虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

俳句とは何か?:芭蕉、蕪村、一茶の3大俳人を比較して

俳句とは何か?:芭蕉、蕪村、一茶の3大俳人を比較して



私が俳句を詠みはじめて(断続的に、ではありましたが)、30年ほど経ちました。色々な事物(いわゆる花鳥諷詠というか)、について書きましたが、もっともネタにしたのは植物、なかでも野草でした。私は雑草とも呼ばれるこのカテゴリーの自然について、興味が集中し、「野草俳人」または「植物俳人」とも自称できるか、と思われます。


さて、松尾芭蕉については、もちろん彼が俳諧(俳句)における古今東西を通じての王者であるとの評価を、世間一般の人と同じく私も付与します。五感すべてを動員して書かれた芭蕉の俳句は、その臨場感において、並ぶ者がありません。



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奥の細道講談社学術文庫):ドナルド・キーン氏訳(!!)



@1:閑さや 岩にしみ入る 蝉の声


@2:五月雨を 集めて早し 最上川


@3:旅に病んで 夢は枯野を 駆け巡る(辞世)


@1は、聴覚を、@2は触覚を動員しています。(ちょっと補足すれば、@2の句は最初  


@五月雨を 集めて涼し 最上川


と詠んだのですが、「早し」という言い回しが「涼し」を当然含むので、決定稿では「早し」にしたのだと言います。川に手を入れて、涼しさ、速さを芭蕉は感じたのでしょう。)辞世の句は、肉感的で、皮膚感覚に訴える句だと思います。なお、芭蕉がほんとに末期に詠んだ句は


@秋深し 隣はなにを する人ぞ


・・・だったそうです。(聴覚の発露?)



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芥川龍之介が解釈した芭蕉の臨終風景



次に、与謝蕪村。この人が絵師でもあったことは有名なお話です。代表的な3句を挙げましょう。


@4:さみだれや 大河を前に 家二軒


@5:菜の花や 月は東に 日は西に


@6:しら梅に 明かる 夜ばかりと なりにけり(辞世)


これらはもちろん蕪村の代表的な句ですが、画家であったのが当然のように「視覚」を刺激する句である傾向が顕著です。辞世でさえ絵画に擬えられます。


最後に小林一茶。これも3句。


@7:雀の子 そこのけそこのけ 御馬が通る


@8:やれ打つな 蠅が手を摺り 足をする


@9:名月を 取ってくれろと 泣く子かな


私の参照した資料では、辞世の句は出てきませんでした。ただ、たしか


@盥(たらい)から 盥にうつる ちんぷんかん


・・・このような句であったと覚えています。


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一茶の句は、まるで彼が教育者であるかのように、弱きものへの優しさがにじみ出ています。使う五感は、やや視覚に偏りますが、蕪村のような画家ではないでしょう。一種、垢抜けしない句風です。まあ、ダサいのですが、彼が生きとし生けるものに注ぐ愛情は、他の追随を容易に許さないでしょう(ただし近代の村上鬼城は除く)。



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三者三様ですが、あえてこの3巨人に順位をつけるとするなら、1位:芭蕉、2位:一茶、3位:蕪村となるでしょう。俳句とは、「自然(ないし、人工物でも自然と見なせば)」にいかに没入できるか、という五感、体験に掛かっている芸術だと思います。どれだけ自然と一体化できるかが勝負なのです。


松尾芭蕉の接し方がその模範です。小林一茶は、やや作句の対象が偏っていて、古典についてもほとんど無知とは思えますが、自然と一体化していると考えます。与謝蕪村については、彼は傍観者だと思います。没入していない。自然と一体化してはおらず、視覚にのみ頼り、本業の絵画を描くのではなく、短冊に絵画の場合と同じ意識で句を書いていたのだと思います。まあ、この見解は蕪村にとっては酷であるとは思います。人間、外部の情報について、視覚で80%を得ていることが厳然としてありますから。俳人としての私だって、視覚こそが外部情報を得る最大の感覚です。



今日のひと言:3大俳人をうんぬんするには私は力不足ですが、蛮勇を振るって、書上げました。最後に、明治期の「和歌・俳句の改革者」と自称した正岡子規、批判の舌鋒は鋭いですが、彼の肝心の実作品には、さほどの物はないと思っています。有名な作品として


@鶏頭の 十四五本も ありぬべし


という句がありますが、病床から外の様子を見てそのまま書いたらしく、彼の提唱した「写生の句」そのものかも知れません。この句を書いた当初、弟子たちの間でも不評だったようです。(wikiの、この句についての解説に拠りました。)





辞世の句に関するソースは、この「第二芸術」です。






今日の詩


@ハレーション


色がハレーションを起こす。


赤,赤,赤! 青,青,青!!


花の写真を見ていて,


それらが花に見えなくなる!!


何なんだろう,このパンフレット!


なんたる嫌悪感。


今期は種や苗を買わぬことにした。




(*私はここ25年ほど日本の2大種苗会社の通信販売を利用してきました。)

 (2021.11.26)






今日の7句


ケヤキ
他を圧して
聳えけり


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某寺院の敷地に立つ何本かのケヤキアンタッチャブルです。

 (2021.11.24)



均整の
取れたナズナ
ロゼッタ


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植物が冬を迎えて取る草姿。バラ(ローズ)の花と似ているので、ロゼッタと言います。

 (2021.11,25)



風嬲る(なぶる)
枯れ果て立てる
泡立ち草


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 (2021.11.27)



朝六時
朝焼けの雲
癒やされる


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 (2021.11.27)



路上にて
目を引く落ち葉
赤痛し


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 (2021.11.27)



強風に
旗の泳ぎし
冬田畑


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 肥料袋を切って、旗にした農家がいるようです。

 (2021.11.28)



サツマイモ
白装束に
霜の網


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この植物を作付けした人、掘り起こす時間がないのでしょう。

 (2021.11.30)






今日の写真集




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早朝の赤城山。凛として立つ。 (2021.11.27)




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雲をまとった皇海山(すかいざん)。左側。(2021.11.28)

 





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