虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

何も持たない者が強い・関東大震災

 不思議なことに、私は今回の東北地方太平洋沖地震について、語るべきディスクールを持っていません。そこで拙著「災害の芽を摘む」から引用しようと思います。


 関東大震災で、最大級の死者を生んだのは、広場でした。2万坪の本所被服廠跡地(ほんじょひふくしょうあとち:現在の横網町公園)。それも、揺れそのものはしのぎ、避難民たちが安堵していたころの午後3時半、東南から黒い火炎の竜巻がやって来て、あっという間もなく火に包まれました。死者4万人!(生存者は20人に1人)。広い道路と運河に面し、防災上有効と思われていた広場(今日でも、ここは、震災時の避難場所になっている)。なお、広域火災では、“火炎の竜巻”は間々起こる由。

 この大惨事の原因は、一つに、避難者の大集中。災害のいかんによらず、「集団避難」は大量死につながる(人が多くなれば、逃げる速度は、どうしても遅くなるわけ。この時は、1人当たりの土地は約1.7平米、たたみ一枚分でした。

 もう1つは、津波による洪水を恐れて、フトン、たたみ等を持ち出した人が多かった点があります。「危ないから止めなさい」という人がいようものなら、逆にフクロダタキになるほどだったとか。皮肉なことに、彼らは、自分たちの火葬燃料を持参したことになりました。荷物のために、逃げ道もなくなったわけです。

 以上の話は、物欲がいかに危ないか、を語っています。どんな「物」であれ(「人」も含めて)、かならず陰陽を合わせもちます。災害時の波動は、陰の破壊力であり、それに「付和雷同」した「物」は、同じく破壊力を持つことになります。考えて見てください、ティッシュ・ペーパーで殺人も出来ます。被服廠跡地では、“たたみ”が凶器になった。“人”そのものも凶器になった。(補足すれば、広場に樹木や池など、ガードしてくれるものもなかった)。

 災害は、私たちが日常、どんな態度で生活しているかを、明確に写しだします。物に囲まれ得々としている人は、手痛いしっぺ返しを受けます。物が多い、とは、そのまま、破壊力を持つ敵が多い、ということだから。逆に、少ししか持たぬ(あるいは依存しない)人は、楽にかわせる。物欲は、精神修養上の妨げ、という意味で語られることが多いようですが、物理学的にも根拠があるのでは、と思います。

災害の芽を摘む P25-P26


関東大震災は「火災」の地震東北地方太平洋沖地震は「津波」の地震でしたね。だから私が挙げた考察は、必ずしも今回の地震には適用できないかも知れません。・・・ここまで書いて、頭に浮かんだこと3点。ああ、私自身のディスクールが出来ました・・・

1) 福島第一原発の4号機の火災、未明に「消えた」と報道されましたが、「消えた」という「自動詞」とはなんなのでしょう?「消した」という「他動詞」でないのは。現地では消火に必要な人員もいないということなのでしょうか?現地作業員は孫請けの企業の者たちだけなのでしょうか?人員配置の上でも極めて危険な状態ですね。


2) 東京都知事石原慎太郎が「今度の震災は天罰であって、我欲を流し去る津波だ」と発言した点。すぐにこの爺さん、撤回しましたが、私が当ブログで使った「物欲」とは違う点にご留意ください。


3) 円相場が、震災後にも関わらず、上がっていること。これはとても不思議な事象ですが、「日本国内の投資家が、外貨を円に替える動きがあって」上昇しているらしいですね。・・・おっと、3月17日のNHKニュースでは、円は一時これまでの最高値:1ドル76円にまで値上がりしました。これは、海外の投機家が、円の値上がりを助長しているのであるとのこと。ハイエナどもめ。

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