『かもめ:Чайка』(A.チェーホフ):演劇を介した悲恋(随想録―84)
『かもめ:Чайка』(A.チェーホフ):演劇を介した悲恋(随想録―84)
A. チェーホフの戯曲『かもめ』を読んでみた。大変面白かったので、一気に読み終えた。この戯曲には何人かの登場人物が登場するが、一組の恋人と、その仲を割く作家の3人が重要である。(強いて言えば、この恋人たち。)
新進の劇作家:トレープレフは地主の娘で女優の卵のニーナと恋仲で、彼女はトレープレフの劇の主役を演じる。だが、トレープレフの劇は斬新過ぎて、古いタイプの劇に慣れた人達には不興だ。当のニーナもこの劇に不満で、もっと別の場で女優をやりたいと願う。
そんな時、トレープレフは狩りで「かもめ」を撃ち落とし、「それが自分である」とニーナの面前に置く。ニーナは、ちょうどそのころ、トレープレフの家に滞在していた作家:トリゴーリンに惹かれ、彼を追ってモスクワに出て、女優を目指す。
トリゴーリンの子を産み、死なせ、浮気なトリゴーリンに見捨てられたニーナは、どさまわりの女優になるが、その頃は新進作家として名が売れ始めていたトレープレフの前に姿を現し、「わたしはかもめ・・・」と2度呟くが、一緒になろうと誘うトレープレフの懇願には耳を貸さず、消える。そして、トレープレフが制作を依頼していた、あの「かもめ」の剝製が届いた直後、銃声が・・・トレープレフは自殺するのだ。
「かもめ」は、トレープレフであると同時に、ニーナでもある。演劇人のことをひろく暗示しているとも思える。(これは、新傾向の演劇をやっていたチェーホフのことをも指すとも言えよう。)それにしても、「かもめ」たちは痛々しい。
今回読んだのは、『かもめ』(中本信幸 訳:新読書社)で、非常に読みやすい訳文だった。ちょっと腑に落ちない点は、この戯曲が「4幕の喜劇」であるとされている点。この作品のような悲しい結末の作品の場合、「悲劇」とするのがより妥当だと思われるのだ。通常話の経緯・展開がどうあろうとも、ハッピーエンドなら「喜劇」、バッドエンドなら「悲劇」というと私は理解していたのだが。
(2023.02.04)
今日の7句
絡みつく
大きなマッス
藤の木か
(2023.02.01)
(公園3句)
滑り台
怪獣支え
頼もしき
(2023.02.01)
背き合う
二頭の獅子の
空間か
(2023.02.01)
藤が巻く
回廊春に
来たきかな
(2023.02.01)
咲き初めし
白梅春に
先がけり
(2023.02.03)
すぐにでも
開花しそうな
沈丁花
(2023.02.03)
黄水仙
確かな色で
佇むや
(2023.02.04)