齋藤孝の『30代の論語』:読者はサラリーマンだけか?
齋藤孝の『30代の論語』:読者はサラリーマンだけか?
齋藤孝氏は、私と同じ年に東京大学に入学したひとで、国語論、身体論などで有名になり、現在明治大学教授で、マスコミでの露出度マックスで活躍しています。ただ、私から見ると、粗雑な論理構成の書籍を多数出版していて、評判ほどには優れた学者ではない、と思っています。これまで2本のブログで、彼を批判するものを書いています。
:齋藤孝の「天才論」に欠けているもの
:齋藤孝の限界・「人はなぜ存在するのか」(書評)
・・・・・・・・・・・・・・・・・
17売ろう、売ろう、私はよい値で私を買う人を待つ者だ(子罕第九 十三)
(↑この数字は、論語から100話を紹介した章立ての通し番号です)
@頼まれた仕事は何でもやる
これは孔子の人柄がよく出ている言葉です。イメージとして孔子は聖人君子の偉い先生で、「箱に大切にしまわれている宝」のようですが、ちょっと違います。もちろん偉い先生なのですが、職の面では大勢の弟子を引き連れて就職先を求めて諸国を放浪しているようなもの。「自分を買ってくれる人がいるなら、どんな仕事だってやりますよ」くらいの勢いで勉強をしていたのです。
@上司を顧客と見立てる
漫画家のしりあがり壽さんは「仕事がこないという状態が怖い」ので、オファーがあれば基本的に引き受けるそうです。「一度断ったら、次はないかもしれない」ところで踏ん張って、仕事を次々とこなすなかで自分の技量を上げ、信用を得つつ人脈を広げて、仕事の質を高めていくサイクルを回していく、その辺がフリーの力の強さでしょう。
この考え方はビジネスパーソンにも応用できます。たとえばドラッカー流に、上司を自分の仕事を買ってくれる顧客に見立てる。それだけで、ちょっと意識が変わります。それによって上司の求めを敏感に察知して動こうとか、叱られてもクレーマーに対処するように「ごもっともです」と謙虚に受け止めて善後策を講じる、あれもこれもと仕事を頼まれても「売らんかな、売らんかな」と引き受けてこなすなど、動き方まで違ってきます。そこに上司は入り込む余地がありません。
『30代の論語』85P―86P
引用の部分を読んで、私は失笑(嘲笑か?)を禁じ得ませんでした。この文章は、孔子その人をサラリーマンと見なし、その言動を狭い枠のなかに閉じ込めるものであろうと思ったのです。(ビジネスパーソンとは、単にサラリーマンのことでしょう?)孔子が「何でもする」と言った場合、志は高く、一国の宰相(総理大臣)のポストに就き、彼の理想主義を実現するための地位を要求する体のものであったことは、齋藤氏がこの本の巻末で勧めている『弟子』(中島敦)を虚心坦懐に読めば解るハズです。齋藤氏はそれをちゃんと読取ったのでしょうか?孔子は、常識の範囲では語りきれない人物ですよ。(齋藤孝氏は、非凡な人を、常識のワクに閉じ込めるのが好きなようです。非凡な人には、多かれ少なかれ異常な側面もありますが、齋藤氏は、そのような見方はしない、と『天才がどんどん生まれてくる組織』で書いていました。)
サラリーマンに勧めるためか、打ってつけのカリスマ経営学者:ピーター・ドラッカーを話に登場させていますが、この人、たぶん100年後には忘れ去られている人だと思います。かれこれ2500年間、有名人でありつづけた孔子とは、「月とすっぽん」ですね。卑近な人を例に挙げ、偉大な人の片鱗に迫ろう、ということなのでしょうが、その試みは失敗していると思います。
この『30代の論語』は大体、サラリーマンのためのお手軽なマニュアル本であろうと思われ、このような発想の本は巷に溢れていますが、それだけのコンセプトなら、わざわざ立ち読みする、ましてや購入するなど必要ない書籍だと思われるのです。齋藤孝さんは、ノウハウ書やマニュアル本をお得意にしていますが。
