竹里館(王維):1000年早かった象徴詩(随想録―25)
盛唐の詩人のひとり、王維(おうい)は、李白が「詩仙」、杜甫が「詩聖」と呼ばれたのと同じく、「詩仏」と称され、李白、杜甫とならぶ大詩人でした。ここに「竹里館」という詩を見てみましょう。
竹里館<王維>
獨り坐す 幽篁の裏
琴を彈き 復張嘯
深林 人知らず
明月 來って相照らす
この呼吸、時代を超えると思います。私は19世紀から20世紀にかけての、フランス象徴詩とそれを担った詩人たち・・・ボードレール、ランボー、ヴァレリーたちを世界最高水準のものである、と私は断言して恥じるところはありませんが、この王維の「竹里館」は、間違いなくその水準に達していると考えます。実にフランス象徴詩に1000年先駆けているのです・・・それは何故かと言うに、フランス象徴詩は、詩人自身と他者(往々にして超越者)との「瑞々しい邂逅(かいごう):出逢い」を詩にしていて、それを高らかに歌い上げるというスタンスを取るのですが、「竹里館」には、「月との邂逅」がおおらかに語られているのです。この一点で、王維の詩は、フランス象徴詩と肩を並べるのです。深山に一人居り、楽器を奏で、詩を歌いあげていると、月が自分のもとにやってきて、旧知のように語り合う・・・一種の官能の極致を歌い上げているのですね。
以上述べた意味で、盛唐の詩人の中では、王維が一頭地を抜き、私の感覚では、李白、杜甫といえども、彼には及ばないでしょう。何といっても、李白、杜甫とも、時代の制約からは逃れておらず、フランス象徴詩になぞらえることができるのは王維だけでしょうから。
今日の7句
この車
乗ってみたしと
思う我
(2022.05.15)
シャリンバイ
コンビニ敷地で
見る人なし
なかなかキレイな花。バラ科。車輪梅。
(2022.05.15)
ジャガイモも
花が咲くなり
可憐なり
(2022.05.17)
蛞蝓(ナメクジ)の
あんがい歩みが
速かりし
道路ばたで見ました。
(2022.05.17)
小花なれども
集えば華やか
夕化粧
萩の花
春には既に
咲きにけり
「秋」の「草」と字解きできるのですが。
(2022,05,18)
キク科なり
煌めく星の
姿なり
名前は知りませんが、キク科の花は、星を連想させます。アスターなんかそうですね。
(2022.05.22)