大学を遊ぶ・大学で遊ぶ・大学で学ぶ:どう違う?これらの態度。
大学を遊ぶ・大学で遊ぶ・大学で学ぶ:どう違う?これらの態度。
私は、「大学を遊ぶ」つもりで大学生活(特に専門が決まってからの生活)を送りました。この「を」が重要な言葉です。大学はレジャーランドだと言われた時期があり、それは概ね私が大学にいた頃と重なりますが、大学生として思いっきりレジャーを楽しみ、単位が取れそうにないときには、教授の元に手土産を持っていって、単位を認定してもらうという、なんのために大学に入学したのか解らない大学生もいましたね。特に私立大学で。それでも、バブル景気が日本を覆っていたときには、そんな中身スカスカな学生でもイケイケで採用する企業が多く、レジャーランドからある意味「甘い」企業にそのまま移行し、企業人生活を送るようになったわけですね。それで「大学で遊ぶ」という言葉では「で」という場所を示す言葉を使ったわけです。「大学で遊ぶ」・・・いかにも不毛な態度です。
「大学で学ぶ」という言葉は至極当然な言葉ですが、私の通っていた東京大学工学部都市工学科でも、自然に授業にマジメに出席し、教授たちから出される課題(演習)もマジメにこなし、いわば「その教授のコピー」に自分を作り上げようとする学生たちには事欠きませんでした。目指すは自分を拾ってくれる企業であるか、院生にまでなって、教授職を目指すとかいうコースに乗るわけです。
ところが、私が都市工学科で唯一師と仰ぐ森村道美教授(故人)は、「今の学生は、授業に出すぎる、もっと遊ぶべきだね」と、授業の中ではなく、私との雑談の中で、仰っていました。・・・さて、この言葉の意味は、どういうことでしょうか?
一つの解釈として、教授やその授業を受ける学生が、「その授業が間違いなく正しく、また有用であると思い込んでいるのではないか」、という考え方が存在するのだと思います。私の場合、都市工学科名物の2人の「造反」助手、宇井純さん(故人)とか中西準子さん、特により過激な宇井純さんの主宰する「自主講座」に出入りしていたので、上で書いた「教授と学生の共同幻想」を相対化でき、「いかにも授業に出るのは時間の無駄だ」と思っていましたし、私が専攻した環境問題を考える上で、宇井純さんと付き合ったり、過去の公害問題の講演録がビッチリ置いてある自主講座の部屋で授業の時間にPCB問題、水俣病、カシンベック病などの生に近い情報を持つ本を読み漁ることは、綺麗ごとだけを並べただけの授業より、実のあるものだったのです。森村教授の「・・・もっと遊ぶべきだね」という言葉は、森村教授本人の授業もご本人が相対化されていたように思います。
そんな意味で、私は「大学を遊んだ」学生だったと思います。もっとも、テストで合格しなくては単位がもらえず、留年か退学かになってしまいますから、テストは受けました。かなり重要な授業「都市防災論」でも、出席はしておらず、模範学生の取ったノートのコピーを買い、それで勉強しましたが、及第の条件として、ノート提出のことという一項がありました。私は「ノートのコピーや丸写しは、みんなやっていることです。丸写しすることは時間的にほかのテストの準備の時間がもったいなく、また字を書くのは時間の無駄ですから、私が大事だと思ったところにアンダーラインを引きますので、それをもってノートだとして頂きたい」と付言して「ノート」を提出しました。結果は・・・優・良・可・不可のうち、ギリギリ及第の可を貰いました。ぜったい落とされると思っていましたので、これは意外でした・・・ラッキー!洒落がわかる教授だったのですね。(教授は伊藤滋氏、文学者の伊藤整氏の息子さんでした。整氏は『チャタレイ夫人の恋人』という性描写が有名な小説の翻訳で、裁判沙汰に巻き込まれた人です。)
自主講座の著しい特徴として、都市工学科の教授・助教授の講義ではなく、「この人の講義を聞きたい」と思えば、その人を呼んで、講義をしてもらえることがありました。三ツ松要さん(手賀沼と合成洗剤について考える会代表、柏市民生協代表)、山田國廣さん(やまだ・くにひろ:当時大阪大学機械工学科助手)、槌田劭(たかし)さん(当時京都精華大学教授、元京都大学工学部助教授)ら、頼もしいメンツを取りそろえ、自主講座のメンバーだけでなくそれら素晴らしい講師陣の講義を一般市民にも公開しました。私はその活動の事務局長でした。(これらの活動は、多くの場合、宇井純さんの人脈上で呼べたのですが、山田さん、槌田さんらはメンバーの一人が積極的に関西に出向いて縁が出来た人たちでした。)
