「信長公記」(小島剛夕):織田信長一代記・映像詩風(随想録―71)
「信長公記」(小島剛夕):織田信長一代記・映像詩風(随想録―71)
織田信長は日本史上の有名人物であり、その事績は広く認知されている。NHKの大河ドラマでも、民放の時代劇でもよく取り上げられてきたので、その辺はよく知られている。
本編は信長の行動を時系列で追うのではなく、彼の人生の目立つエピソードを、個別に挙げるという形で描かれている。言わば「映像詩」という味付けで呈示される。それは、上で書いたように織田信長の事績が有名であることも無関係ではないだろう。
若いころの「うつけ」ぶり、実父の葬式で抹香を投げつけた話、長槍の話、桶狭間の戦い、足利将軍・義昭を擁しての上洛、楽市楽座、安土城、姉川の合戦、本能寺の変・・・これらのエピソードが脈絡をあまりつけずに登場する。「映像詩」と私が呼ぶ所以である。
「信長公記」の著者は、その軍事的能力、事務的能力を買われて、織田信長、豊臣秀吉、德川家康に仕えた太田牛一。信長の死後、江戸時代になって引退し、自由の身になってじっくり執筆されたものだと言う。正確さを期して書かれた文献で、資料的価値が高く、近世以降の、織田信長に関する小説や評論の基となっている。
このマンガの作画者は、「子連れ狼」で有名な小島剛夕。「子連れ狼」のラスト・シーン、柳生烈堂との熾烈な最終決戦の末、戦いながら絶命した、父:拝一刀の仇を晴らす一子:大五郎の烈堂への突撃・仇打ちのエピソードは、漫画史に残るだろう。傑作だった。なんせ、この決戦を見守っていたすべての武士たちが、黙って静かに落涙したというほどのスペクタクルだったのだ。
今回、「信長公記」を手にして、ぱらぱらめくった際、「目が死んだような人物」のコマがたまたま目に入ったので、「あの“子連れ狼”の小島剛夕にも焼きが回ったか」と思ったが、実際読んでみると、生気があり、予想に反して、一気に読み終えた。まあ、巨匠だな。
人はこの小島のようなタイプの漫画を「劇画」と称する。「ゴルゴ13」シリーズの「さいとう・たかを」などもこのジャンルに分類される。「マンガの神様:手塚治虫」は、これを嫌っていたが、まあ、漫画の一分類には違いない。ちなみに、“子連れ狼”の原作者:小池一夫は多作だが、公平に見て、この作品以外は「駄作」ばかりだと言えよう。読者のセックス・ヴァイオレンス志向におもねり、その辺を刺激するだけの原作ばかり書いていたからだ。
(2022.12.22)
今日の7句
幼生の
現の証拠も
冬を越す
(2022.12.11)
ミニバラの
過分な色気
放ちたり
(2022.12.11)
大半は
花の落ちたる
猩々花
たぶん、トウダイグサ科。
(2022.12.11)
サクラの木
くっつくコケも
見事なり
(2022.12.11)
宅地跡
門構えのみ
過去語る
(2022.12.11)
エンドウの
可憐な花が
陽と語る
(2022.12.11)
垣根より
マツバギクなむ
顔を出す
(2022.12.12)