虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト:色々な事物を取り上げます。

「あの人の最期のことば100」(感想文)

 この本、正式名称は「日本人なら知っておきたい! あの人の最期のことば100」
です。著者は秋庭道博(あきにわ・どうはく)さん。PHP研究所から2009年に出版されています。


 秋庭さん、というかPHP研究所は「お手軽に読める本」を出す会社でして、あまり学術的な書籍の出版は期待できないと思うのですが、この本は見開き2ページで一人の人物を取り上げるので、サアアッ、と読み下すには向いたものです。秋庭さんも「人を動かす「言葉力」――プレジデント名言録「200」選」(プレジデント社)などの、齋藤孝さん並みのお手軽な本を多く出版しています。


参考過去ログ


http://d.hatena.ne.jp/iirei/20130424#1366769248

 :齋藤孝の限界・「人はなぜ存在するのか」(書評)

http://d.hatena.ne.jp/iirei/20061028#1292166368

  :齋藤孝の「天才論」に欠けているもの



 それでも、古人の「白鳥の歌」には心惹かれるものがありますので、ここで幾人か、セットで取り上げて見ようと思います。まず、「戦国の三英傑」。



織田信長   「是非に及ばず」


    苛め抜いた家臣の明智光秀に叛かれ、洩らした言葉。「いかにもありそうだ」との嘆息。辞世を詠む機会もなかった。


豊臣秀吉   「露と落ち露と消えにし 我が身かな 浪速のことは夢のまた夢


    栄華を極めた秀吉の「弱気」の弁。一人息子の秀頼のことを遺臣に託すが。


徳川家康   「我この剣をもって、ながく子孫を鎮護すべし」


     死を予期した家康が、徳川将軍家鎮護に心配った言葉。


以上は「戦国の三英傑」の言葉の列挙ですが、それぞれ特徴があって面白いです。もっとも情けないのが秀吉の辞世でしょう。信長はいかにも修羅の武人らしく、家康の深慮遠謀にも舌を巻きます。


次ぎに、「元禄の三文人」。


近松門左衛門   「それぞ辞世去るほどにさてもそののちに残る桜が花しにおはば」


  自分の作品が後世に残れば、それが自分の辞世だ、と言っています。並々ならぬ自信にみちた歌です。


井原西鶴   「浮世の月みすごしにけり末二年」


  人生50年といわれる中、2年も余分に生きたぞ、との喜び。銭勘定のように寿命を捉えていたのでしょうか。


松尾芭蕉   「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」


   文句なし、最上の辞世。


 元禄の三文人のなかでは、井原西鶴はそうとう落ちると見ていましたが、その通りですね。つまらぬ。


あと、散発で2名。


川口博次   「今六時半だ。飛行機はまわりながら急速に降下中だ」


  これは、日航ジャンボ機墜落事故(1985年)の乗客だった人が走り書きしたメモ。とても冷静な人だったと思います。


@神沢杜口(かんざわ・とこう)   辞世とは則迷い唯死なん


辞世など、ただ気の迷いである、黙って死ね・・・鋭い指摘です。
 ただ、辞世は無意味だと主張しつつ、実際は辞世を残しているところに面白さを感じます。



過去ログで、以前も辞世について書いています。


http://d.hatena.ne.jp/iirei/20070312

:辞世(死に臨む歌)を作ろう!!(和歌)



今日のひと言:最後の引用でも書きましたが、人間という生き物は、「自分がこの世に生きた証」を欲しがるものなのでしょうね。詩心のある人なら、辞世の歌・辞世の句を残そうとするのでしょうか。


あの人の最期のことば100

あの人の最期のことば100

辞世千人一首

辞世千人一首



今日の料理



@ちぢみほうれん草のお浸し



「ほうれんそうは、冬場に寒さにあたると凍結するのを避けるために、葉がしまって肉厚になり、うまみや甘みが増します。この性質を利用したほうれんそうの栽培方法は、一般的に「寒締め」といいます。」ちぢみほうれん草。一袋238円と、ちょっと高めでした。

http://tochigipower.com/staticpages/index.php?page=c-019tijimihouren  より。

 (2014.03.02)



ニジマスのムニエル・梅干し風味



Tpongさんに教えていただいた料理。ニジマスの腹を裂き、梅干しをペースト状にした物を刷り込み、一旦電子レンジで2、3分加熱したあと、冷やして改めてムニエルにします。(電子レンジを使うのは私のカスタマイズ。)美味です。

 (2014.03.02)




今日の一句



残雪の
猫に見えるや
この一瞬


溶け残った雪が、あたかも猫のようにみえたので、この一句。猫好きの隣りのおばさんに懐いてやって来たのか、と錯覚しました。

 (2014.02.28)