虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

「自由訳 老子」(新井満):書評

老子特集その2(全2回、完結)


 新井満(あらい・まん)さんといえば、秋川雅史さんが歌い、大ヒットした「千の風になって」の原詩であるメアリー・フライの歌詞の的確な訳をし、その上、曲も付けたというマルチ人間で、芥川賞受賞作家でもあり、写真家、環境映像プロデューサー、長野冬季オリンピック開・閉会式イメージ監督など、多彩な活動をしています。



 
 彼は幼少より虚弱体質であり、読書として、「論語」(孔子言行録)や「老子」になじんできましたが、歳をとるに連れ、「老子」のほうがしっくりくるようになったそうです。そこで執筆したのがこの本「自由訳 老子」(2007年 朝日新聞社)です。


 この本の中で、新井さんは「老子」の無駄な部分をはしょり、全81章(9*9)を18章(2*9)に再構成したとしていて、元々のテキストが短いのに輪をかけて短くまとめていて、一冊30分もあれば読み終わってしまいます。まあ、それだけ無駄な(!!)部分を削れば、そのような分量になるのですが。


 一読、「きれいごと過ぎるな」と思いました。老子の言葉をそのまま日本語に訳す場合にはそれは正確な訳ですが、「はしょってしまう」ことで、「老子」の持つ「多様性」がなりを潜め、新井さんが「こうあって欲しい」という老子像が増幅されるのです。


 特に例を挙げれば「老子36章」。この章は新井訳では完全にオミットされています。


「(あるものを)収縮させようと思えば、まず張りつめておかなければならない。弱めようと思えば、まず強めておかなければならない。衰えさせようと思えば、まず勢いよくさせておかなければならない。奪いとろうと思えば、まず与えておかなければならない。これが「明を微かにすること」とよばれる。こうして柔らかなものが剛いものに、弱いものが強いものに勝つのだ。「魚は深い水の底から離れぬがよい。国家の最も鋭い武器は、何人にも見せぬがよい。」」(小川環樹訳注:中公文庫)


 この章は、戦争に決して負けない心得を書いたものであり、陰謀の書(周書)から「老子」本文に紛れ込んだという説があります。でも、古来「老子」の一部とされてきた章ですから、この章をオミットしてしまうのもどうか、と思います。そして、新井さんは老子のいう「不争の徳」の話は取り上げますが、36章のような「戦い方の奥義」を書いた章は「不要」とばかりオミットしちゃうんですね。


 元祖中国では、兵家孫子と並び、戦争の際知っておくべき教養が老子だったという具合で、両者を合わせて祭る廟(びょう:神殿)もあるくらいです。老子は「きれいごと」では片付かないのです。


 また、老子の文章を貫いて何回も出てくる「樸」(ぼく:あらき)」という表現が一度表われたきり、しかも重要ではない扱いであったのが気になりました。


 それから、新井訳のなかに、はっきり誤りというべき記述を見つけました。それは28Pの「水は方円の器に従う」という表現で、「水がどんな形にもなれる柔軟性を持つもの」という意味に新井訳ではされています。


これはいかにもありそうだとは言え、「老子」には出てこない表現で、これは儒家が主に由来の表現であり、日本ではながらく修身の教科書として用いられた「実語経」に収められたものです。この言葉は、「悪い者を友人にすると、本人も悪くなる」といった意味の言葉です。出所がまったく違い、意味も正反対です。 老子」本文にないことをあたかも彼が言ったように書くのは不勉強でありまた老子冒涜することになるでしょう。 (前回ブログ:水は方円の器に従う・参照

http://d.hatena.ne.jp/iirei/20120807 )



 さて、新井さんは、道家独特の概念「道」を「Dao」と呼び、彼独自の解釈をしています。「風のように自由で、水のようにおおらかで」とか「銀河系宇宙」とかいう言葉で「Dao」を語っていますが、私は老子について、そのようなのんびりした境地に果たして彼がいたのか、懐疑的なのです。私は、「老子」の中にこの種の感想を感じさせる表現は読み取ってこなかったのです。これって、「老子」によって触発された、新井さんのみの境地を書き述べたようにも思えます。



今日のひと言:総じて、偏った内容の本であり、特に読む必要のないものだと思いますが、それでも、「誰かを深く愛せば、力が生まれる」などと言う、老子が言うはずもない言葉を連ねたアンソロジーよりは、まだしもましかも知れないと考えます。


この本、底本は「王注老子道徳経」、参考図書「中国古典選10 老子」(上・下)朝日文庫です。王とは老子の注釈で有名な王弼(おうひつ)のことかと思います。


参考過去ログ

http://d.hatena.ne.jp/iirei/20090610  :老子の七定理



今日の二句



ミョウガ摘み
ひねくれ坊主
顔を出し


 庭のミョウガもぼつぼつ出てくるようになりました。本日、4個ばかり採れたので、2個は刻んで混ぜご飯、2個はアユの塩焼きの香りづけにしました。

 (2012.08.09)



ああ・あはれ
実らず刈らる
イネ科草



 これまで栽培していると報告していたイネ科の植物がトラクターに踏みにじられ土に帰るのを見て。緑肥にするつもりか?

 (2012.08.11)

老子―自由訳

老子―自由訳

自由訳 老子 (朝日文庫)

自由訳 老子 (朝日文庫)

老子 (中公文庫)

老子 (中公文庫)