私は以前、仏教に見る上下観というテーマで1ブログ書きましたが、
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20070415
:仏教の上下観(仏教シリーズ その1)
その中で、以下のことを書いています。
上位のカーストの人ほど、食べる食材が減るという話があります。どういうことかと言うと、たとえば、土の中で出来るイモ類などは、穢れた土と同類だから、カーストの低い人は食べても、カーストの高い人は食べないことによって、カーストの低い人と差別化できる・・・そのカーストの高い人は食べないことによって、カーストの低い人と差別化できる・・・そのように、食べられるものが減っていき、高いカーストの人ほど短命だと言うのです。
お笑いですね。このお話しで注意すべきは、「土=穢れ=低い」という認識があるこ
とです。おなじような話として、蓮は、穢れた泥の中で育つけれども、その花は、空
中で高貴な花を咲かせる・・・といったものがあります。だから、如来の台座は蓮に
なっているのです。
上・中・下・・・これらの言葉を意識的に使うことで、これまで見てきた世界が変わって見えることもあります。
私は以前、ある女性に贈るために小冊子の発行をしたのですが、その本のネタ調べをする間、働いてはいられぬので、その間の生活費が必要でした。そして、カンパをしてくれた人を会員とみなし、一冊贈るという趣旨でした。(だから商品ではなかったのです)当時私が通っていた某事務所の掲示版に「一口1000円以上、何口でも」という文言を含む意趣書を張り出したのですが、それを見たある女性が、ちょっと書き換え「一口1000円以下、何口でも」としました。
これを見た私は、ビックリし、次になるほどなあ、と思いました。「以上」「以下」の違いですが、この表現の変更は、意趣書の記述として、天と地の隔たりがあります。「以下」と書くと、なんと言っても、間口の広さを感じます。文面から、一冊1000円前後はするだろう、と考える人は1000円ジャスト、カンパしてくれました。上下、表現はどうでもいいわけです。
なかには50円カンパする人もいましたが、その人にも、趣旨に則り、一冊差し上げました。また、某詩人にこの意趣書を送ったところ、「俺も貧乏だからカンパは出来ない」との文面の葉書が帰ってきましたが、通信欄が表と上下逆に書かれていたので、「ああ、理解してくれたのだな」とやはり一冊贈呈しました。
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また、私が処女詩集の発行に関わったある女性詩人、筆名を「山下海」にしました、と言ってきたのですが、それほどにはインパクトのない、おとなしいイメージがありました。そこで私は、「上・中・下」の考え方に当てはめると、「山中海」という筆名が良いだろうとアドバイスしました。この筆名、山を男性、海を女性と考えると、山と海が絡み合う、なんだかセクシーな感じのする筆名に早変わりするという寸法です。実際、彼女が言うには、「山下海」という名はネット上にあるけど、「山中海」はない、とのことでした。
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なお、上と下ということに絡んで、中島敦が「幸福」という小説を書いています。これは当時日本の委任統治下にあったパラオ群島の見聞に基づいたものですが、主人が下僕を酷使する毎日、一方夢の世界では地位が逆転してしまいます。この夢と現実を経験した二人、下僕は元気に、主人が痩せ細るというようになってしまったのです。この小説は荘子の「胡蝶の夢」を彷彿させるものですね。
今日のひと言:私のハンドル・ネーム「森下礼:iirei」にも、上・中・下の考え方が反映されています。これはもちろん私の本名ではありません。
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