ユダヤの総督 (アナトール・フランス著)和訳:(4)結
アナトール・フランスの逸話:死後、彼は解剖されましたが、脳の重さが1000g位で、白人成人のそれが1500g位なので、小さい脳だったと言えます。この事例から、「知力は脳の重さとは無関係だ」というのが定説になりました。1921年、ノーベル文学賞受賞、1924年、フランスの国葬。
この翻訳は、私が大学2年目に、フランス語を始めて、4か月後に行ったものです。著者のアナトール・フランス(1844-1924)には、キリスト教の虚妄を鋭く突く作品群に光るものがあり、ローマ法王庁は、つい近年まで、彼の著作を禁書扱いしていました。
彼は幼いころから、盛んに「懺悔(ざんげ)しろ、懺悔しろ」と言われ、でも彼には懺悔する覚えはありませんでした。素直な彼は悩んだ末、こう悟ります:「悪いことをすれば良いんだ。」
今回の小品「ユダヤの総督」は、アナトール・フランスの真骨頂の一つで、ここに登場するポンティウス・ピラトは、イエス・キリストを十字架の刑に処した人です。後世ではイエスを殺したことを、大いに悔やんだ、とされていますが、実際はどうなのか?という発想で書かれたものです。「総督は、地方の領土を統括するのを任された職、政治・軍事・法において大権を握る。」(ピクシブ百科事典)。「ユダヤの太守」とも訳します。4回、起承転結の形でアップします。今回は「結」。更新は私の通常のペース:6日に一辺ではなく、5日に一辺にします。お爺さん同士の会話で話が進行しますが、よろしくおつき合いくださいませ。まあ、それは今回で終わりです。
アナトール・フランス(wiki)
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「どうしてユダヤ人どもが、その“聖なる律法”を、外部の民族に押し付けることができようか。奴ら自身が、その律法の解釈をめぐって対立しているというのに。ラミア、君も見たように、20からのセクトに分かれ、公の場で巻物を手に、お互い傷つけ合い、髭を引っ張り合っているのだ。こんなことも見たろう、寺の基壇の上で、苦悩の印に、汚い衣を引きちぎるのを。預言者の妄想の犠牲者としてね。奴らは我々が平和で、穏やかな心で、ベールで被われ、不確かさで一杯の、“神に関することども”について議論しているのが、まるで解っていない。というのは、“不滅なるもの”の特徴は、我々には隠されたものであり、知ることはできないからだ。それでも、神々の摂理を信じるのが賢いとは、思う。しかしユダヤ人は、哲学をこれっぽっちも持っておらず、意見の相違を認めない。
それに反し、神について奴らの律法に反する感情を主張する者は、極刑に値する、と考えているのだ!それに、ローマの守護神が、奴らを守るようになって以来、奴らの法廷で読み上げられた主文が、プロコンスルや総督の許可を受けられぬので、奴らは、ローマの裁判官に絶え間なく(自分たちの間で)死刑の判決が下せるよう承認しろ、とせっついて来るのだ。奴らはそれを要求して、法廷を煩わせた。
私は、100回も見てきた、奴らが貧富を問わず、徒党を組んで、坊主のまわりで和解し、怒り狂って私の象牙の椅子を取り囲み、私のトガの裾を引っ張り、サンダルの紐を引っ張り、私に、誰か知らぬが不運な奴の死刑を宣告しろと迫ったのだ。私は、そやつの罪は見いだせず、ただそやつの原告と同様に愚かだと認めたに過ぎなかった。100回も、私は何と言ったか!そんなことで、毎日、毎時間が費やされたのだ。それでも私はローマの法と同じように、奴らの法を司らねばならなかった。ローマは、奴らの習慣を破壊するのではなく、保護することを命じていたので。また、私は奴らに対する鞭であり、斧でもあったので。最初のうち、私は奴らに道理を悟らせようとした。やつらの気の毒な犠牲者を刑から救おうとしたのだ。しかし、この寛容な判断は奴らを一層いらいらさせた。奴らは、まわりで、あたかも禿鷹のように、羽やクチバシをばたつかせながら、見苦しくも奴らの犠牲者を要求したものだ。奴らの坊主は、皇帝に私が奴らの律法を踏みにじっていると書き、奴らの嘆願書は、ビテリウスに支持され、私を厳しい非難の矢面に立たせた。私はギリシャ人も言ったように、被告も裁判官も、悪魔の元にまとめて送りこんでやりたいと、何度思ったことか。
