虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

孔子の学問の本質は「礼」である:葬式ごっこを好んだ彼。+『弟子』

孔子の学問の本質は「礼」である:葬式ごっこを好んだ彼。


二週間ぶりのエントリーです。



中国哲学と言えば、真っ先に「孔子」、また彼の言動を記した「論語」が思い浮かべられます。「論語」について、「宇宙第一の書」という言う人もあり、いかに彼の評価が高いか解ります。


ただ、このブログでは、孔子の欠点と限界を記述してみたいと思います。私は、中島敦を、日本最高の小説家だと思っていますが、『弟子』という彼の代表作の一つを取りあげてみます。生来無頼で遊侠の徒だった「子路」は、「偽賢者をとっちめてやろう」と孔子の許へ行き、実際に出会って、その人格の偉大さに兜を脱ぎ、その日のうちに、入門の手続きを取り、孔子門下に入ります。


そして、孔子の教えを受け、君子としての心構えを次第に身につけていきますが、どうしても、元無頼だった彼には「受け入れられない」教えがありました。それは「明哲保身」の4文字です。ここで、『弟子』から問題の部分を拾ってきますと:


 楚が呉を伐った時,工尹商陽という者が呉の師を追うたが、同乗の王子棄疾に「王事なり。子、弓を手にして可なり。」といわれて始めて弓を執り、「子、これを射よ。」と勧められてようやく一人射斃した。しかしすぐにまた弓を収めてしまった。再び促されてまた弓を取出し、あと二人を斃したが、一人を射るごとに目を蔽うた。さて三人を斃すと、「自分の今の身分ではこの位で充分反命するに足るだろう。」とて、車を返した。


 この話を孔子が伝え聞き、「人を殺すの中、また礼あり。」と感心した。子路に言わせれば、しかし、こんなとんでもない話はない。殊に、「自分としては三人斃した位で充分だ。」などという言葉の中に、彼の大嫌いな・一身の行動を国家の休戚より上に置く考え方が余りにハッキリしているので、腹が立つのである。彼は悌然として孔子に喰って掛かる。「人臣の節、君の大事に当りては、ただ力の及ぶ所を尽くし、死して而して後に已む。夫子何ぞ彼を善しとする?」孔子もさすがにこれには一言も無い。笑いながら答える。「然り。汝の言のごとし。吾、ただその、人を殺すに忍びざるの心あるを取るのみ。」

「弟子:第12章」:青空文庫より


ここに、自らの身の安全を、天下のことより優先させる(明哲保身)孔子と、それに反発する子路の、絶望的な乖離が語られています。子路について、孔子は「尋常な死に方はするまい」と予言しますが、子路は果たしてそのような死に方をしてしまうのです。


このエピソードで出てくる「礼」という言葉が重要です。この中では、工尹商陽という人物の、戦場における「形式」のみ整えようという(相当変な、武人にあらざる)態度を孔子は褒め称えていて、その偽善性を子路が突くわけです。さすがに、図星を言い当てられた孔子も、この難詰には返す言葉もなく、笑って誤魔化すしかなったわけです。


・・・ここが重要です。孔子の学問の本質は「礼=形式」なのです。老子は、「仁を失ったあと、義が失われ、最後に表面を飾る礼が出てくる」と書いています。礼は乱の始めであるとも書いています。薄っぺらで、実質に乏しい徳目なのです。では、なぜ孔子はこの言葉にこだわったのでしょう?一つの可能性として、孔子の出自があると思われます。彼は私生児であり、少年時代の一時期彼は葬式ごっこに熱中していたとwikipediaに見えます。葬儀屋は、葬式を細部に渡って指図し、そこでは形式=礼の徳目が支配します。幼い頃から葬式になじんでいれば、形式に五月蠅い人物として大成するのでしょうね。それが孔子の出発点であり、彼の学説が「礼=形式」が根本である所以です。ご丁寧にも、儒家の根本経典:四書五経にも、『礼記:らいき』という一冊があり、古代中国の周王朝儀式細則を綴ったもので、その礼は孔子の時代から見ても、「時代遅れ」で「一般妥当性がなかった」とも言えるでしょう。私はこの礼記だけは読みませんでした。(詩経とか易経書経とかは紐解いたことがあります。)実に、孔子が説いた周の時代への回帰それ自体が実現不可能な夢物語だったのです。



