「ゆとり教育」と「新自由主義」:何が教育を殺す?
私が小学生のころ、夏休みに地域の小学生が集って、写生大会が催されたことがあります。私は写生が好き、また得意で、会場に生えていた松の樹を丁寧に描きました。さて、各自の作品の品評会になったとき、上級生の男子児童の多くは、「青色だけで塗られた絵、すなわち青空」を一押ししました。これはとてもトリッキーな作品(?)でした。男子児童は、そのアイディアに惹かれたのでしょう。ここで上級生の女子児童たちから、「反対!」の声が上がり、「この子(私のこと)、こんなに良い絵を描いているじゃない、賞はこの子にあげるべきよ。」――賞は私に授与されました。(「青空」を描いた男子は、それ以前にも、「黄色一色の絵=藁(わら)の中」といった「作品」を描いた前歴があり、まあ、味を占めていたのです。)
松と青空
さて、以上のお話がどうして今回ブログのテーマにつながるかと言えば、このトリッキーな絵とそれを描いた児童は、「ゆとり教育」の産物であり、それと拮抗した私とその絵が「新自由主義」の産物であろうと、おおまかに言えると思うのです。
今回のブログは『現役文部官僚が直言 「ゆとり教育」亡国論 学力向上の教育改革を!』(大森不二雄:PHP:2000年初版)を読んで書いています。この人は、一貫して、同じ文部科学省の寺脇研(のちに映画評論家)が中心になって押しすめられた「ゆとり教育」に異議を唱えているのです。では、ゆとり教育とはっきり違う大森氏の教育の要諦は
1)競争原理
2)選択の自由(これは学校のシステムを担う者と、進学する学校を選ぶ生徒の2つの場合があります。)
3)自己責任
この3つが3点セットだと言っています。でも、よく見てみると、この3点セットは20世紀末から、世界の経済を大混乱に落しいれ、貧富の差が拡大し、格差社会を生み出した「新自由主義経済」のスローガン、そのものなのです。経済学と教育は無関係じゃん、という声も聞こえてきそうですが、私が大学で学んだ「教育原理」という専門教科では、講師が「日本の大学は、経済界が求めるような人材を供給するのが役割だった」と言っていたのを覚えています。でしょ?教育と経済(政治も)は不可分に結びついているのです。新自由主義は、経済にとって劇薬ですが、それはこの学問を無制限に適用させようとすれば、カタストロフ(破局)が待っていますね。大森さんはそこまで過激な主張はしていないと思いますが、彼が海外視察の際、参考にしたのがサッチャー保守党党首・首相のイギリスの教育改革だったのは皮肉だと思います。この国、この政治家の下で、新自由主義経済の猛威が吹き荒れたのですから。
大森さんが「ゆとり教育」について、もっとも怖れたのが「学力低下」です。「マジメに勉強することはかっこ悪い=勉強否定論」とか「学力では、生徒の能力は測れない」とか「知識は仇だ」とか、結局は怠け者を量産するような教育体制・・・こんな考えでやっていたのでは、日本人の教育水準は落ち、国際競争力がなくなることを大森さんは危惧しているのですね。だいたい、月の月齢をいくつかしか教えない、生き物の名前もあんまり教えないというのは、児童の頭脳の可塑性を舐めていましたね。
このブログの枕のお話で、一色だけで画用紙を塗り、あとは知らんぷりといったあの児童の一種傲慢な態度は、(絵の)勉強を忌避しているという意味で、いかにも「ゆとり教育」の産物です。いっぽう私は、勤勉に、当時持てる最大限の技術で、松の樹の絵を描いて、結局賞をもらったというわけで、「ゆとり教育」と対置する意味で「新自由主義」の産物だったと言っても良いでしょう。「ゆとり教育」では「個性」を大事にするといわれましたが、努力を度外視した「個性」というのでは、私が冒頭に挙げたあの手抜きの絵にも個性がある、という理論的帰結になってしまうでしょう。
今日のひと言:なにごとも、ほどほど(中庸)が良いと思います。新自由主義的な脈絡で強引に世界を語る、という潮流は、むかしのアダム・スミスの『国富論』で展開されていたことを言い換えて実施しているに過ぎず、金持ちが、楽してお金をさらに儲けるというシステムに過ぎません。水道を民営化して、民間業者を参入させて、競争原理で戦わせる――これ、麻生太郎財務大臣が実施しようとしていますが、命の根源:水まで民間業者に扱わせようと言う意味で、この似非理論(新自由主義)は、行き着くところまで行ってしまったな、と嘆息するのみです。
最後に、「ゆとり教育」も「新自由主義」も、やりすぎは、教育を殺します。最近でも萩生田文部科学大臣の舌禍によって導入が延期された大学入試・英語民間試験でも、二流の受験産業会社:ベネッセ(福武書店:安倍晋三の選挙区のある山口県の隣県の広島県に本社がある)が担当するように決まっていました。新自由主義の臭いがプンプンします。そして、現在は「脱ゆとり教育」ということで、「ゆとり教育」は破棄されたという形だと思います。ただ、寺脇研らが推し進めたこの政策、もし世の流れ、新自由主義に抵抗した試みであったとするなら、やり方と結果は無残であったにせよ、心意気は感じられるものなのでしょうかね?(余談ですが、大森さんは彼の著作のなかで、寺脇研のことには、一切触れていませんでした。)
参考過去ログ
「ゆとり教育」亡国論―現役文部官僚が直言 学力向上の教育改革を!
- 作者:大森 不二雄
- メディア: 単行本
- 作者:池上 彰
- 発売日: 2014/05/02
- メディア: 文庫
- 作者:寺脇研
- 発売日: 2019/05/14
- メディア: 文庫
今日の一品
@ガラムマサラ入り焼きそば
ガラムマサラは、インドの複合調味料。カレーの基本です。これを仕上げに、通常の焼きそば(粉末スープのあれ)に入れてみたところ、焼きそばのランクが一つ上がった感じです。
(2020.03.07)
@アサリのお好み焼き風
弟作。お好み焼きの具として、アサリとキャベツを入れて作りました。結構箸が進みます。これは、主食+野菜+動物性たんぱく質を兼ねる料理です。
(2020.03.08)
@フキノトウの醤油漬け
塩漬け(2020.03.06)
醤油漬け(2020.03.08)
wikiの「たまり漬け」を参照したもので、フキノトウをまず塩漬けし、毒成分を除き、醤油に漬けるという料理で、酒のつまみにも向くようです。8日から数え、7日くらいで味見をします。
(2020.03.08)
@ネギのグラタン
弟作。在庫の十分あるネギを使って(HEINZの「グラタンソース缶」)、グラタン。ネギを炒め、ソース、牛乳を加えて加熱、耐熱皿に取り、チェダーチーズを乗せ、オーブントースターで200度、20分。とろりとしたネギが食欲をそそります。
(2020.03.10)
今日の五句
見つけたり
錆びた水門
音もなし
河川付け替えの結果、川筋から外れたのでしょう。
(2020.03.07)
休耕地
土も動かず
眠りけり
(2020.03.08)
太陽の
昇るときにぞ
沈む月
写真の左端に満月。
(2020.03.11)
春来たり
芽生えつつある
ニラ・チャイブ
チャイブ(手前)はネギ類最小のハーブ。ニラは「オリエンタル・チャイブ」とも呼ばれます。
(2020.03.11)
バナナ草
新芽生えたり
おずおずと
バナナらしき木(草)の春。だいたい松尾芭蕉の「芭蕉」のことなのです。でも、松尾バナナは変。恥ずかし気に薄緑色なのが新芽。
(2020.03.12)