虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

老子の七定理


  私は、幾年も老子に親しみ、幾つかの真理に触れた気がします。ここに、それらを整理して記述しようと思います。あたかも数学の定理のようなので、数学者老子の7定理と呼びます。

数学者老子の7定理
1)中心性定理
2)必不敗定理
3)無関心定理
4)葉書定理
5)不捨定理
6)水向下定理
7)樸(ぼく)の定理


1) は振り子が左右する時、中心点を必ず通るという定理です。「美しい」が「醜い」に変わるまでの間に、かならずどちらでもない点を通過するといった具合です。実際、数学には「中間値の定理」というのがあります。
老子」(小川環樹・訳注/中公文庫)によれば、この定理が述べられているのは、第2章、第9章、第12章,第16章などがあります。このような視点は「易経(えききょう)」に近いです。「満つれば欠ける月」の循環を想起できるでしょう。陰と陽の円環です。


2) 老子36章。戦争不敗を説く章です。たとえば、パンチを繰り出す敵がいた場合、パンチが伸びきったときこそ、(攻撃がクライマックスになった時点で)こちらがわのチャンスになるわけです。勝たずとも、負けない。これも「満つれば欠ける月」と同様のことを根底においています。
 
3) 老子5章。天も地も、人間にはまったく無関心である、という、天地に「愛」を求める人には厳しい実相がある、という定理です。


4) 老子1章、「道の道(いう)べきは常の道にあらず」と書かれていますが、その裏で、「道の道(いう)べきは常の道なり」という読み方も可能だし、そうであらねばならないのです。「Aであり、かつAでない」ことが成立するのが、この世なのです。この定理は1)の中心性定理と重なる部分が多いです。


5) 一つの目的に足りなくなって、捨てられたものにも固有の価値があり、本来、捨てるものはない、と言っています。第23章、第27章など。もともと、徳と言う字は紱と書き、「素直なこころで行く」という字解になります。横一本棒が入っていたのです。素直なこころで行ったすえに、なにものかを拾う・・・これが得です。得は徳に通じるのです。


6) 老子8章。水は、みんなが蔑む下に好んで降り、みんなに幸福を与える。世界最強の存在で、「道:老子のキーワード」に近いというわけ。ここに、重力があるから水が下降するのではなく、水に意志があって降下するというように考えてください。


7) 老子28章。樸(ぼく:素朴の朴と同意)とは、切り出してまもなく、何者にも利用されない状態の新木を指し、このようであれ、と老子は教えます。


今日のひと言:老子には、ほかにもいろいろな真理が描き出されていますから、是非「老子」を読んで欲しいですね。なお、軍事評論家の兵頭二十八(にそはち)氏が彼の著作「予言 日支宗教戦争:並木書房」のなかで奇天烈な「老子」解釈をしています。彼は、老子をまるごと戦争指南の書としています。確かに、私の知る限り、老子は兵家の「孫子」とおなじ廟に祭られていることもありますし、(老子の兵法というものもあると兵頭氏は指摘していますが)・・・こんな違いがあります。

   老子第5章(原文の書き下ろし文)
 天地は仁あらず。万物を以て芻狗となす。聖人は仁あらず、百姓を以て芻狗となす。天地の間は、それなお、タクヤクのごときか。虚しくして屈きず、動せば、いよいよ出だす。
  (以下略)


小川環樹氏の訳では、(「老子」中公文庫)
天と地には仁(いつくしみ)はない。(それらにあっては)万物は、わらでつくった狗のようなものだ。聖人にも仁はない。(かれにとって)人民どもはわらでつくった狗のようなものだ。(だが)天と地の中間は、ちょうどフイゴのようだといえるだろう。その内部は虚ろであるが、(力が)尽きはてることはなく、動かせば動かすほど(力が)多くでてくる。


兵頭氏の訳では
自然は情けしらずだ。それゆえ政治も、そのようであっていいのだ。人民は消耗品に過ぎないから、支配者は個々の人民のためのセフティ・ネットなど考えなくてもよい。それでも自然に人民が絶滅することはない。いくらでも後から生まれてくるものなのだ。


↑この考え方は、むしろ韓非子(かんぴし)のような法家の感覚です。「動せば、いよいよ出だす」という部分を、「人民がいくらでも補給可能になるもの」という訳にするあたり、ある意味斬新な解釈ですが、どこかおかしな解釈でもあります。原文のフイゴを無視して都合のいいように解釈していると思われます。でも、戦争というのは「非情」なメンタリティーの持主のみが指揮できるのでしょうから、兵頭氏の解釈にも一理あるといえるでしょう。「人民は消耗品」という解釈は確かに斬新ですが、老子本人は兵頭氏のようなスタンスでのみ、「老子」を書いたのではない、と思われます。老子は天地が優しいという面をも描き出しています。例えば老子69章には「武器を高くかかげて相対するとき、哀しみのあるもののほうが勝利をおさめるのである。」とあります。また、兵頭氏は、「水」の例えを「最強な軍隊」という意味で捉えています。なお、老子の基本的なスタンスは4)葉書定理であり、平和⇔戦争、どちらの場でも適用できると思います。一方だけの解釈ではダメなのです。兵頭氏は、老子の一面の真理しか見ていないと思います。彼の先生の故・江藤淳氏のように。


なんて我流の解釈。この内容では、図書館にも寄贈できないし・・・本代、孫子た(損した)。

老子に関する過去ログ(Click  Please)
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20051231:will(封神演義
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20070808老子問答その1
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20070813老子問答その2
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20070818老子問答その3
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20070902エタノール車と「小国寡民
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20071126老子と「無為自然
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20080320老子問答その4
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20080330老子問答その5
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20080409老子問答その6
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20081013 :老子問答その7
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20081023 :老子問答その8
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20081102 :老子問答その9


老子 (中公文庫)

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予言 日支宗教戦争

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