虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

戦争詩人・ウィルフレッド・オーウェン

「私の主題は戦争であり、戦争の悲しみである。詩はその悲しみの中にある。詩人の為しうる全てとは、警告を与えることにある」。
    (中略)
詩を書いたオーウェンは25歳で亡くなりました。「オーウェンは一滴の涙もこぼさずに、この戦争のあわれさを見つめた詩人だった」。

これは、「ラストテスタメント クラシック-デフォルメ演奏の探求」というブログの一節です。http://ameblo.jp/fairchild670/(2009.10.20付け)


ブリテン作曲の「戦争レクイエム」に詩を提供したということであり、このオーウェンに関心が生まれたので、ちょっと調べてみました。wikipediaでは

ウィルフレッド・エドワード・ソールター・オーエン (Wilfred Edward Salter Owen, 1893年3月18日-1918年11月4日) は「死すべき定めの若者のための賛歌」 (Anthem for Doomed Youth) などの第一次世界大戦を題材にした詩で知られるイギリスの詩人。
    (中略)
オーエンは自身が体験した塹壕と毒ガスの激戦を描いた詩によって、ジークフリードサスーンと並び第一次世界大戦を象徴する『ウォーポエット』(War Poet)として人々の記憶に刻まれている。エディンバラで療養中のオーエンがサスーンと出会った事はオーエンの作風に大きな影響を及ぼし、オーエンの代表作『死すべき定めの若者のための賛歌』も一語一句に至るまでサスーンの添削を受け、推敲に推敲を重ねたものである。 オーエンとてサスーンと出会う以前からサスーンが強調したリアリズムや『体験から書く事』という要素と無縁であったわけではないが、これらの要素がオーエンの作風の核を占めるようになったのはまぎれもなくサスーンの影響によるものと思われる。現在世上に評価されているオーエンの詩の多くは サスーンとの出会い以降に書かれた物である事がなによりの例証である。
サスーンはオーエン戦死の直前からオーエンの詩の紹介に努め、オーエンの詩はその成り立ちから受容に至るまでサスーンの影響下に置かれる事になった。サスーンの紹介でオーエンの詩を知ったイーディス・シットウェルはオーエン初の詩集の出版に尽力、第二のオーエン詩集を刊行したのはやはりサスーンの紹介でオーエンの詩を知った詩人エドマンド・ブランデンである。

オーウェンは、単なる「反戦詩人」ではないような気がします。イギリス軍に従軍し、戦功で勲章を受けたりしています。また戦場で兵士として命の花を散らします。その彼が見つめ続けた「戦争」とは?

 オーウェンに関する資料は、図書館でも乏しく、かろうじて禁貸出の本から数ページのコピーが取れただけでした。(世界名詩集大成10:平凡社)その詩篇の序文の書き出しでいわく(中桐雅夫・訳)

 
この詩集は英雄たちに関するものではない。英詩はいまだ彼らについて語るに適当ではない。

ずっと適当でないことになるか、と思います。
ひとつ詩を挙げてみましょう。



次の戦争


僕らは死の方へまるで愛想よく歩いていった、
 冷静に物柔らかに、一緒に食事をした――
 手にした飯盒を落とされても咎めなかった。
彼の息は濃い緑のような匂いがした――
涙が出たが、僕らの勇気は衰えていなかった。
 われわれは銃弾の唾や榴散弾のせきを
 吐きかけられ、彼が高く歌うと合唱した。
三日月刀でなぎ倒されると、口笛を吹いた。


おお、死はわれわれの敵だったことはない!
 長い仲間で、彼を見て笑い、彼と結んだ。
兵の給料は彼の力に抗するためではなかった。
 われわれは笑った、もっと立派な連中が
もっと大きな戦争のくるのを知っていたから。
誇高き戦士らは「生」のために「死」と戦うと自慢
 するが、人のためではなく――旗のためだ。

ここにいう「彼」とはまちがいなく「死」のことですね。第一次世界大戦は、近代兵器の見本市のような戦争で、毒ガス兵器がはじめてつかわれたのも、オーウェンがいたフランスにおける塹壕戦(ざんごうせん)でした。この詩で特に光るのは 「われわれは銃弾の唾や榴散弾のせきを吐きかけられ、彼が高く歌うと合唱した。」 などと、擬人化が、その場に居合わせた者だけが形容できる兵器の有様ですね。

 そして、最終行・・・戦争の目的は、いつでも「国益」を守ることにある、ということが諦観をもって綴られている点がGOODです。



今日のひと言:論理哲学者のウィトゲンシュタインヴィトゲンシュタイン)も、同じ第一次世界大戦に従軍し、兵営のなかで「論理哲学論考」をメモにしたためていて、それを師であるバートランド・ラッセルに送り、その尋常ではなくスゴイ内容にラッセルが圧倒されたとのことですが、たとえ戦場でも、これほどの知的活動を出来る人が複数いたのですね。なお、ヴィトゲンシュタインは、第二次世界大戦にも「看護兵」として従軍しています。


ウイルフレッド・オウエン戦争詩篇 (ウイルフレッド・オウエン研究)

ウイルフレッド・オウエン戦争詩篇 (ウイルフレッド・オウエン研究)



今日の詩


  落ち着くところ


「俺は この女と
落ち着くところを希望しない」
「あの女とも・・・」
――と思っている間に
俺の落ち着くところは
なくなった。
 (2010.11.23)