老子問答その9:「想像」は「創造」の誤りでした/「詩経のお話」
**老子は古代中国の哲学者。図書館の司書をしていたが、当時の王朝が衰微したのを感じ、西方に向かうとき、関所の役人・INKI(いんき)にリクエストされ、「老子」上下2編を著したと伝えられます。以下は老子初心者の友人とのやり取りの一節です。今回も3回シリーズ。その最終回。
有と無+用のお話ありがとうございました。
ところで、昨日のメールで訂正の個所がありました。
「想像の源の」そうぞうは「創造」と書き直すつもりでしたが書き直しそびれて送信
してしまいました。でもまあ、考えてみると「想像」でもそんなにかけ離れていない
ようにも思えますねえ・・・。
(中略)
そうそう、有と無は見えるものと見えないものとも、置き換えて考えてみることは出
来るなと思ったけど、それは、森下さんが「災害の芽を摘む」にも昨日のメールにも書
かれていた「はたらき」のようなもの__という感じもしました。
それから、「何もない」の意味の「無」と、「・・・を超える」意味の「無」、どち
らも考えさせられますね、ほんと・・・。
「易経」「老子」もあるけど、「災害の芽を摘む」もまたまた読みたいのよねー。
ガーデニングの話が出たら、ガーデニングについて書いてたとこ読んでみるとか、
今はそんな感じで、「災害の芽を摘む」をなでなでスリスリしています。
(注:「災害の芽を摘む」は、私、森下礼の著作です。)
(05.06.28)
そうだったの、違和感ないね
(レス)「そうぞう」とは「創造」だったのね。「想像」と書いても違和感がなかったの
は、私が少々いい加減な読み方をしたからだろうか?――でも「想像」でも意味は通
じるね。老子の話は今日は手短かにしておきます。(05.06.28)
詩経についての疑問
「老子」32章を読んだのですが、ここも無名のものや人為を加えないものの価値を
うたっているようですね。ここにも、道を信頼して生きる生き方が示されています
ね。だいたい老子の言いたいことがわかってきたような気もしますが、まだまだ、8
1章まであります。これからも書物の冒険をしてまいります。
ところで、35章を今読んで、注釈のところに「詩経」の中の言葉が出てきます。森下さんが「詩経」についてあまり語らないのは、掲示板(注:当時あったある人の掲示板)にも書いていたとおり、漢詩と
いうものを、あまり評価してないからでしょうか?(05.06.29)
回答
(レス)老子33章、34章は、これまで読んで理解したことから、だいたい納得できる章だと思います。あなたが言う35章は、34章のことだね。この章の注釈に「詩経」
のことが言及されていますから。(汎は、広大無窮なさま。しかしこの章では「詩経」(邶風(はいふう)の「汎たる彼の柏舟」のこととの意に取れると、注釈にあります。)私が「詩経」についてあまり語らないのは、語れる
ほど読んでいないことが理由です。私が否定する、李白、杜甫など唐代前後の詩人の
詩については、掲示板に書いた理由で否定しますが――繰り返すと、漢字のイメージ
喚起力によりかかり、技巧は凝っているけど、中身がない――といった根拠です。と
ころが、「詩経」は言ってみれば「民謡集」といったもので、民衆の飾らぬ風俗を、
愛情をもって孔子が集めて編纂したものです。なかには、恋仲の男女の語らいといっ
たほんとに微笑ましい詩もあり、じつは詩人としての私自身、詩経は嫌いではないのです。これが
回答。もし詩経が読みたければ、単独では岩波文庫にあるかも知れないし、中国文学全
集のシリ―ズなどを借りるか買うかするべきでしょう。(05.06.29)
タゴールの詩
「老子」も「易経」も昔からの中国の、知恵ある人達の、知恵と、宇宙の原理を学ん
でいるような気がします。
我が家の書棚にタゴールの詩集があって、中でも好きな詩のページに栞を挟んでいた
のだけど、その詩を読んで、ちょっと「老子」の道に似たところがあるかなあ、とい
う気もしたので、その詩を書きうつして送ります。
「路あるところでは」
路あるところでは私は私の道を見失う
大海には 青空には どんな道も通っていない
道は小鳥の翼の中、星のかがり火の中、移りゆく季節の花の中に隠されている
そうして私は私の胸にたずねる__お前の血は見えざる道の知恵を持っているかと。
(05.07.02)
詩の感想
(レス)タゴールの詩でいう「道」は、宇宙の根本原理をさすようで、その点は老子の
「道」と似ていますね。「路」といういいかたの言葉と使分けられていることから、
「路」が普通に言う「道」を指すようですね。ここで、ひとつインド語(ヒンディー語)を勉強して、
原文ではどんな言葉が使われているか知るのもいいんじゃない?
(05.07.02)
老子に関する過去ログ(Click Please)
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20070808 :老子問答その1
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20070813 :老子問答その2
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20070818 :老子問答その3
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20070902:エタノール車と「小国寡民」
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20071126 :老子と「無為自然」
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20080320:老子問答その4
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20080330:老子問答その5
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20080409:老子問答その6
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20081013 :老子問答その7
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20081023 :老子問答その8
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詩経の詩の一例
「詩経――中国の古代歌謡」(白川静:中公新書)によると、男女の交流を示す詩として、以下の例が挙げられています。なお、女性は意中の男性に「果物」を投げつけ、男性はその返礼として、身につけていた宝石を投げ返し、永久の愛を誓うのだそうです。
我に投ずるに木瓜を以ってす これに報ずるにKEIKYOを以ってす
報ずるにあらざるなり 永く以って好をなさむとてなり
我に投ずるに木桃を以ってす これに報ずるにKEIYOを以ってす
報ずるにあらざるなり 永く以って好をなさむとてなり
注:KEIKYOとかKEIYOとかは宝石の種類を示すそうです。変換が困難なのでローマ字表記にしました。
さすがは詩、1行と3行、2行と4行が韻を踏んでいます。「彼女が僕に果物を投げてくれた、お返しに宝物をあげよう、お返しなんてもんじゃない、永久に愛し合うんだ。」とか言った意味がこの詩なのです。