虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

老子と江戸幕府〜小国寡民と鎖国政策

老子・第80章に、以下のような記述があります。


国は小さく住民は少ない(としよう)。軍隊に要する道具はあったとしても使わせないようにし、人民に命をだいじにさせ、遠くへ移住することがないようにさせるならば、船や車はあったところで、それに乗るまでもなく、甲や武器があったところで、それらを並べて見せる機会もない。もう一度、人びとが結んだ縄を(契約に)用いる(太古の)世と(同じく)し、かれらの(まずい)食物をうまいと思わせ、(そまつな)衣服を心地よく感じさせ、(せまい)すまいにおちつかせ、(素朴な)習慣(の生活)を楽しくすごすようにさせる。(そうなれば)隣の国はすぐ見えるところにあって、鶏や犬の鳴く声が聞こえるほどであっても、人民は老いて死ぬまで、(他国の人と)たがいに行き来することもないであろう。

   「はてなキーワード」より(老子の言葉)


これが有名な「小国寡民:しょうこくかみん」政策で、老子の言う理想郷でした。そして、その境地に最も近い政治を始めたのは、徳川家康かと思います。鎖国政策により、小さな日本、一国においてこれ(小国寡民)を実現したのですから。(もちろん、実際に鎖国政策を実施したのは家康の孫の家光でしたが)


いまでは、アクセスできないのですが、徳川家康は、覇権獲得後、260年にも渡る平和な社会を築いたのですから、むしろ、ノーベル平和賞を与えられて然るべきだ、との面白い見解を見たことがあります。・・・なるほど。(あとで「徳川家康 ノーベル平和賞」で検索してみると、かなりのHPがヒットします。・・・パックス・トクガワーナ(徳川による平和)


鎖国」についてwikipediaで概観すると

鎖国(さこく)とは、江戸幕府が日本人の海外交通を禁止し、外交・貿易を制限した対外政策である。ならびに、そこから生まれた孤立状態を指す。実際には孤立しているわけではなく、李氏朝鮮及び琉球王国とは「通信」の関係にあり、中国(明朝と清朝)及びオランダ(オランダ東インド会社)との間に通商関係があった。鎖国というとオランダとの貿易が取り上げられるが、実際には幕府が認めていたオランダとの貿易額は中国の半分であった。


徳川幕府鎖国に踏み切った決定的な事件は、1637年(寛永14年)に起こった島原の乱である。この乱により、キリスト教徳川幕府を揺るがす元凶と考え、新たな布教活動が今後一切行われることのないようイベリア半島勢力を排除した。ポルトガルは1636年以降出島でのみの交易が許されていたが、1639年にポルトガルが追放されると出島は空き地となっていた。1641年、平戸のオランダ商館倉庫に「西暦」が彫られているという些細な理由で、オランダは倉庫を破却し平戸から出島に移ることを強制された(ポルトガルは出島使用料を年額銀80貫払っていたが、オランダは55貫にまけさせている)。また、徳川幕府に対して布教を一切しないことを約束した。


18世紀後半から19世紀中頃にかけて、ロシア帝国、イギリス、フランス、アメリカ合衆国などの艦船が日本に来航し、交渉を行ったが、その多くは拒否された。しかし、1853年7月8日には浦賀アメリカのマシュー・ペリー率いる黒船が来航し、翌1854年3月31日には日米和親条約が締結され、終に開国に至った。その後、日米修好通商条約(1858年)を初めとする不平等条約が続々と締結され、「鎖国」は崩壊したのである。

・・・ざっと、こういった具合でしたが、戦国時代には強力な軍事国家だった日本は、鎖国政策の末、欧米列強の餌食(えじき)になってしまったのです。ここで見逃せないのは、江戸幕府は「新規な発明を禁じる」という基本方針を持っていたことです。刀や銃の研究・発明・実用化を凡て禁止したわけです。そこで武器職人は、銃刀の「飾り」に熱中したのです。でも、それは欧米が実質的に進化した銃を実用化するに及んで、まったく相手にならない無用の長物となってしまったのです。火縄銃では、最新のミニェー銃には対抗できるわけがなかったのですね。


