『和泉式部日記』:いがらしゆみこ~一人の人物の幻影に翻弄される男女(随想録―66)
ここで言う男女、女はもちろん歌人・女官の和泉式部だが、男は敦道親王(帥宮:そちのみや)という、立派な皇子である。この一組の男女の「愛の贈答歌」で、物語が織りなされる。
(「マンガ日本の古典」シリーズ:中央公論新社の一分冊)
ここに、この両者に縁の深い人物に、為導親王(弾正宮)がいる。この人は、和泉式部の以前の愛人で、この物語のなかではこの世の人ではない。そして、為導親王は、敦道親王の実兄である。兄の愛人だった和泉式部に興味を持った敦道親王は、思わせぶりに「橘:たちばな」の香る枝を和泉式部に贈る。ここから、10か月にわたる2人の「愛」の記述が始まるのだ。
この経緯は重要で、物語の全般を、為導親王の影響下に置く。ある意味、男女とも、もともと、為導親王の「愛人」「弟」である相手に興味本位で近づくのだから、動機が不純であるとも言える。少なくとも、為導親王というフィルターを通してしか相手を見ていないので、本当の姿は、お互いに永遠に解るまい。
そんな不明晰な2人の中でも、和泉式部は底意地が悪い。よりによって、兄宮の為導親王の菩提を弔うとして、琵琶湖畔の石山寺(紫式部が『源氏物語』を執筆したことでも有名)に籠ってしまう。敦道親王を試しているのだ。なかなか京を出られぬ敦道親王は、じらされつつ頻繁に文を贈るのだが・・・山を降りる意志はないと言いつつも、和泉式部はあっさり山を降り、最後は敦道親王の許へ行く。そして彼の正妻は家を出る(!!)。敦道親王が病没する4年間、2人は幸せに暮らし、子供も設けたらしい。
このマンガの担当者は少女マンガ『キャンディ・キャンディ』(中年以上の女性には懐かしいだろう)で名高い「いがらしゆみこ」。でも、和泉式部がここで書かれた通りの女性だったとすれば、私は和泉式部が嫌いになるな。頭が悪く、鈍感で、その上、意地悪。
最後に、和歌を書いた文を届ける役割を演じた、親王の従者「小舎人童:ことねりわらわ」について書いておく。この美少年は、文を届けるために、琵琶湖畔と京を、一日に何度も往復する苦労を味わう。和歌を書くには筆と墨しかいらないが、届けるには足がいる。いい年をした勝手な男女の「愛のキューピット」を演じたこの童に、私はエールを贈りたい。(ちなみに、和泉式部にも従者に女の子がおり、小舎人童はこの子と“いい感じ”だった。)
ひとり暮らしの妖精たち(大貫妙子)
(2022.12.06)
今日の7句
ハクモクレン
既に花芽を
抱きけり
(2022.11.29)
朝まだき
黒い化粧の
赤城山
(2022.11.30)
ユズの実の
香り高そう
鈴なりに
(2022.12.01)
(2022.12.01)
冬のコケ
永遠青く
ありぬべし
(2022.12.02)
ヤーコンの
地下には甘い
根が隠れ
梨のようなほのかな風味。
(2022.12.03)
大根が
鎮座まします
豊か畑
(2022.12.03)