虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

公害の泰斗・宇井純氏と私

 
 ここに、2006年5月2日付けの朝日新聞に、生前宇井純(うい・じゅん)さんへのインタビュー記事が載っています。(元東京大学工学部都市工学科助手また沖縄大学教授)


 環境問題の権威・宇井氏は、「水俣病」の存在を広く世の中に広めた功績のある人で、水俣市チッソ株式会社が「有機水銀」を湾にたれ流し、沿岸住民の多くとネコたち、魚を食べる者たちに中毒症状が発生した問題です。なお、当時のチッソという会社は東大応用化学首席で卒業した者しか採用しなかったので有名です。


 このように書かれています。

戦争直後の食べ物のないときに、自分たちはチッソ(当時、新日本窒素肥料)の肥料で作物を作り、チッソが作ったビニールフィルムを使ってサツマイモを栽培して飢えをしのいだ、だから水俣病は、国民全体が食うために必要とした災害みたいなものなんだという意見が最近でてきた。


この意見によれば、消費者も加害者であろう、という感想もでてくるでしょうね。そして被害者は税金で救済して当然であるという意見もあるだろうとも。

 そして、


最近のアスベスト問題を見ると、結局、日本社会はこの50年間何も学んでいない
そして、以前から今まで、なにも変わっていない官僚への批判へと続きます。


立派な論考です、さすが宇井純氏。その宇井さんについて、私は「はてなキーワード」を作成しています。以下。


日本の公害問題研究の第一人者。2006年没。化学者日本ゼオン高岡工場に勤めていたとき、熊本の水俣病の存在を知り、自らの営為を振り返るため、東大工学部土木工学科に入りなおし、水問題としての環境問題に思索実践を重ねる。東大都市工学科が1960年代に新設されたとき、助手として採用される。(ただその言行がたたって万年助手に甘んじる。)

 基本的にあふれるがごときイマジネーションの持主であり、活性汚泥法の一変法である「酸化溝」とか、「簡易水質調査」などの概念を創出する。東大退官後は沖縄大学教授をする。一部に「現代の田中正造」との呼称があるが、まだまだその境地にはいたらず他界した。

 なお、東大在籍中に「自主講座」という運動を主宰した。


 また、その名声が「日本のラルフ・ネーダー」として定着した際、もし国会議員に立候補すれば、おそらく当選したのでは?と言われていました。私も初めて自主講座に出席した際、当時の日本の政党の特質をグラフ化して明解に斬る宇井さんのシャープさに驚き感動したもので、以後自主講座に入り浸るようになりました。


 ただ、宇井さんは部下思いではありませんでした。彼の水処理技術「酸化溝オキシデーション・ディッチ」の研究をスタッフに押し付け、さらに宇井さんがしなければならない事務的な手続をもスタッフに押し付けて、さっさと「フルブライト留学」に行ってしまいました。そのスタッフの彼、留学前、宇井さんに歓待されたそうですが、その場は牛丼吉野屋!!・・・そうとうケチだったのですね。大事なスタッフだったので、料亭とは言わずとも、せめて回転寿司ではない本格的な寿司屋で歓待すべきだったと思います。その彼は東大出身ではなく環境関係の専門学校を修了した俊才でした。ほどなく、彼は離脱しました。


 そのフルブライト(私はFool Bright:(賢い馬鹿)と読んでいましたが)留学から帰ってきた宇井さんが、珍しく自主講座に出入りしていた東大生都市工学科・衛生コース)である私に、「森下くん、そろそろ卒論の案を練ろうか」と言ってきたのに対し、私は「すいません、私は中西準子さんにつきます」と言って断りました。私は宇井さんのケチの犠牲者にはなりたくなかったので。以上述べたことから推測できるように、宇井さんは自主講座に出入りする者、特に東大生には人気がありませんでした。それで宇井さんに失望した東大生は中西さんの研究室に入るのがだいたいだったのです。宇井さん曰く「昔に比べ、東大生はレベルが低くなった。」――大きなお世話です。


そして、私から見ると、宇井さんは「大きな子ども」とでも言えるような人でした。遠くのことがよく弁別できても、身のまわりについては盲目だったと。もっとも、私も彼と同じような資質があったのか、宇井さんが(私からみて)理不尽を言ってきたときには、正面から口喧嘩をし(2回くらい)、以後宇井さんはわたしには理不尽を吹っかけなくなったのですが・・・


今日のひと言:宇井さんが水俣病で運動していたとき、「富田八郎:とみたはちろう→とんだやろう」というペンネームを使っていたそうですが、チッソから見れば確かに「とんだ・ひどい・野郎」でしたでしょう。この頃の宇井さんは光っていたとのことです。「君よ歩いて考えろ」という本を上梓していましたが、本人はあまり歩くことはせず、住民運動の現場に行くときも、住民が用意した車に乗って移動することが常で、下腹部は膨らんでいましたねえ。

豊かな老いをつくる <若月俊一対話集 3>

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新装版 合本 公害原論

新装版 合本 公害原論

今日の二句


ナンバンが
赤いだろうと
自慢せり


我が家の入り口に生えているいわゆるナンバン(南蛮)の実が赤く染まってきました。食用にはならずもっぱら観賞用の植物です。ナス科植物であり、有毒な可能性が捨てきれないですね。

    (2011.08.11)



除草剤
何するものぞ
また生える


野草の強さを愛でて詠みました。

    (2011.08.11)