千日回峰行・2度満行者:酒井雄哉(さかい・ゆうさい)(随想録―83)
比叡山の荒行・千日回峰行と言えば、まさしく1000日かけて肉体を死寸前まで追い込み、悟りを得んとする修行で、一日30kmも叡山のまわりを歩き回るのは序の口で、「堂入り」という中間点では「不眠・断食・断飲・不臥」を9日間もやり抜く。いちど、この修行をしていた僧(東京大学卒で新聞社の論説委員をしていた人)の友人(医師)が、この「堂入り」の有様を見たことがあるそうだが、「4日も続けたら死ぬ」と請け合っていたそうだ。死臭も漂うと言う。確かに、以前TVで千日回峰行を放送していたが、行者は「瞳孔が開き」、仮死状態になっていた。
この過酷としか言いようのない荒行を2度も連続して満行したのが、酒井雄哉さんだ。このこと自体、彼に泊を付け、執筆、取材、講演などに忙しい日々を送っていた。2013年にガンで87歳を一期として、遷化された。
私が手にしている本は、『続・一日一生』(朝日新書)。どんな荒行を極めたと言っても、それはその行者の精神の素晴らしさとは必ずしも一致しないだろう、という「意地悪な」意図で読みはじめたのだが、それは半分当たっていて、半分当たっていなかった。確かに、この本で述べられていることの大半は、他の仏教者でも言いそうなことであり、その辺は、特に感銘を受けなかった。
だが、酒井さん本人の述懐については、考えさせられることが多かった。そもそも、社会人のころ、マイペースであった酒井さん、会社勤めがイヤで出勤をせず、時間つぶしをしていたそうだ。そのうち時間つぶしの小遣いがなくなり、東京中を歩き回って、定刻にはそしらぬ振りをして帰宅していたそうだ。それが出家の後の千日回峰行において、「歩き回る」ことの基礎になったという。この逸話には笑ったが、やっていたことを何らかの形で生かすということにおいては酒井さんの講話に照らし合わせても妥当だと思う。
あと、忘れてはならないのは、結婚直後に東京から大阪に戻り、酒井さんが追いかけて大阪に行っても、自殺した奥さんの存在。途方にくれる酒井さんを、義理の母が比叡山につれて行き、それが出家につながるという不思議な縁。まあ、人情味あふれる一冊だった。
(2023.02.02)
今日の7句
武尊山(ほたかやま)
白いエッジが
顔を出し
(2023.01.28)
金柑の
日陰に実る
昼下がり
最小の柑橘類。
(2023.01.29)
名も知れぬ
木の芽の高く
天を衝く
春はもうすぐ。
(2023.01.29)
エケベリア
死の世界にて
気を吐けり
ベンケイソウ科の多肉植物。
(2023.01.29)
ヤドリギの
樹に取り憑くや
生き延びる
ヤドリギは常緑。
(2023.01.29)
タンポポの
まだ枯れきらぬ
雄姿かな
(2023.01.30)
白水仙
繊細な花
風に揺れ
(2023.01.31)