智恵子の見た空〜智恵子抄より
あどけない話
智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
昭和三・五
これは、高村光太郎の詩集「智恵子抄」の中でも、もっとも人口に膾炙した詩でしょう。私はこの詩は好きです。ただし、「道程:僕の後に道は出来る」とか「ぼろぼろな駝鳥:何が面白くて駝鳥を飼うのだ」といった代表作も含め、私は彼とその詩が嫌いです。例外的にこの「あどけない話」が好きなのです。今回ブログでは、光太郎にこの詩を書かせた智恵子の心象風景を考えてみます。
参考過去ログ
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20101003#1286058634
:「日本人はなぜ日本を愛せないのか」:鈴木孝夫・新潮選書(書評)
光太郎は彫刻家、智恵子は挿絵画家でした。芸術家同士の夫婦であり、本来芸術家は抑圧に敏感で、快楽には貪欲な生き物だと思います。フランスでは、彫刻家同士で結婚していたオーギュスト・ロダンとカミーユ・クローデルが有名ですが、このカップルも、クローデルが不幸にも気が狂い、精神病院で一生を終えるという厳しい話が有名です。過去ログにも書きました。
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20090406#1238995732
:カミーユ・クローデルの悲劇―彫塑(ちょうそ)
光太郎は詩を書くという行為を「自身の彫刻の純粋さを守るため、彫刻に文学など他の要素が入り込まないようにするため」と考えていた。1911年(28歳)、雑誌『青鞜』創刊号(平塚雷鳥創刊)の表紙絵を描いた3つ年下の女流洋画家・長沼智恵子と出会う。
3年後の1914年(31歳)、光太郎は第1詩集『道程』を刊行し、同年智恵子と結婚する。以前の光太郎の詩は、「一切が人間を許さぬこの国では/それ(近代的自我)は反逆に他ならない」と、社会や芸術に対する、怒り、迷い、苦悩に満ちたものだった。だが、智恵子と出会ってからは、穏やかな理想主義とヒューマニズムに包まれるようになった。光太郎は語る「私はこの世で智恵子にめぐり会った為、彼女の純愛によって清浄にされ、以前の退廃生活から救い出される事が出来た」。
ところが、1931年頃から智恵子は実家の破産などもあって精神を病み始め(統合失調症)、睡眠薬で服毒自殺を図る。未遂に終わったものの症状は進行し、1938年10月5日、智恵子は7年にわたる闘病の末、肺結核のため52歳で旅立つ。1941年(58歳)、他界から3年後に光太郎は30年に及ぶ2人の愛を綴った詩集『智恵子抄』を刊行した。
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/koutarou.html より。
智恵子が「東京には空がない」と言ったのは、もちろん都会のごみごみした空気に辟易したからでしょうし、その空気が当たり前だった光太郎にとっては、あまりに異国的な智恵子の感受性に、はっとさせられることであったことでしょう。智恵子が故郷の阿多多羅山(あたたらやま)を引き合いに出したのは、実際いい空気に満たされた空だったからでしょうし、なにより、精神病罹患前の幼少時以来の状態を思い出してそう言っていたのかもしれません。彼女にとって、理性で認識できなくても「原初の体験」として阿多多羅山とその上に広がる空が脳裡に浮かぶのでしょう。統合失調症患者は、全体的な精神は荒廃するものの、一点か二点については、正確な表現を取る者なのです。まるで幼児のような素朴な物言いから、光太郎は智恵子の発言を「あどけない」と書いたのだと思います。
また、実家の破産を体験し、智恵子はそれまで持っていた大きな後ろ盾を無くして、精神疾患の原因の一つになったようですが、彼女にとっては故郷が剥奪されたことになり、もはや取り戻せない「原初の体験」として、阿多多羅山のうえの空というイメージが彼女を慰めたのかも知れません。ある意味、芸術家には後ろ盾というか、パトロンの存在が必要なのか、と思います。金銭的に、フォローしてくれる者が。
今日のひと言:以前読んだことがあるのですが、光太郎と智恵子は夜な夜な素っ裸になって、光太郎が馬、智恵子が人間として騎乗し、戯れていたというのですね。これらの行為も、もしかしたら智恵子を精神病に導く原因になったのかも知れない、と思うのです。芸術家は繊細であると同時に大胆なことをやらかして精神のバランスを崩すこともあると思います。
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