今日のひと言:孔孟と並び称される孟子には、面白いエピソードがつきものですね。それが以下。


孟母三遷の教え(もうぼさんせんのおしえ)

[劉向、列女伝]孟子の母が住居を、最初は墓所の近くに、次に市場の近くに、さらに学校の近くにと3度遷うつしかえて、孟子の教育のためによい環境を得ようとはかった故事。

広辞苑第六版より引用


孟子の母は、墓のそばに住むのは教育上よろしくない、と引っ越ししましたが、この点、葬式遊びが好きだった孔子とは対照的で、孔孟と称されても、内実は相当違うように思われます。孟子的には、「青天を衝け」で描かれる渋沢栄一のような商人も、学問の邪魔になる、と排斥されるでしょう。

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ただ、最近考えるには、この「礼」=「形式」=「明哲保身」という立場は、乱世の時代に生きた孔子にとって、自分の身を守るための「防具」(=盾)であったのではないか、と。この礼=形式さえ守っていれば、生きおおせる、という、ある意味、怜悧、冷徹な思考の産物だったということです。不運な死に襲われた弟子の子路は、この経緯が理解できないために自ら横死を招いたのでした。(その意味で、不運ではなく必然でした。)


(以下、これまでの記述に続けて・・・)



中島敦の『弟子』:師弟関係の人倫第一の重さ



私はこれまで何回か、弟子を取ったことがあります。はてなブログ内で「老子を読む」グループの勉強会を私も含めて3人で行なったこと、職場の女性の立ってのお願いを受けて、弟子にしたこと、などなど。(この場合、家庭教師や塾講師をやっての教え子たちは省きます。)他にもありますが、それらは割愛します。


案外誤解されていると思うのですが、師弟関係は、親子関係や夫婦関係(ないし恋人関係)より強固なものです。師弟関係という社会的な規範は、親子関係や恋人関係のような生物学的な規範より強いのです。


1例目は、優れた読解能力を持つ女性と、積極的にグループ化を進めた、読解能力は乏しい男性が私を師として始めました。彼女は、その優れた能力を発揮し、墨子老子の時代区分を見抜いて、私を唸らせました。でも、どうも私生活上の問題に行き詰まり、グループはおろか「はてなブログ」自体をも辞めていきました。残った男性は、「老子はピンと来ない、法家のほうが良い」と口走り、「こいつ、これまでなにを学んだのか」、と「法家の問題点を衝くブログ」を私がエントリーしたら、そのまま私から離れていきました。これで、3名によるグループは終わりを告げました。なんだ、手ごたえのない。

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2例目の女性は、そこ(師弟関係の重さ)をはき違えていて、私は入門早々、彼女を破門しました。彼女は、学習資料も碌に読まなかったし、教育関係の私の著作を受け取るのも拒否しました。この時、「私のこころ」は凍りつき、翌日「破門状」を彼女に手渡しました。彼女はそれでも、課題に付随する作業について、簡単なレポートを返しました。師弟関係、唯一の成果でしたね。今は、普通の友人として付き合っています。


さて、天才作家:中島敦の代表作の一つに『弟子』があります。この中篇小説は、古代中国(BC500年頃の)が舞台で、聖人:「孔子」と、必ずしも優秀とは言い難かったけど孔子を慕い、孔子にとっても愛弟子で・勇猛だった「子路」の交流を、2人の出会いから、子路が非業の死を遂げるまでを活写した傑作です。


子路孔子に入門する場面が面白いです。出だしですが

(偽賢者の化けの皮を剥いでやろうと、目をいからして雄豚と雄鶏を抱えてやってきた子路を温顔の孔子が迎えて、問答が始まります。)


孔子が感じるには:筆者注)血色のいい・眉の太い・眼のはっきりした、見るからに精悍そうな青年の顔には、しかし、どこか、愛すべき素直さが自ずと現れているように思われる。

(中略)

後世に残された語録の字面などからはとうてい想像できぬ・きわめて説得的な弁舌を、孔子は有っていた。言葉の内容ばかりではなく、その穏やかな音声・抑揚の中にも、それを語る時のきわめて確信にみちた態度の中にも、どうしても聴者を説得せずにはおかないものがある。



