虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

佐伯祐三〜黒が基調の画家

 佐伯祐三(さえき・ゆうぞう/1898−1928:満30歳没・大阪出身)は、フランス・パリで活躍して、結核と闘いながら、多くの作品を残した優れた画家でした。彼の画集を図書館から借りてみたのですが(「カンヴァス日本の名画23 佐伯祐三中央公論社:1978年初版」、彼の絵には、「黒」が特に目立つように思います。今回は、その点を追ってみようと思います。


 彼の略歴についてはwikiから。

佐伯は画家としての短い活動期間の大部分をパリで過ごし、フランスで客死した。作品はパリの街角、店先などを独特の荒々しいタッチで描いたものが多い。佐伯の風景画にはモチーフとして文字の登場するものが多く、街角のポスター、看板等の文字を造形要素の一部として取り入れている点が特色である。作品の大半は都市風景だが、人物画、静物画等もある。


藤島武二に師事し、東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学、在学中にやはり画家の卵であった池田米子と学生結婚している)


佐伯はその後満30歳で死去するまでの6年足らずの画家生活の間、2回パリに滞在し、代表作の多くはパリで描かれている。第1回のパリ渡航1924年大正13年)1月から1926年1月までで、約2年の滞在であった。1924年のある時(初夏とされる)、佐伯はパリ郊外のオーヴェール・シュル・オワーズ(ゴッホの終焉の地として知られる)に、フォーヴィスムの画家モーリス・ド・ヴラマンクを訪ねた。佐伯は持参した自作『裸婦』を見せたところ、ヴラマンクに「このアカデミックめ!」と一蹴され、強いショックを受けたとされる(その後、何度か彼の下に足を運んでいる)。事実、この頃から佐伯の画風は変化し始める。この第一次滞仏時の作品の多くはパリの街頭風景を描いたもので、ヴラマンクとともにユトリロの影響が明らかである。佐伯はパリに長く滞在することを望んでいたが、彼の健康を案じた家族らの説得に応じ、1926年にいったん日本へ帰国した。パリでの友人である前田寛治、里見勝蔵、小島善太郎らと「1930年協会」を結成する。


2度目の滞仏はそれから間もない1927年(昭和2年)8月からであり、佐伯はその後ふたたび日本の土を踏むことはなかった。佐伯は旺盛に制作を続けていたが、1928年3月頃より持病の結核が悪化したほか、精神面でも不安定となった。自殺未遂を経て、セーヌ県立ヴィル・エヴラール精神病院に入院。一切の食事を拒み、同年8月16日、衰弱死した。


・・・なんとも壮絶な一生です。佐伯は「アカデミズム」を敵視していましたが、フォーヴィズムの大家・ヴラマンクとの出会いは、彼、及び彼の画風におおきな影響を与えたようです。「お前の描く絵はアカデミズム臭いではないか!」という喝をもらったのですね。彼は、画家としての活動期間は4年数ヶ月という短い期間に400点にもおよぶ作品を描いています。(4日に一枚絵を描き上げている勘定になります。)


 佐伯の絵を3枚ほど挙げてみます。

@1:オー・カーヴ・ブルー(1925)




@2:人形(1925)




@3:広告張り(1927)




@1は、まさに「黒の画家」というに十分な絵です。看板以外は真っ黒です。
@2は、「流し目」をするコケティッシュな人形を描いていますが、背景はやはり黒が支配しています。
@3は佐伯お得意の「広告」を絵に取り入れるという手法を駆使していますが、建物の中は真っ黒です。


 ここに挙げた3枚のみならず、佐伯は「黒を基調にした」絵を沢山描いています。フォーヴィズム、そして同時代の表現主義の画家の絵は、黒のような無彩色ではなく、赤や青などの原色を駆使するというイメージがありますが、(ムンクなどは例外として)佐伯は「黒」にこだわりました。そして言うには「ぼくの絵は純粋か、純粋でないか、ほんとうか、ほんとうでないか、それを言ってくれ」というのが彼の口癖だったとのこと。・・・なんだか痛々しいです。以下のような詩も書いています。


クタバルナ、
今に見ろ。
水ゴリをしてもやりぬく、きっと俺はやりぬく
やりぬかねばをくものか。
死――病――仕事――愛――生活


 ついに喀血した彼は、精神病院に入院し、飲食せずに衰弱死してしまうのですが入院間際「サヨナラ、日本の皆さんによろしく」と語ったそうです。


 持病の結核を恐れ、それでも創作活動を続けた佐伯祐三、「死への恐れ」をばねにして絵を描いたのでしょう。黒とは虚無の色、いやでも黒=死の色を見つめ続けた佐伯の生涯は、やはり悲愴なものだったと思えてなりません。なお、詩のジャンルでですが、詩人に「色をつける」という文献を読んだことがありますが(その出典は失念)、一時期好きだったシャルル・ボードレールとか今でも好きなウィリアム・ブレイクが「黒い」とされていました。どちらも、「生死を根源から見つめた」詩を書いています。この黒は、「玄:げん」と呼んでもいいでしょう。この言葉は、陰陽五行論では、「冬・北・水」などを表象します。だから生命の根源である水の色は「玄、黒」なのでしょう。その意味で、佐伯祐三も、かれら詩人と同じ境地にいたのかも知れません。



  今日のひと言:@2:「人形」の絵を見たとき、殺風景な街角やむさくるしい「郵便配達夫」とはかなり違うとも思いましたが、根は同じく、「黒」の絵であるな、というのが印象です。(絵も前掲書より、縮小コピー・スキャン)


参考過去ログ  http://d.hatena.ne.jp/iirei/20111022
         :フォーヴィズム表現主義



佐伯祐三の晩年 衝撃の真実

佐伯祐三の晩年 衝撃の真実

ドイツ表現主義の誕生

ドイツ表現主義の誕生





今日の料理



@ソーメンのトムヤン風味





市販の缶詰「イナバのトムヤンチキン」を食べたあとの残り汁でソーメンを味付けしました。トムヤンクンスープのような酸味・辛みがあって美味しかったです。昼食。

 (2014.06.13)




@アボカドキムチ





この料理は  http://d.hatena.ne.jp/whitewitch/20140601

   :明日もいい日和

の料理を拝借しました。アボカドとキムチって、良く合うようです。適度に切ったアボカドに、キムチを加え、混ぜ合わせます。赤と緑の取り合わせも美しい。

 (2014.06.14)




ツユクサのお浸し





ツユクサは、梅雨時に青い清楚な花を咲かすので有名ですが、じつは茎葉を食べることができます。野菜料理の本などでは、茎と指定してあるのも存在しますが、私は、10cm程度の穂先(茎+葉)を摘んで、茹でてお浸しにします。カツオ節と醤油で味をつけますが、なんとなく山東菜のような風味がして美味です。

 (2014.06.16)
 


今日の三句


肩に傷
手負いの猫の
あはれさよ


このネコは、たぶん野良猫でしょう。そして雄?テリトリーの維持で意地をはり、喧嘩が絶えないのですね。しかも本人は背中は舐められません。

 (2014.06.15)




素早くも
麦から稲へ
植え替える





近郊の農家には、冬が麦、夏は稲という二毛作の育て方が多く、稲シーズンの後にレンゲを育てる農家は稀です。

 (2014.06.15)




風を観て
何を想うや
タエコかな


夕方の散歩の際、飼い犬のタエコが河原の向こう岸から吹いてくる風に反応していたのを見て。タエコは現在人間でいえば66歳くらい。元気です。

 (2014.06.16)