虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト:色々な事物を取り上げます。

齋藤孝の限界・「人はなぜ存在するのか」(書評)

「人生相談」シリーズ その2


 私は以前、明治大学文学部教授・齋藤孝(さいとう・たかし)さんの「天才論」に、真っ向から異を唱えたことがありますが、

http://d.hatena.ne.jp/iirei/20061028#1292166368

  :齋藤孝の「天才論」に欠けているもの


 この本「人はなぜ存在するのか この答えがあなたを悩みや不安から解放する」(実業之日本社:2012年初版)というのが正式名称で、古今東西の哲学者・宗教家の「名言」を列挙し、迷える現代人の指針としたい意図があるようです。これは一種の「人生相談」と言った感じの本と言えるでしょうか。


 齋藤さんが、これら名言をどれほど消化して言葉を繋いでいるのかは、哲学や宗教の門外漢である私には思いもよりません。ニーチェハイデガーの哲学は難解ですし。ただ、齋藤さんは「老子」についても記述しておられますので、いくらかはこの哲人を齧った視点で、この本の記述を見直してみます。


 まず、老子が「無為自然」を唱えたと書いてありますが、これは「誤り」です。「老子」をどうひっくり返して読んでも、「無為」「自然」という言葉は頻出しても、「無為自然」という言葉は一言も出てきません。


 また、「陰陽五行説」は道家が作り出したものという記述もありますが、この五行という言葉も「老子」には出てきません。陰陽五行論道家よりも遡って存在していたか、独立に存在していたか、のどちらかでしょう。Wikiにこうあります(陰陽家):

陰陽家(いんようか)は諸子百家の一つで、六家の一つに数えられる思想集団である。世界の万物の生成と変化は陰と陽の二種類に分類されると言う陰陽思想を説いた。代表的な思想家として騶衍(すうえん。鄒衍と表記する場合もある)や、公孫発などが挙げられる。後、戦国時代末期に五行思想と一体となった陰陽五行思想として東アジア文化圏に広まった。


もしかして、齋藤孝さんは、「老子」の原典をまったく読んでいないのかも・・・と思わされます。


 また、齋藤さんは、哲学としての「道家」を宗教としての「道教」と混同しているように見えます。Wikiでは、道教の成立は、紀元後5世紀頃としていて、紀元前5世紀の老子とは、かなり断絶していますし(1000年)、なによりも緩い民間信仰の集積である宗教(道教)と峻厳な哲学(道家)を一緒に論じるのは不適当だと思います。


 そして、もっとも致命的なのは、老子の言う「無」という概念にはなにも触れていないことです。一言だけ言っておけば、老子の「無」には、もともと肯定的な意味があり、齋藤さんの言うように「存在の不安」とかいったものでは必ずしもない、ということです。以上、「老子」の項に限っても、杜撰な記述になっています。不勉強ですね。あとの哲学者・宗教家のお話も推して知るべしです。


 この本に戻って、章立てを見てみますに、4章構成になっていて、序章が「存在」についての問題提起、第1章が「存在をはかる尺度」、第2章が先ほど触れた老子などの哲学者・宗教家について触れた章、第3章が「自分の「存在」を確立する20の方法」・・・となっています。


 私は思うのですが、齋藤孝さんという方は、基本的にwhy(何故?)について回答することが不得手であり、むしろhow(どのように?)ないしhow to(手段とか処世術)を述べ立てるのが得手なようです。この本も、核心のwhyには触れられず(老子についての記述を読めば解ります)、howを列挙することが主目的になっているようです。確かに、そのための第3章がもっとも書きたかったと見るのが妥当でしょう。


 さらに言うなら、齋藤孝さんの著作のレベルは、高校の倫理社会の範囲をさほど出てないという印象を持ちます。正直なところ。彼が現在の教授職につく前、「なんで俺が大学教授になれないんだ!!」とこぼしていたそうですが、なったのが不思議なくらいで、私は高校教師あたりになって「倫理社会」を教えていたほうが良かったのではないか、と思います。本の題名も「人はなぜ存在するのか」ではなく「人はどのように存在するのか」あたりが相応しいでしょう。(whyとhowの対比で)


今日のひと言:西原理恵子さんのエッセイは、具体的であり、胸を打ちますが、齋藤孝さんのように中途半端に抽象的な言説では「人生相談」なども出来ないでしょうね。・・・あ・さ・い。


参考過去ログ:生きる悪知恵〜〜西原理恵子(書評)

http://d.hatena.ne.jp/iirei/20130419#1366342258


人はなぜ存在するのか

人はなぜ存在するのか

老子 (岩波文庫)

老子 (岩波文庫)



今日の料理


@ギシギシのヨーグルト和え





ギシギシタデ科の野草で、水際、土手などに生育します。この草は噛むと酸っぱく、シュウ酸が含まれています。この物質は尿路結石を起こすことがある成分ですが、ヨーグルトやミルク、カツオ節、海藻などと摂取すると、これらに含まれるカルシウムと反応してブロックできるので、この種の草を食べる場合の基本となっています。新芽はぬめりがあり、「オカジュンサイ」との異名がある美味しい野草です。今回採取した茎を含む地上部も同じくぬめりがあるので美味しく頂けました。茹でたあと冷水に晒すこと20分、まず塩を振ってなじませ、搾って、ヨーグルトと和えました。

 (2013.04.20)



オニタビラコのマヨネーズ和え






春の七草にいう「ホトケノザ」というのが実は「コオニタビラコ」であり、もちろん食べられますが、これに似て、大振りなものに「オニタビラコ」があります。どうも、草の大きさからしオニタビラコと判定されました。そこで食べられるか否か知りたくてネットで調べたところ、食べられるという評価も多いし、また毒草であるという記述もなかったので、食べてみました。キク科の野草によく見られる苦みのある食材なので、今回もその風味を和らげるためマヨネーズ和えにしてみました。前回挙げたアザミよりは苦さはマイルドかも。

 (2013.04.20)



今日の一句



ギボウシ
手をかけずとも
芽吹く春


ユリ科の山菜・野草であるギボウシは、花のつぼみの形が橋の欄干の装飾部に似ているので名づけられました。ウルイとも呼び、湿気った場所に生える食用野草です。

 (2013.04.20)