ラミア、私が自分のうちで、ローマも平和も打ち砕いた民族に対して、甲斐もない恨みや、老いの怒りを抱いているなどとは信じないでくれ。でもな、奴らが遅かれ早かれ我々に与える過激な振る舞いは、目に見えているのだ。奴らを治めることが出来なければ、殲滅せなばならんのだ。そのことには一点の疑いもない。いつでも強情で、反抗心を魂の底に押し隠している奴らは、いつの日か、我々に対して激怒を湧き立たせるだろう。そのそばでは、ヌミダの怒りも、パルトの脅威も、子供の気まぐれにもならなくなるほどの激怒を。奴らは人の知らないところで無分別な期待を抱き、愚かにも我々の滅亡を考えている。
そうでないにしろ、奴らが神託を信じて、奴らの血をひいた、世界を治める王子の出現を待っている限り、結果としては同じことだ。この民族は(ローマには)打ち勝てないだろう。ユダヤ人は、もうこれ以上存在してはならんのだ。イェルサレムは、徹底的に破壊しなければならん。私は年寄だが、おそらく私の目が黒いうちに、奴らの城壁が焼け落ち、業火が奴らの家を覆い、住民どもが剣の餌食になり、以前寺院のあった場所に塩が撒かれるような日が到来するだろう。その日になれば、私の正しさが最終的に解るだろう。
ラミアは、対談の調子をもっと穏やかなものに戻そうと努めた。彼は言った。
「ポンティウス、君の旧恨も、不吉な予感もよく解る。たしかに、君がユダヤ人の特徴だと認めたものは、彼らの長所ではない。でも私は――観察者としてイェルサレムに住み、そこの人々と混ざり合った私は、君には見えなかった彼らの隠れた美徳を発見できたのだ。ユダヤ人たちは、優しさに満ちており、彼らの品性は純朴であることが解ったし、その誠実な心は、私にローマの詩人たちが「エバリーの老人」について言っていたことを思い出させた。それに、君だって、ポンティウス、君の軍旗の下に、名も告げず、ただ正義を信じるという主義のため、馳せ参じた純朴な男たちを見ただろう。あの男たちの中からは、決して我々を軽蔑するようなことは起こらなかったではないか。私がこのように話すのは、何事においても、中庸と公正を守るのが良いからだ。しかし、正直に言えば、私はけっして、ユダヤ人に熱烈に同情したことはない。しかし、ユダヤ人の女性は、私をたいそう喜ばせてくれた。当時私も若く、ユダヤ女性のために、私の良識は大変混乱したものだ。彼女たちの、赤いクチビル、涙に濡れた目、その翳りの華々しさ、切れ長の瞳、これらは私の骨の髄まで蕩かしたものだ。
ポンティウスは、この褒めちぎりが聞くに堪えなくなり、言った。
「私は、ユダヤの小娘の手に落ちるような男ではなかった。それに、ラミア、言わせてもらえば、私は君の放蕩を快く思ったことは一度もない。もし以前、君がローマで、コンスルの情婦を誘惑したことは、極めて罪深いことだと思っている由、私が君に十分知らせていなかったとすれば、それは君が当時、自分の咎を厳しく償っていたからなのだ。結婚は、ローマ市民たる者には神聖なものなのだ。ローマが支えられるのは、この制度の上でなのだから。ラミア、私が君をなによりも先に非難することは、君が法に従わずに結婚し、子供たちを共和国に捧げなかったことだ。善良な市民なら当然そうするべきなのに。」
しかし、チベールによる追放者は、もう年老いた裁判官には耳を貸さなかった。ファルレン産のワインを飲み干し、彼はなにかいわく言い難いヴィジョンにため息をついた。一瞬の沈黙のあと、彼はとても低い声で言葉を続けた。それは次第次第に高まっていった。
「ユダヤの女たちは、とても悩ましげに踊る。私は一人のイェルサレム女と知り合った。彼女は地下の店で、けぶるランプの微光に合わせ、安物の絨毯の上で、シンバルを打ち鳴らすよう両腕を挙げて踊ったもの。私は、彼女が行く、どんなところへもついて行った。私は彼女が囲われていた兵士とか、軽業師とか、市民とかによる、良からぬ集団にも混じった。ある日、彼女は行方知れずになり、私はもはや彼女と会えなくなった。私は長いこと、彼女がいると思われる、路地や居酒屋を捜しまわった。彼女がいなくなって数か月後、私は偶然、彼女が小さな、男や女の集団に加わっているのを知った。その集団はガリレアンの、若い魔術師に従っていたのだ。そいつの名は、イエスと言った。彼はナザレの出で、罪名は知らないが、十字架に掛けられた。ポンティウス、この男のことを覚えているか?」
ポンティウス・ピラトは、眉をひそめ、手を額にやった。記憶をたどっている者らしく。それから、いくばくかの沈黙の後、
「イエス?」彼はつぶやいた。
「イエス?ナザレの?
