この本は、保坂弘司さんという人が、日本の3大和歌集、万葉集、古今和歌集、新古今和歌集の入門書として書いた本です。万葉集から112首、古今和歌集から63首、新古今和歌集から56首、計234首の呈示、解釈、鑑賞のやり方が記されています。2007年に学燈社より刊行。
この撰者、保坂弘司さんについては、この本の中では触れられていませんでしたので、気になり、検索してみました。結果:
蛍雪時代などの受験誌誌上で昭和30年代前半、おおいに人気のあった国語の先生で保坂弘司という人の名を、覚えておられる向きもあるのではないだろうか。
この受験世界で高名となり功成り名遂げた者の通例にしたがい、保坂氏も例の如くに自伝的半生記を著しているのだが、当時、一読者であった自分の受験生活を回想してみれば、保坂氏は単なる受験の技術指導だけでなく、読者にとって終生の道標となる作品を遺していた教師でもあった事に気が付く。
題して「生きゆくの記」。 学燈社が初版と記憶。
http://pabllo.cocolog-nifty.com/kobikiya/2003/07/post_da4b.html
受験国語の名先生だったのですね。類書として「声で読む徒然草」「声で読む大鏡・今鏡・増鏡」「声で読む源氏物語」「声で読む入門現代詩」なども刊行している方なのですね。
これから、各和歌集から1首づつ拾い上げていきます。
1@ 若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴鳴き渡る
山部赤人の作。解説に「紺碧の海から白い波がしらを見せて満ちてくる潮の流動感と色彩感。そして、真っ白い翼を並べて鳴きながら飛んでいく鶴が、一つひとつ枯葦のあたりに没する典雅な趣、技巧のない簡潔な表現がかえって力強く美しい絵画的情景を展開している。」(P102)
この歌にも見られるように、万葉集の和歌は技巧が少なく、心情の吐露という点が優れた特徴になっているのです。山部赤人は、絵師になっても素晴らしい作品を残したことでしょう。
2@桜花 散りかひくもれ 老いらくの 来むといふなる 道まがふがに
在原業平の歌。普通桜の花が散ることは「めでたくない」とされますが、そこを逆手にとり、老を運ぶ神が来られないようにしたいものだと言う歌。
古今和歌集の特徴は、枕詞、縁語などを多用し、理知的な作風の和歌が好まれます。この歌の場合、それら技巧はありませんが、理知的な歌であることは確かです。
3@心なき 身にもあはれは 知られけり しぎたつ沢の 秋の夕暮
西行法師の作。とくに解説はいらないでしょう。この歌のほかにも「秋の夕暮」を詠った歌人が複数おり、この言葉は新古今和歌集を語るのに不可欠かと思います。ただ、この種の歌は、私好みではありません。西行もさほど優れた歌人とも思えません。
保坂さんは以下のように解説しています。「あるがままの客観を描出するのでもなく、生のままの主観を表現するのでもなく、二つの融和をねらった新開拓の境地で・・・」
P224
なんだか、解ったような、解らないような・・・そして私は思うのです。新古今和歌集の場合、暗い歌が多く、それは仏教由来の「無常観」に心底、つながるものがあるということ。世捨て人の西行その人がその無常観の虜(とりこ)でしたからねえ。
今日のひと言:かつて正岡子規は、紀貫之を「下手な歌詠み」と酷評したことがありますが、技巧の多い古今の時代より、万葉の昔のようなマスラオブリな歌世界を希求したというところですかね。それでこそ、和歌の命脈もつながる、と。なお、万葉集はおおむね奈良時代、古今和歌集は平安時代中期、新古今和歌集は平安末期から鎌倉時代初期に成立したものと考えてよいかと思います。
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