今日のひと言:学生の私が安田講堂前のクスノキの下で休憩していた時、「君は東大生か?」と声を掛けてくる初老の男性がいて、「そうです」と答えると「私は東大病院の精神科に入院している者だが、良ければ話を聞いてくれないか?」とのことで彼の話を聞いたのですが、いろいろ面白いことを語ってくれ、中でもマルクス(『資本論』の著者)について「マルクスが人間を“労働者”と規定したことが、堕落の元だ」という言説があり、私はこの命題を頭に叩きこみました。齋藤孝さんの場合は“労働者”を“サラリーマン(ビジネスパーソン)”と言い換えているとも言えますね。齋藤孝さん、あなたの『30代の論語』(海竜社:2013年:本体1200円)は、古めかしい『資本論』と同類であるかも知れませんよ。
追記:『30代の論語』(2013年)と同時に『60代の論語』という本も齋藤孝さんは出版しています。これも一瞥しましたが、サラリーマンの上司として、枯れた味を持つ人になるのを奨励しています。話の筋道としては両者、矛盾していません。ただ齋藤さんが50代半ばでこのような60代に「教える」という本を書いたということ、相当に僭越な気もしますが、当の齋藤さんは「孔子の伝令である」と自己弁護しています。・・・伝令にもなっていないと、私は思います。いろいろな経験を重ねた末、豊かな老境に達した孔子から見れば、いかにも薄っぺらな本ですね。以上で、齋藤孝さん関連のブログは、3部作になったので、打ち止めにします。粗雑な論理にばかり付き合っていると、精緻な文章が読めなくなりますから。
- 作者:勉, 水上
- 発売日: 1982/08/27
- メディア: 文庫
今日の一品
@コゴミのマヨネーズ・アオジソドレッシング和え
コゴミ
和え物
なんと、たっぷりの1パック100円で入手。あく抜きせずに食べられる珍しい山菜。茹でてドレッシングで和えました。過去、栽培したことがありますが、それに比べて少々苦いです。収穫から調理までの時間による?
参考過去ログ
@タケノコ2品
@1:タケノコとワカメの煮物コチュジャン風味
砂糖、塩、醤油を入れた水でタケノコを煮込み、ワカメを入れ、コチュジャン、山椒の葉を投入して少々煮てから火から降ろします。ちょっと塩気が強すぎました。
@2:タケノコの炊き込みご飯
これは定番でしょう。
(2020.05.02)
@大根の一夜漬け・ディル風味
塩を振り、一晩漬ける簡素な漬物。水上勉さんがその好著『土を喰う日々』の中で、夏の漬物の中でも、王道だと言っています。ただ彼を手伝いに来る数人の女子大生は、その言葉を無視し、「高級」な料理ばかり作ろうとする、変わった人たちだと、彼は言っています。
(2020.05.05)
@ふきグラタン
弟作。先だっての「ネギグラタン」の姉妹品。そろそろ旬が過ぎつつあるフキ(蕗)を、中空なことからマカロニに見立て、ハインツのホワイトソースで、グラタンにしてみました。前処理済みのフキにソースを絡ませ、少々ネギも加えパルメザンチーズを振り、240度15分オーブントースター。ソースが勝り、フキが従属的になりましたが、料理としては美味しかったです。なお、「五蕗六筍」と言い、5月のフキ、6月のタケノコは、すでに旬を過ぎている、というコトワザがあります。
(2020.05.07)
今日の詩
@愛しのビール
私はビール断ちしている。
美味しいのだが、
飲んだ後、眠くなるのが常だった。
ところが最近睡眠時間が短く
慢性寝不足だった。
今日は何となく
ビールが飲みたくなり、買ってみた。
飲んだらやはり
眠気が襲い、
昼の2、3時間寝入った。
体がビールを求めたと言えるか。
それは無意識の私が
表面に現れた自分を突き動かしたのか。
ビールはサッポロが御贔屓(ごひいき)。
“サッポロ・黒ラベル”、素敵だ。
(2020.05.04)
今日の三句
雲雀(ヒバリ)啼く
飛行機雲と
協奏し
(2020.05.02)
ピラカンサ
葉葉もつぼみも
リニューアル
新緑とつぼみ。今年も魅せる常緑樹:ピラカンサ。
(2020.05.02)
業平(なりひら)の
見しはこの花
杜若(かきつばた)
『伊勢物語』、「東下り」の段より。この植物の群青の花は驚異的に美しいです。
(2020.05.03)