虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

三河物語:戦争と旗~大久保彦左衛門の面目(随想録―77)

三河物語:戦争と旗~大久保彦左衛門の面目(随想録―77)



三河物語』は、旗本で頑固一徹で知られた大久保彦左衛門の、安土桃山時代~江戸時代初期にかけての手記である。面白みのない文献と見られがちだが、江戸の庶民には、写本を通じて人気があったと言う。これも中央公論新社の「マンガ日本の古典」の1冊だ。無骨な彦左衛門を、武士にあこがれてその家臣になった太助(魚屋として知られる一心太助)の目から書いている。これはこのマンガの作画者の安彦良和(「機動戦士ガンダム」で有名)の発案であるが、実際、この両者には深いつながりがあり、墓も近くに立てられているという。



彦左衛門は、德川氏に古くから仕える譜代大名、だが大阪の陣のころはよそ者である本多正信・正純親子が権勢を振るい、彦左衛門の「年上の甥」・大久保忠隣(ただちか)と激しい勢力争いを繰り広げ、ついには忠隣を追い落とし、改易(大名取り潰し)させる時代背景だった。猪武者の彦左衛門が敵う本多正信ではなく、鬱憤が溜まる日々の彦左衛門だった。


そこで降って湧いた戦乱・・・大阪冬の陣・夏の陣で、彦左衛門は武士としてのプライドを賭け、戦いに臨む。夏の陣で、真田幸村徳川家康の陣に深く斬りこんできた際、槍奉行だった彦左衛門は旗奉行の某と言い争いになる。某は形式主義を振りかざすアホウだったが、彦左衛門は分を通し、思う存分戦う。だが、一歩陣を引いた家康は「自分のまわりに“旗”がない」ことに気付く。戦争終結後、家康はそれを問題とし、関連のあった彦左衛門と「論争」になるが、彦左衛門は自分を曲げない・・・「旗はあった」と。


この論争、なにが問題なのだろう。「旗」の価値であろう。古今東西、戦争には「旗」が付き物だ。長州軍人:乃木希典(のぎ・まれすけ)も、戊辰戦争の際、旗を敵に奪われたことを、一生恥じていた。でも、ここに面白い詩がある。WW1に従軍して戦死したウィルフレッド・オーウェンのものである。


次の戦争


僕らは死の方へまるで愛想よく歩いていった、
 冷静に物柔らかに、一緒に食事をした――
 手にした飯盒を落とされても咎めなかった。
彼の息は濃い緑のような匂いがした――
涙が出たが、僕らの勇気は衰えていなかった。
 われわれは銃弾の唾や榴散弾のせきを
 吐きかけられ、彼が高く歌うと合唱した。
三日月刀でなぎ倒されると、口笛を吹いた。


おお、死はわれわれの敵だったことはない!
 長い仲間で、彼を見て笑い、彼と結んだ。
兵の給料は彼の力に抗するためではなかった。
 われわれは笑った、もっと立派な連中が
もっと大きな戦争のくるのを知っていたから。
誇高き戦士らは「生」のために「死」と戦うと自慢
 するが、人のためではなく――旗のためだ。


https://iirei.hatenablog.com/entry/20101127/1290814439

 (私の過去ログ)


人は、なんとも抽象的な物に殉じるのだな。乃木希典は言わずもがな、徳川家康と言えども例外ではない。

 (2023.01.05)






今日の7句


ラッキョウ
列をなしてぞ
寒凌ぐ



 (2022.12.31)



剣ごと
雪が煌めく
浅間山



 (2023.01.01)



白菜の
頭縛りし
稲わらや



 寒さで枯れないように。

 (2023.01.01)



木のままで
干し菓子になる
柿の実や



 (2023.01.01)



道端に
我が家の岡海苔
生え出でり

 


野菜の一種。良くゆでると粘りが出て美味しい。

 (2023.01.02)



冬の畑
多くの野菜
共存し



 (2023.01.02)



身を寄せて
春を待つなり
アジサイ



 (2023.01.02)