虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

老子と尹喜(いんき:関守)の交流〜心意気に感じる

@_@老子は、古代中国の哲学者。活躍した時代には諸説ありますし、老子が誰であったかも定かではないのです。架空の人物であるという説も根強くあります。ただ『老子』と言う書物は現代に生きる我々にとって、極めて重要な実質とメッセージを持っていると思われるのです。@_@


以下は、はてなグループの「老子を読む」においての、私(iirei)と、このグループの管理人であるid:kiku38d さんとの問答です。kikuさんはK、私をIで示しました。


K:『史記』の老子伝によると、老子は周の国の衰えを悟り、その地を去ることを決めたとき、国境の関所(現.函谷関ないし散関)に至りました。

そのとき、関令(=関所の長官)であった尹喜に請われて『老子』を書かれたと伝えられているとのことでした。

老子自身は自身の思想(哲学?)を残すつもりもなく、それまでも書を作成していなかったことから、私は『老子』という書が読み手のことをあまり考慮して書いたものではなかったのではないかと考えました。

そのため、もし第一章の「道可道,非常道。」を<真の道は語りえない>という意味で書かれていたとしたら(注:この見解はIによるものです)、それ以上のことを老子がわざわざ書き記す必要があったのだろうかと思いました。


(注)ここでkiku38dさんが発言しておられるのは、私の以下の過去ログがキッカケです。

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この「道の言うべきは、常の道にあらず」という文言、「常=不変」とは(小川さんの注では)道が語りうるものであれば「不変の」道ではない・・・とされる。ただ、「常=不変の道、原理」という概念ではなく、「常」という言葉の意味を別の意味に取り、「常=普通の」ということであるとして、道一般について「道」と呼ぶことも妥当だと当然思われるので、「常」に関して相反するその両方の意味を内包するという意味で、私は「真の道は、語り得ない」とした。

その証拠に、老荘思想の影響を受けて成立した禅宗の僧・趙州従諗:(じょうしゅう・じゅうしん)の弟子との問答で「道とは何ですか?」との問いに趙州は「道か。道なら都に真っ直ぐだ」と答えている。 形而上学的な問いを門前払いした格好になっているのだ。「現実密着型」の老子の教えには、抽象的な喩えより具体的な文言が相応しいと思う。趙州従諗の道に関する理解も妥当であると。・・・それにしても、「常なる道についての発言が無意味」だとすれば、『老子』一巻も無意味になってしまうが・・・

http://d.hatena.ne.jp/iirei/20130822#1377141096
 :老子・各章解題1

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I:「尹喜」という関守の名称、このまま尹喜(いんき)とする立場もありますが、尹(いん)喜(喜びて)というように、尹という名の関守が老子の訪問を喜んでという立場もあります。してみれば、尹は、隠君子たる老子が関を超え、西方に行ってしまうのを残念に思い、なにか「形見」にと著作を懇願したのではないでしょうか。そしていくら書物は残さぬという決意の老子でも、尹の情にほだされ一冊、ただしブッキラボウな本を残したのではないかと思います。


K:なるほど! 私は、今まで書物を残すつもりがなかった老子が旅に出て関所を越えるところであったという状況から"一般人には難解な核心をしぶしぶ執筆"して旅に出ようとしたと考えておりました。
つまり、ご自身の思想を書物に残すことに対して"消極的"だったように感じておりました。

iireiさまがご紹介下さったエピソードを伺うと、老子は"書物を残すつもりはなかったが、尹の熱意に免じてご自身の知り得ることをできる限り執筆"してから旅に出ようとしたとも考えられるのですね。
確かにそのように考えると、老子ご自身も思想を"積極的"に書物に残そうと試みたものの、<真の道は語りえない>ので、止むを得ず「道可道,非常道。」と前置きした上で言葉で伝えられる範囲で『老子』を書かれたと拝察することができます。


ご丁寧にご教授いただき誠にありがとうございます!


I:補足です。もし私が老子であるなら、尹喜にあたる関守がいました。それは私がこの世で最も愛したと考えている女性・・・彼女は都市計画の研究者で、都会で生きることを選択していて、私が山で住むとき、とても一緒には来てくれない人であり、でも、私は彼女が災害から身をまもる術を伝えたくて、「防災パンフレット」を書いて彼女を含む80名くらいに頒布したのですね。

このパンフレットこそが私なりの『老子』で、その当時は必ずしも関係がうまく行ってなかった彼女にともかく捧げたということで、彼女は尹喜だったのです。これって、一種の世界的原像だと思うのです。(筆者注:このパンフレットは後に『災害の芽を摘む』として出版しました)



今日のひと言:問答自体実りあるものでした。このグループは諸般の事情から休止状態になりましたが、kiku38d さんと知り合えたことは、私にとって慶事でした。



老子 (中公文庫)

老子 (中公文庫)

老子 (岩波文庫)

老子 (岩波文庫)

災害の芽を摘む―狼を手なずけよう

災害の芽を摘む―狼を手なずけよう




今日の一品


@鶏手羽元のオーブン焼き



手羽元に塩麹をまぶし、4時間。オーブントースターで180℃、20分。仕上げに七味唐辛子、胡椒を掛けました。オーブン焼きは、パリッとして美味しいです。

 (2018.03.02)



@ワラビのお浸し



イオンのトップバリュの商品、アク抜き済、着色なしのワラビを買ってきて、簡単な調理をしました。元の材料をあらかじめ切りそろえ、軽く茹で、冷やしてヤマサの昆布だし、ポン酢で和えました。


http://d.hatena.ne.jp/iirei/20160508#1462654518

 :ワラビ、ゼンマイ、コゴミ:おなじシダ類でも個性が違う


 (2018.03.04)



@ギシギシの芽(オカジュンサイ)入り味噌汁


タデ科の野草:ギシギシは、春先の新芽がヌメリを持っていて、これをジュンサイに擬えて、「オカジュンサイ」と呼びます。今回は採取量が少なかったので、味噌汁の具の一つにしました。しっかりヌメリを味わいました。


新芽

味噌汁


 (2018.03.04)





今日の詩


@散歩と詩作(思索)


老子』は正確には『老子道徳経』という。
古びた「道徳」という意味ではなく
老子は我々の知らない意味で使っている。
「徳」は本来一画多い「紱」であり
「素直な心で行く」ことを指す。


その様に道を行けば有象無象に触れられる。
「紱」すなわち「得」である。
散歩の面白さはそこにあり
道々触れ合う経験が俳句などの詩作になり
また思索にもつながるのだ。



「紱」は文字化けです。修正困難。

 (2018.03.04)




今日の三句


雨ごとに
育つ麦の子
蒼きかな


 (2018.03.03)



生えそめし
ヨモギの芽生え
確かなり



 (2018.03.03)



特異なり
灯台草の
晴れ姿



灯台草=トウダイグサは毒草ですが、花を含め見どころの多い草です。茎から枝が5本出て、それぞれに3本の花台が別れ、黄色いちいさな花を咲かせます。身近な植物ではポインセチアが同じくトウダイグサ科の植物です。

 (2018.03.04)