俳句特集 その1(一回置きに3回エントリーします。)
村上鬼城(むらかみ・きじょう)は、明治、大正、昭和と活躍した俳人です。俳句月刊誌「ホトトギス」の主宰者・高浜虚子に認められ、大正の数年間、同誌の巻頭を飾るという快挙を成し遂げた大俳人です。そんな彼の句の代表的なものが、このブログの劈頭に掲げた句です。1865年(慶応元年)から1938年(昭和13年)までの生涯です。
村上鬼城は、動植物を独特な視点から凝視する句が多いです。幾つか挙げれば
1@冬蜂の死にどころなく歩きけり
2@夏草に這ひ上りたる捨蚕かな
3@行く春や親になりたる盲犬
4@雷や猫かへり来る草の宿
1@は彼、村上鬼城の境涯(:わけあり)を写して余りあります。彼は、聾者(ろうしゃ:耳が遠い人)であり、日常生活にも困ることがあったはずで、さらには、祖国の為に立派な兵士になるつもりでいたものが、その耳疾のためなれず、しがない代書屋をやっていました。そんな彼が、兵士である蜂が、冬の寒さの中、死に所を求めて与えられないことに、憐れみを感じていたのは確かでしょう。この冬蜂が彼そのものであるかのような・・・しかし、私が今読んでいる本「村上鬼城 ―解釈と鑑賞―」(中里麦外:永田書房・平成5年初版)によれば、この句は単なる憐憫(れんびん:哀れむこと)や自己憐憫で出来ているのではないそうで、私が読取った感じではこの両者(蜂、鬼城)を見渡す位置に俳人は居て、句を産み出すということになるのでしょう。
2@は養蚕農家で、クワの葉が間に合わず、大事なカイコを捨ててしまったけど、カイコは生きる意志を持って草の上に上ってくる・・・登らせたのは、村上鬼城その人の力、あるいはイマジネーションであると、中里さんは言います。
3@の句は、類句が多いです。盲犬(めくらいぬ)を詠んだ句。盲犬も、憐憫の対象ですが、これも1@と同じく解釈すべきものでしょう。
4@、村上鬼城はことのほか猫が好きで、可愛らしい猫たちを暖かい眼で見ています。
村上鬼城は、朱子学的なストイックさと、老荘思想のようなおおらかさを併せ持つ俳人だと前掲書にあります。・・・あれーー、180度も違う立場ではないでしょうか。まあ、矛盾をも併せ持っての人間ですね。
ただ、村上鬼城がいろいろな動植物を題材にすることは、ちょうど荘子の「万物斉同」の視点を持っているのか、と思われますので、私が「はてなキーワード」に登録したその項を引用してみます。
道家の思想家・荘子(そうし)の中心的な概念。「全ての物を斉しく(ひとしく)同一と見なす」という概略であるが、この場合 民主主義の「平等」という概念とはまったく違う。自己が絶対者であるという意識をもって「全てのもの」に差別を設けないという境地を言うのである。「物」には「者」としての人間も含む。なお、その絶対者も万物のひとつに過ぎないという認識も重要である。「荘子:そうじ(書物としてはこう読む)・斉物論編」に詳しい。
今日のひと言:
5@生きかはり死にかはりして打つ田かな
この句は非常に面白い。先祖代々やってきた田んぼの農作業が、時間を超えた永遠の画像としてまぶたに浮かびます。俳句とは、本来的に写真のスナップショットであると私は思いますが、この句は、まさに時空を超えて象形化されているのです。
今日の一句
轢かれせし
あはれ椋鳥
空仰ぐ
椋鳥(ムクドリ)が自動車と正面衝突し、地に落ち、仰向きに倒れた「現場」に遭遇して。
(2011.02.02)
もう一句
恵方巻
今年も食す
春なりき
(2011.02.03)
- 作者: 中里麦外
- 出版社/メーカー: 永田書房
- 発売日: 1993
- メディア: ?
- この商品を含むブログ (1件) を見る
- 作者: 坪内稔典
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2010/12/18
- メディア: 新書
- クリック: 10回
- この商品を含むブログ (15件) を見る
今日の二言目:本日NHKで再放送されていた「恋する日本語」がよかったです。そこで取り上げられていた
この歌、良いです。
『たまゆらに昨日の夕、見しものを
今日の朝に恋ふべきものか』 万葉集:作者不詳
http://54820276.at.webry.info/201101/article_19.html
参照。
こうあります:
●玉響(たまゆら)・・・・・・・ほんの少しの間
たまゆらとは・・・玉が揺らぎ触れ合う音が微かなことから
ほんの少しの間という意味を現す