――思い出せない。」
Fin
1979.7.17 6:00AM 訳完了
(ユダヤの総督・完)
(野暮な補足です。この結末はあっけないとも思われるでしょうが、ピラトの頃のキリスト教は、教祖のイエスが、ラミアによれば「魔術師」と呼ばれたごとく、いろいろあった新興宗教の1つであったにすぎず、イエスを裁いたピラトにとっても、「日常茶飯事」の案件であったことを、アナトール・フランスは主張しているのです。ピラトは、イエスを裁いたことを、一切後悔はしていなかったということです。なにしろ、イエスを裁いたことさえ覚えていなかったのですから。その後のキリスト教の隆盛は、ピラトの関知せぬことだったと。
また、誤解なきように申しそえれば、まるでユダヤ人に対して、ナチスのような発言をしているピラトですが、著者のアナトール・フランスは、19世紀末にフランスで大事件になった「ドレフュス事件」に際し、スパイ容疑でつるし上げられたユダヤ人のドレフュスを弁護しています。)
参考過去ログ
翻訳ノート4
- 作者:アナトール フランス
- 発売日: 2001/01/01
- メディア: 単行本
- 作者:アナトール・フランス
- 発売日: 1977/05/16
- メディア: 文庫
- 作者:アナトール フランス
- 発売日: 1974/09/17
- メディア: 文庫
- 作者:アナトール・フランス
- 発売日: 2002/07/09
- メディア: 文庫
- 作者:ピエール・マルチノ
- メディア: -
今日の一品
@ウコギ飯
ウコギの木
葉
ウコギ飯
この季節の我が家の定番料理。ウコギは、ウド、タラ、朝鮮ニンジンなどを含むウコギ科の名の由来になった木ですが、少々苦い葉を刻んでご飯に混ぜる食べ方は、春の味の1つです。とおく、江戸時代、米沢藩の藩主:上杉鷹山が、各戸の生垣にウコギを植えさせ、いざというときに食糧にさせたことで有名です。
(2020.04.04)
@ラムと玉ネギ炒め~塩麹・レモン酢風
弟作。ラム肉は1時間ほど塩麹に漬け、ラム、玉ネギの順に炒め、レモン酢で味を調える。
(2020.04.06)
@山椒入り味噌汁
開きかけた山椒の葉を、ネギ代わりに味噌汁の薬味にしました。いつ食べても芳醇な味わい。
(2020.04.07)
今日の六句
見まがうや
同じころ咲く
桜にぞ
芝桜
下から見上げる
謙虚さよ
芝桜のあで姿。
(2020.04.04)
柿の木の
寒きに若葉
出でにけり
(2020.04.04)
稲を蒔く
タネツケバナの
サインかな
アブラナ科の野草タネツケバナ。この草に花がつく時、稲の種をまくと言う言い伝えがあります。
(2020.04.04)
諸葛菜(しょかつな)の
流さる定め
近々に
諸葛菜は、アブラナ科の植物。花ダイコンとも言います。用水路に生えていたので、水が流れるようになると、根っ子ごと流されるでしょう。
(2020.04.07)
燕鳥の
曲芸飛行が
目を奪い
この鳥が燕(つばめ)かどうか、確証はありませんが。
(2020.04.07)