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 (注:この絵で、右下の印は、私の落款(らっかん)で、「五足」と刻印してあります。傑作アニメ『忍風カムイ外伝』の登場人物、手が3本あった(だから手足が5本)ことで、差別された未、忍者にならざるを得なかった「名張の五ツ」をリスペクトして。初めて抜け忍、カムイを破ったけど、見逃し、カムイ同様抜け忍になった実力者です。)


↑の参考過去ログ:

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なんてヴィヴィッドな出会いでしょう!完全に兜を脱いだ子路は、そのまま、その日の内に、孔子に礼を踏まえて弟子入りします。それまで、遊侠の徒(チンピラ)で、長剣を手放さなかった子路は、こんどは精神的支柱として孔子から離れられなくなります。孔子孔子で、この弟子の馴らし難い性質には、手探りでケアするという感じで苦慮して接していきます。40年以上も、弟子でしたから、子路もいっぱしの人物(政治家)に成長していきます。波あれど、おおむね良好な師弟関係でした。


ただ、子路から見て、完全無欠に見える孔子とは言え、彼も人の子、欠点はあります。とくに子路には大いに2人の違う点として、孔子が往々にして「明哲保身」をよしとする精神的傾向を垣間見せることがあって、この点が、子路には気に入りませんでした。「世の中の帰趨を分けるような一大事にあたり、一身の保全を図る生き方」を「明哲保身」というのです。この件で師である孔子をやり込めた子路でしたが、孔子は、子路の尋常ではない死にざまを予言します。そして・・・


「衛」という国、かつて孔子を宰相に取り立てるべく呼び寄せた意志の弱い国王:霊公が、夫人である妖婦:南子(なんし)にごり押されて、孔子に大恥をかかせたこと以来、孔門には鬼門のような国でしたが、子路はこの「衛」で役職についていました。そこにクーデター!子路は現体制を守るべく、白刃踊る場に単身、身を投じます。そして・・・往年の勇者も歳には勝てず子路は敗れます。その場面から、もう一回引用します。


子路は倒れ、冠が落ちる。倒れながら、子路は手を伸ばして冠を拾い、正しく頭に着けてすばやく纓(えい)を結んだ。敵の刃の下で、真赤に血をあびた子路が、最期の力を絞って絶叫する。


「見よ!君子は、冠を正しゅうして、死ぬものだぞ!」


全身膾(なます)のごとくに切り刻まれて、子路は死んだ。


 魯にあってはるかに衛の政変を聞いた孔子は即座に、「柴(子羔)や、それ帰らん。由(筆者注:子路)や死なん。」と言った。はたしてその言のごとくになったことを知ったとき、老聖人は佇立瞑目(ちょりつめいもく)すること暫し、やがて潸然(さんぜん)として涙くだった。子路の屍が醢(ししびしお:塩漬け)にされたと聞くや、家中の塩漬類をことごとく捨てさせ、爾後、醢はいっさい食膳にのぼさなかったということである。


このラスト、私はいつ読んでも、涙が流れます。孔子によって陶冶された元・遊侠の徒子路が、師のいう礼(子路にとってはある意味気に入らない徳目)を大事にして死んでいく、ある意味場違いで・しかも弟子としての生き様が集約されたその有様が痛々しいのです。子路は、師:孔子の教えに忠実(?)だったとの表明として、今生最期の言葉を紡いだのです。その報を受けた孔子の反応も、長年師弟関係を持ってきた、愛弟子:子路と死別した悲哀に満ちています。冷徹な予言は予言、そうなった後には冷徹さは残らないのですね。熱い孔子を感じます。


ところで、以前こんな意見を聞いたことがあります。:「中島敦なんて、中国の古典を書き下(くだ)している=翻訳している、だけではないか?」と。このような疑問を持つ人も多いだろうと思います。しかしその疑問については、このブログの発端部分の引用によって、中島敦自身が答えていると思います。:


「後世に残された語録の字面などからはとうてい想像できぬ」この語録とはまさしく『論語』のことです。そこから想像の羽根を広げて、物語を語っているのが中島敦、その人なのです。論語をこれほど深く掘り下げる真似は、余人には出来ないでしょう。


今日のひと言:『論語』のどこをどうひっくり返しても、中島敦の文章は再現できません。彼独自の感性を待たなければ、これほど孔子子路も生き生きとして来ません。余人を以って替え難い小説家だと思うのです。私的には、世界一の小説家が中島敦です。