講座のビラの一枚(奇蹟的に一枚残っていて、古色蒼然ながらそのまま挙げます。)
自主的に河川・湖沼の調査をしたこともあります。手賀沼は1980年代前後、汚染度日本一のありがたくもない称号を持っていましたが、先述の三ツ松さんに生協の自動車と宿を借り、自主講座のメンバーとか都市工学科のクラスメートらと共に調査をしました。あと、手賀沼漁協にボートを出してもらい、沼の各スポットの採水をし、実験室でデータをだし、報告を三ツ松さんに行いました。彼は国会でこのデータを質問に使いました。
以上が、私の言う「大学を遊ぶ」の内実です。
今日のひと言:私の、このような活動は、就職には絶対的に不利で、実際、私は大学卒業後、フラフラしていて、某都議に拾われて一応の収入を得るようになったのです。(もっとも、中西準子さんの指導で卒論を書き、卒業後、1年研究生をやったあとのお話です。)真面目に「大学で学ぶ」という態度を取らなかったことで、このような仕儀になったのです。一抹の、いや、大いなる悔やみがあるのも事実です。もちろん、他のクラスメートには、体験が出来ないであろう大学卒業後の経験は、私独自のものになったのも、その通りです。悔みか、誇りか?
なお、東京大学文学部国史学科出身で、歴史学専攻の東京経済大学名誉教授・先般亡くなられた色川大吉氏の、自主講座における講演録を読んでいたら、「授業にあまり出なかったことが、自分の学問の形成のために役立った」と言われていたのを思いだします。
参考過去ログ
今日の詩(2編)
@壁のソネット
心惹かれ合った
老若男女、
目には見えぬ
壁があり、
それに遮られると
お互い物理的には
存在していても、
実質同じ世に生きていない。
記念写真のように、
出合ったこと、
付き合ったことの
喜びだけを
糧として、
私たちは生き続ける。
(2021.12.16)
@精神的出血
血が止まらない。
私のなかを流れる
見えない血が。
恋愛の終わりには
必ず出血するものだが、
それはいつかは止まる。
でも今回は止まらない。
過去のイメージが
止血をはばむのだ。
――この恋、
私のなかでは
いまだ終わっていない。
(2021.12.21)
今日の6句
実の落ちて
鳥たち食えぬ
ピラカンサ
色彩的には絵になるけど。
(2021.12.18)
なんとまあ
年季の入った
廃屋や
(2021.12.18)
満開に
咲ける葉ボタン
寒空で
(2021.12.18)
どぶ川に
群れ成すハーブ
クレッソン
これはさすがに食べる気にはなりません。
(2021.12.19)
鉢の上
苔の朔(さく)なむ
開きける
苔の胞子が詰まった部分を朔平(さくへい)ないし朔柄(さくへい)と呼びます。右側の赤いのがそれ。鉢に植えてあるのは山椒でした。
(2021.12.19)
季節なく
道に水撒く
隣人や
かなり困った人です。
(2021.12.20)
今日の写真集
@大光院(吞龍)の山門と本堂
山門(2021,12.19)
本堂(2021.12.19)
どちらも、徳川家康の家紋「葵の紋」が3つづつあしらわれています。
太田記念病院の夜明け前 地域の中核病院。私もお世話になったことがあります。
(2021.12.20)
沈む満月 (2021.12.20)
今日の音楽
NiziU(ニージュー:need youからだとか)が面白い。「chopstick」(箸)という曲を会社で小耳に挟み、曲名を聞き出して聴いてみました。女の子9人で構成されたユニットですが、リズム感が抜群。「私と君はセットの箸、仲良くしましょう」、という、王道を行くラブソング。今回の私の「しみったれた」詩2編を吹っ飛ばしてくれるようなパワーがあります。♪同じ気持ちでいて 同じ明日をみてぇぇぇ♥
☆☆過去ログから厳選し、英語版のブログをやっています。☆☆
“Diamond cut Diamond--Ultra-Vival”
https://iirei.hatenadiary.com/
ダイアモンドのほうは、週一回、水曜日か木曜日に更新します。
英語版ブログには、末尾に日本語ブログ文も付記します。記事は
虚虚実実――ウルトラバイバルとはダブりませんので、こぞって
お越しを。