)
ただ、私自身マンガクラブで、マンガを描き・評論していたこともあるので、マンガの質についてはしょうしょう五月蠅いよ。ラインアップを見ると、「古事記」(石ノ森章太郎)は、SFマンガの第一人者の石ノ森にぴったりであろうし、「奥の細道」(矢口高雄)は、東北で生まれ、その風土を愛して止まなかった矢口が最適だろう。絵も綿密だし。
上で述べたように、作画者の選定はおおむね妥当だろう。ただ、一つ、疑問の残る作品がある。3,4,5の3巻を占める「源氏物語」(長谷川法世)だ。長谷川の代表作は青年マンガ「博多っ子純情」であり、私は、彼の作品は、それしか知らない。正直、読みたい気にもならなかった作品だ。思春期の男子中学生の、「性」への目覚めを描いた作品である。たぶん心理描写の巧みさが中央公論社に評価されたものだろうが、その上で言うと、ミスキャストだったのではないか。「源氏物語」を甘く見てはならない。森鴎外、夏目漱石にしても歯の立たなかった作品である。谷崎潤一郎は例外として、「源氏物語」を現代訳に出来たのは、円地文子、田辺聖子、瀬戸内寂聴などの女性ばかりである。男性の青年マンガ家の手に負えるとも思えない。
そこで、図書館から、その3巻を借りて読んでみたが、その感を深めただけだった。女性マンガ家なら、ハイライトシーンの一つとして必ず取り上げるであろう「若紫」の、源氏と美少女(のちの正妻・紫の上)の出会いのシーンは、解説の文章で取り上げただけで、オミット。また物事の推移を描くだけで、登場人物の心理描写はおろそか。大事なことは短歌という文字で代弁させる。平安期の「うりざね顔」に準拠して、登場人物が、みんな同じ人間に見える。これらの作画方針は、マンガによる自由な表現を放棄しているとも言える。
その源氏物語自体が、光源氏の死後、彼の子孫たちが織り成す物語の最後で「男と女は結局解りあえない」というテーゼで結ばれているのだ。(宇治十帖「夢の浮橋」:ただ、このマンガでは、この部分はオミットされている)男性のマンガ家には手に負えそうもないのに、ほかの、女性マンガ家が適した作品のマンガ化だけは1流の女性マンガ家に任せておいて、肝腎の「源氏物語」だけ、2流の男性マンガ家にやらせたのは、失敗ではなかったか?
(2022.10.24)
古くて常に新しい『老子』と新しくて常に古い中国(前書き)
「古代自由思想の巨星:中公文庫」、老子は、そのひとの存在自体が疑われる思想家ですが、500年BCの孔子と同時代人であるという説もありますし、紀元前200年BCの孟子と同時代人であるという説もあります。
でも、『老子』の思想は古びて詰まらないものかと言えば、この思想は時を超えて常に新しいのです。例えば、北朝鮮の、ひと握りの貴族が、国民が命を繋ぎうる食糧もないのに、宮廷では美食に浸り、サーベル(この場合はミサイルになります)をガチャガチャさせているという戯画を老子は描いています。
その中国ですが、現在の姿はまさしく習近平による「専制国家」です。習=周王朝といえるでしょう。「革命」という言葉は、『易経』から採られたものですが、ここには、最終的な革命の成就は、また別の皇帝が生まれると言うことであり、皇帝はなくならず、別の皇帝を生むだけのことです(易姓革命)。国民には、自治意識、表現の自由が両方とも与えられることはありません。
こう見て来ると、中国は新しいと見えても、常に古い国家なのです。この土壌では、『老子』を理解できる現代の中国人はほとんどいないでしょう。兵書の『孫子』などは、共産党や人民解放軍はよく研究していて、孫子の逆説的な表現「兵は詭道なり:軍隊は相手を騙すことである」という類のことはよく吸収しているようですが、「政治は正を以っておこなう」という孫子の別の言葉に反し、通常の政治でさえ、他人、他国を欺くためにこそ、中国は実践しているのです。
私は、古代中国の思想の偉大さと、現代中国の卑小さを同時に知る者として、中国の真実を明らかにし、彼らがまっとうな道を歩けるように、論を立てようと思います。
仮題:中国を叱る―都市工学者の見た中国文明
@私はこの1年6か月、本を商業出版しようと、いろいろな出版社と交渉して来ましたが、不可能になったので、ここでその本の「前書き」を掲載します。@
(2022.11.02)
今日の6句
枝を打つ
だけでは足らず
切株に
よほど柿の嫌いな持ち主だったと見える。干し柿は、いざというときの食糧になるのに。
(2022・10.06)
立看に
浅い信条
見て取れる
自民党系の議員のもの。「未来への責任」をどうする積りか、まったく不明。
(2022.10.08)
銀杏並木
冬の姿が
垣間見え
(2022.10.08)
無住なり
人がいたこと
やや解る
私の散歩道には、空き家が多い。
(2022.10.08)
保育園
運動会の
歓声や
(2022.10.08)
アサガオの
残した種が
ひっそりと
(2022.10.08)