虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

「母の胎内にいたときはどうだったか?」:禅の悟りとその自得(随想録―86)

「母の胎内にいたときはどうだったか?」:禅の悟りとその自得(随想録―86)




中国・唐代の禅僧:潙山霊佑(いざん・れいゆう)は、「言葉」を精密に用いて人を導くプロフェッショナルな禅僧だったが、たまには人を突き放して導くことがあった。潙山の師は巨人・百丈懐海(ひゃくじょう・えかい)だったが、百丈の死後、弟弟子だった香厳智閑(きょうげん・ちかん)は、改めて潙山の弟子になった。


そこで香厳は、耳を疑うような言葉を受ける:「お前が母の胎内にいたころはどうだったか、ひと言で言ってみろ。」・・・これには困った。聡明な香厳は、教えられたことなら、何でも答えられた。だが、こんな質問は受けたことがない・・・言葉にしようとするのだが、しどろもどろで、明快な言葉にならない。窮した香厳は「教えてください」と潙山に懇願するが、師は答えない。「わしなら答えられるが、それはわしの見解に過ぎない。お前のためにはならないし、もし今教えたら、お前はわしを怨むだろう」と突き放した。香厳は泣く泣く潙山のもとを去り、一人淋しく修業した末、ついに悟り、遥か彼方の潙山を礼拝したという。父母の恩をも超える師の恩義に感謝して。


さて、禅において、必ずNGになる態度がある。それは上で香厳が取った「しどろもどろ」というもの。このような応答をする者は、まず100%、師に認めてもらえない。あまりに態度が決然としていないから。たとえ、その回答が師の意図したものと違っていても、決然と・「こうである!」と受け答えするほうが認められやすい傾向があると言える。どれだけの確信を持って発言するかが重要なのである。


私なら、こう答えるだろう・・・「私が母の胎内にいたのは、ちょうど、今、炬燵(こたつ)に入っているようなものだ」と。「炬燵のもつ暖かさは、まさしく母の胎内にいるのと同じである」、と私は確信を持って、決然と言える。これについて潙山が何と言うかは解らないが、無下に否定もされないだろう。




今回の記述の大本は『禅 現代に生きるもの』(紀野一義:NHKブックス)から。禅についての大いなる展望を得られる名著である。

 (2023.03.12)






今日の詩


Be a realist that never forgets the Ideals. (poetry)


Burn in your ideals
Burn in your ideals


However, the reality in which I was placed
don't lose sight
Be a cold realist.


even my aging
Relativize
Be an accepting realist.


then in front of me
There is always a way.



BGM: "Will" (by Chihiro Yonekura:米倉千尋)


https://youtu.be/88JG8C97_Js



決して理想を見失わない現実主義者であれ(詩)


理想に燃えよ
理想に燃えよ


ただし 自分の置かれた現実を
見失うな
冷徹なリアリストであれ。


自分の老化でさえ
相対化して
受け入れるリアリストであれ。


そうすれば 私の前に
必ず道はある。


(2023.05.18)






今日の7句


白と黒
雪と土とで
表現し



 (2023.02.11)



二輪だけ
咲くや黄色の
春の花



春には、黄色い花が目立ちます。

 (2023.02.11)



柿のコケ
春を待ちつつ
青々と



 (2023.02.12)



いつの間に
矢車草の
育ちけり



 (2023.02.12)



恥ずかし気
顔を出したる
ヨモギの芽




天ぷらにすると最高。

 (2023.02.15)



石造り
立派な蔵に
何眠る



 (2023.02.16)



コロッセオ
ビオラは丸く
戦えり



 (2023.02.18)