辞世シリーズ その3
「辞世の一句」(木村虹雨:角川書店)を紐解き、辞世(one’s dying words)の俳句を調べてみました。
@春寒し 赤鉛筆は六角形(hexagon)
星野立子
@紫陽花(ajisai:hydrangea)や 水辺の夕餉(yuuge:supper) 早きかな
水原秋櫻子
以上の2句は、辞世の句であるとは、とても思えません。この種の句が辞世の句として多数収録されています。なんだかなあ。
@絶えもせず 吾が庭に咲く 曼珠沙華
山口波津女
曼珠沙華(manjushage:ヒガンバナ)ということばが入っているので、かろうじて辞世かな、と思われます。
@旅に病んで 夢は枯野をかけ廻る
松尾芭蕉
@白梅に 明ける 夜ばかりと なりにけり
与謝蕪村
@盥(たらい:tray)から盥へうつる ちんぷんかん(chinpunkan:hard to commprehensive)
小林一茶(この句は「辞世の一句」には収録されていません)
以上、俳句の3巨人の句は、それぞれ味がありますね。
@うらを見せおもてを見せてちるもみじ
良寛
この句は、大好きです。(My favorrite words.)
@春の山から ころころ 石ころ
種田山頭火
自由律俳句の面目躍如です。
正直言って、俳句は辞世を詠むには力不足であると思います。17文字という制約は大きいです。そこへ行くと、31文字の短歌なら、十分に意が盛り込めます。また、「季語」という制約も、辞世を詠むには大きな足かせです。自由律俳句(Free haiku)の種田山頭火(Taneda Sanntouka)の句は、その制約から自由です。それにしても、水原秋櫻子(Mizuhara Shuuoushi)の句のつまらないことと言ったら!17文字で辞世を言ってのけることが出来るのは、松尾芭蕉や良寛など、限られた人だけのようです。
季節が生まれるのは、地球の地軸が23度傾いているからで、それは地球におきる物理的現象のひとつに過ぎず、それに全面的に依拠する俳句は、表現形式としては2流の芸術であると私は思います。
今日のひと言:私が昔詠んだ一句(一種の辞世:farewell poem to the world)
蟷螂の 空に祈るや 百舌の糞
蟷螂(とうろう:a praying mantis)はカマキリ、百舌(hundred tongues)はモズ(a kind of Eagle)という鳥です。都会生活を捨てて、山暮らしを始める際の決意を詠んでいます。カマキリがモズに捕まり、木に刺されて「ハヤニエ」(a Victim)にされた姿を見て詠んだものです。