 一方、幕末の英明な藩主たちは、欧米に学び・・・(書物からですが)・・・たとえば宇和島藩伊達宗城は、村田蔵六(後の大村益次郎)に命じ、蒸気船を作らせています。明治維新は、このような進化を良しとする勢力によって成し遂げられたのでしょうね。


 さて、冒頭に挙げた「老子」ですが、彼も上述の「新規な発明を禁じる」という立場に立っていました。老子第57章にいわく:


人民が鋭い武器をもてばもつほど、国家はますます暗黒になる。こざかしい技術者が多ければ多いほど、見なれない品物がますますできてくる。

   老子小川環樹訳注:中公文庫:131P・・・抜粋


老子は、このような事柄を述べ、技術の進歩には否定的な立場を取っています。でも、このブログで書いてきたように、老子的な政策をとってきた徳川幕府は、外圧に耐えられないほど、(武力的に)衰退していたのです。



今日のひと言:完全に見えるコミュニティーも、外圧のことを考慮しないと、国一国の運命が危うくなる、それこそが江戸幕府が意識しなかった陥穽なのでした。・・・そして、蒸気機関を作った技術者は、使用するシチュエーションを考慮せずに「新規な発明」をもっぱらにする人種だったのですね。でも、彼らの活動に一定の規制を加えないと、行き着く果てに「原爆」「原発」の技術をも作ってしまうのですね。この状況は、江戸幕府が黒船に屈して開国したような事実より、はるかに危険で、これら核関連技術はすぐさま封印すべきなのです。・・・イノベーション(技術革新)は要らない・・・



参考過去ログ


http://d.hatena.ne.jp/iirei/20130822#1377141096  老子・各章解題〜〜その1


http://d.hatena.ne.jp/iirei/20130901#1378003800  老子・各章解題〜〜その2


http://d.hatena.ne.jp/iirei/20130911#1378866552  老子・各章解題〜〜その3


http://d.hatena.ne.jp/iirei/20090610#1244587647  老子の七定理



「鎖国」という外交 (全集 日本の歴史 9)

「鎖国」という外交 (全集 日本の歴史 9)

日本文明と近代西洋 「鎖国」再考 (NHKブックス)

日本文明と近代西洋 「鎖国」再考 (NHKブックス)



今日の料理



@5種の草のお浸し






プランターに伸びている野菜、野草を5種類摘んでお浸しにしたもの。ツルナバイアムアカザスベリヒユタンポポの5種類です。タンポポ以外は「シュウ酸」を含みますので、同じ扱いで前処理が終わるので、簡単です。和製「ムスクラン」。

 (2014.06.23)




ミョウガミョウガタケ




若いころのミョウガは、草の茎も食べられます。これをミョウガタケといいます。味噌を塗って。ただ、ちょっと収穫が遅かったのか、芯が硬い状態でした。

 (2014.06.23)


@アボカド塩辛





アボカドを使った料理の3つ目。これまでキュウリと合わせた「アボキュウ」、キムチと合わせた「アボカドキムチ」を作りました。味は珍妙。美味しいです。


http://d.hatena.ne.jp/iirei/20140114#1389631705  アボキュウ


http://d.hatena.ne.jp/iirei/20140617#1402999890  アボカドキムチ



(注)この料理は、鮮度が命のようです。と言うのも、一晩置くと、アボカドが黒ずんできます。だから食べる分だけ合わせるのが肝要ですね。黒いのがイカスミのようで、気にならないようなら、翌日も食べることはできます。






今日の一句


先住の
草を抜かずに
植える稲






田起しが面倒なのか、それまで生えていた雑草をそのままにして田植えを強行する農家。稲の並びが美しく見えません。まあ、収穫に支障がなければそれでいいのですが。

 (2014.06.25)