中島敦関連過去ログ


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中島敦全集 全3巻セット (ちくま文庫)

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  • 作者:中島 敦
  • 発売日: 2009/03/25
  • メディア: 文庫





今日の一品


@ホッケのカリカリ焼き


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アイディア:私、実作:弟

ホッケを、オーブントースターで時間をかけて焼いて、カリカリにできないかなあ、と考え、やってもらいました。(私は別の料理を作るので・・・)天板にキッチンペーパーを敷き、180℃で30分。皮が香ばしく焼けました。身はいまだ柔らかし。まずまず満足しました。

 (2021.04.18)



コンフリーの花入り味噌汁


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4月中旬から開き始めるコンフリーの花。甘い蜜も豊富です。花・蕾の混在する枝を取ってきて、味噌汁にいれました。

 (2021.04.20)



@鶏手羽元のブラウンソース炒め


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弟作。「ブラウンソース」はポルチーニ入りのソース。味の素の製品。キノコ類と相性が良いみたい。

 (2021.04.20)







今日の詩


「一つの中国」――なら、
台湾が中国大陸全土を
支配しても良い。


それは可能だろう。

 (2021.04.19)







今日の五句


欄干に
しぶとく生きる
ゼニゴケか


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 コケは正式には蘚苔類(せんたいるい)と言い、蘚類と苔類に大別されます。(ほかにツノゴケ類) ゼニゴケは苔類に分類されますが、あまり園芸的価値は認められていません。でも逞しく生きています。

 (2021.04.18)



雨ごとに
葉を伸ばすなり
馬鈴薯


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馬鈴薯ばれいしょ)=ジャガイモ。

 (2021.04.18)



濃い黄色
モッコウバラ咲く
廃屋や



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美しいモッコウバラも、主がいなくて淋しいでしょう。

 (2021.04.18)



ペイントで
塗りたるごとき
ベニカナメ


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春先、紅葉する葉は、葉緑素を保護するため、アントシアニンで色付くのです。

 (2021.04.18)



幹切られ
アカメガシワ
再生し


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昨年秋、家の主が幹ごと切ったこの樹が再生しました。

 (2021.04.22)







今日の写真集



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保育園のパンジー。多く植わっていて、園児をあやすのでしょう。
 
 (2021.04.18)



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河原の菜の花。荘子の「胡蝶の夢」舞台。

 (2021.04.18)



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真っ赤な花のこの草・・・バーベナの一種らしい。(ホームセンターでは「バーベナオブセッション・カスケード・スカーレット」の札が貼られていました。)


 (2021.04.22)







今日の愚痴  ASUSとPC DEPOTへの憤懣(ふんまん)


今回、台湾のコンピュータメーカーASUSのPCが購入2年半で、ACアダプターが2度目の故障、一本8000円程度の高価なアダプターを注文しましたが、注文から落手まで2週間も掛かりました。このアダプターは、他社のものとは規格が異なり、代替できません。だからPCも純正品の到着までは「動かせず」、休止状態です。幸いなことにPC本体は大きな故障に見舞われていませんでしたが、肝心の通電ができなければ、PCもただの箱です。


さらに先が思いやられるのは、このPCを買った先のPC DEPOTです。そもそも、この会社は「儲け主義」が強く、ASUSは5万円程度でしたが、いろいろお金が吊り上げられ、最終的には8万程度払わされました。噂では、「PC DEPOTと付き合ったお金で、もう一台PCが買えたのに」という人もいるようです。さらに、ASUSは「購入した会社でしか修理に応じない」そうで、もし壊れても、他社は修理が出来ず、PC DEPOTで、修理費一律4万円を払わなければなりません。たぶん、私がブログを休眠させるまでに、故障したら4万円を払わざるを得ないでしょう・・・ああ、腹が立つ!こういう阿漕な商売をやっていて、先があると思うなよ!!今後はこのASUSを使い終わっても、この2社は「利用しません」!!!

 (2021.05.07)







☆☆過去ログから厳選し、英語版のブログをやっています。☆☆


“Diamond cut Diamond--Ultra-Vival”



 https://iirei.hatenadiary.com/



ダイアモンドのほうは、週一回、水曜日か木曜日に更新します。
英語版ブログには、末尾に日本語ブログ文も付記します。記事は
虚虚実実――ウルトラバイバルとはダブりませんので、こぞって
お越しを。