母〜ピエタ像
hatehei666さん(id:hatehei666)に紹介された小説「母」(三浦綾子:角川書店)を読んでみました。ここで言う「母」は、プロレタリア文学の旗手で、特高警察に虐殺された小林多喜二の母・セキのことです。
貧しい暮らしの中で育ったセキは文盲でした。字を教えてくれる学校に行けないほど、生活が苦しかったのです。幼女のころから蕎麦の屋台で働いていたのです。多喜二の回りの人は、多かれ少なかれ生活苦に悩まさせる人ばかりでした。
多喜二自身は小樽高商の卒業生で、拓銀の調査部という高給の仕事についたので、身のまわりのことについては不自由しなかったのですが、優しい多喜二は、「世の中の貧しい人びとを救いたい」と、プロレタリア文学を志し、実際「蟹工船」を初め、作品は広く読まれました。これを快く思わなかった特高は、スパイを使って多喜二を逮捕し、拷問、虐殺します。(拓銀も、昭和4年、多喜二を煙たがって、解雇しています。多喜二はその年の10月に共産党に入党しています。)裕福な人びとには多喜二は邪魔者だったのですね。多喜二の命日は昭和8年2月20日です。30歳でした。
下腹部から上脚にかけて、千枚通をあちこち通されて脚が通常の倍に膨らんだ多喜二のむごたらしい姿を見たセキは「神も仏もあるものか」と思います。
ここで、「ピエタ」ということを思いだしてください。イエス・キリストが無辜の罪により刑死した際、母のマリアほか数人がその死体に寄り添い死を悲しんだということです。
なんだか、ピエタという意味ではイエス・キリストも小林多喜二も同じようなことを権力者にされたという点が共通しています。また、マリアも息子の教義が理解できていたかは解りませんが、理解してはいないセキも息子の死には慟哭している点、似ていると思います。特に多喜二の場合、特高によるリンチで裁判にかけられることもなく虐殺されているのですから。
ただ、「神も仏もあるものか」という嘆息については、親族にキリスト教に帰依したものがいて、セキも神職者と知り合いますが、「ああ、多喜二も聖書を読んでいたんだ」ということに気付き、キリスト教を介して文字を覚えたり、賛美歌の歌詞を学んだりするようになり、心の平安を得るようになります。なかでも「この小さき者になしたらば、すなわち我になしたるなり」・・・「小さき者」とは「貧しいひと」のことである、という一節が心に響いたようです。また、タクシードライバーに「自分は右翼だったが、小林多喜二はたいした男だった」との述懐を聞くなどして・・・この辺、泣かせてくれます。
ただ、セキは洗礼は受けず、共産党員になりました。彼女のなかでは、キリスト教も共産党も同じく多喜二にまつわるものですから。でもこのセキの選択、だれも笑えないでしょう。
今日のひと言:多喜二にも、ロマンスがあり、売られて娼婦に身を落としていた「タミ」という女性をお金を借金してまでその境遇から救い上げ、彼女は堅気な仕事に就きますが、多喜二はタミと睦まじくする間もないほど文芸活動に打ち込んでいたのですね。イエス・キリストと小林多喜二の相似性を感じます。

- 作者: 三浦綾子
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1996/06/01
- メディア: 文庫
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