虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

コカ・コーラとしての音楽:ガーシュインのラプソディー・イン・ブルー


 かれこれ10年くらいまえ、NHKの教育テレビで、「音楽・夢」といったような題名のミニ番組をやっていました。そこでは、主に西欧諸国のクラシック音楽が5分くらいで、幼児が聴いていても飽きないように編曲されていました。例えばモーツアルトの「トルコ行進曲」とか、ドビュッシーの「グリウォーグのケークウォーク:組曲子供の領分」の1曲」などの名曲がとり上げられていました。


 ある日、放送された曲には耳を疑いました。冗長でなんの山も谷もない詰まらぬ曲でした。
その曲の名は・・・・「パリのアメリカ人」でした。これが私がはじめてアメリカの作曲家ジョージ・ガーシュイン(1898−1937)に出会った状況です。なんてこんな詰まらない音楽をとり上げるのか、NHKの見識を疑いました。


 さて、「ラプソディー・イン・ブルー」。この曲にも私は、価値を見出せませんでした。どことなく漂う淫猥な感じが嫌いでした。ただ、この曲の「ブルー」というのは、ジャズの音階を示す「ブルーノート」からきていることは後に知りました。なるほど、ジャズを取り入れた音作りをしていたわけですね。それなら、西欧の華麗な音楽になじんだ耳には淫猥、に聴こえるのは当然かもしれませんね。(なお、私はジャズを蔑視しているのではありません。ジャズの世界にも名曲はあまたあります。)


 ちょっと見方を変えて、20世紀初頭のアメリカをジャズがよく反映しているとすれば、ジャズの要素をふんだんに取り入れたガーシュインの音作りは、正鵠を射ているのかもしれませんね。私は、幾分かの侮蔑と幾分かの敬意を持って、ガーシュインの音楽は「コカ・コーラの音楽」であると評価したいと思います。特に「ラプソディー・イン・ブルー」なんかそうですね。良く聴いてみると、第二旋律なんて、なかなか美しい音楽です。もっとも、「パリのアメリカ人」は、いまでも私は評価はしていません。(ただ、「パリのアメリカ人」は1928年作、「ラプソディー・イン・ブルー」は1924年作で、両者似たような旋律が使われています。進歩がないんだね。)彼の音楽は、極上のワインというよりは、ありふれたコカ・コーラとしての音楽と評価できるでしょう。


 ところで、ガーシュインには面白い逸話があります。自分が正規の音楽教育を受けていなかったことを気に病んだ彼、フランス人作曲家のラヴェル(1875−1937)に会って、教えを請うのですが、ラヴェルは「一流のガーシュインは二流のラヴェルになる必要は無い」と言ったのみで、ガーシュインを突き放したということです。


 この逸話は、いろいろな解釈が出来るでしょう。意地悪くとれば、「君はどんなに頑張っても、所詮西欧の音楽には追いつけない、だからジャズ交じりの音楽もどきをやっていればいいんだよ。」とも読めますね。フランス人だったらしそうな底意地の悪い考え方です。もしかしたら、ラヴェルが単純に「ジャズを取り入れた音楽が結構よく出来ている」と評価し、その上での発言であったかもしれません。それはそれでいいのです。でも、やはり、ラヴェルは、底意地が悪いと思わざるを得ません。


 私は、当代のミュージシャンでは「クインシー・ジョーンズ」が好きですが、彼は西欧に渡って音楽理論をばっちり習得して帰って来ました。「愛のコリーダ」でも、そのエッセンスを披露していると思います。


 だけど、ガーシュインは西欧には受け入れられず、1937年に39歳の若さで亡くなります。彼が、正規の音楽教育を受けていたら、と悔やまれます。ちなみにラヴェルは奇しくも同じ年、62歳で亡くなります。



今日のひと言:ジャズという音楽は、成立してから100年、ほとんどのパターンは出尽くし、マイルス・デイビスなどは他のジャンルの音楽との融合を目指した、とジャス入門書に書いてありました。(「面白いほどよくわかるジャズのすべて」:沢田俊祐:日本文芸社)・・・だったか。なお、ガーシュインはロシア移民の子だったことを受け、以下のエントリーがあります。
 http://d.hatena.ne.jp/iirei/20060201


ピアノミニアルバム ラプソディインブルー

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アメリカン・ラプソディ―ガーシュインの生涯

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愛のコリーダ

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