虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト:色々な事物を取り上げます。

ウィリアム・ウィルソン・・・ポーの恐怖小説(ドッペルゲンゲル)


 「私は、ウィリアム・ウィルソンという名前である。ところが何時のころからか、自分にそっくりで名前までウィリアム・ウィルソンと同名である男が現れた。
 奴は私がし遂げたことを、常に消去するように働く。それが賭博上の如何様(いかさま)であったのなら、奴はその種明かしをして、私の名望を挫くように働く。」



 そして、最後の対決・・・影法師であるウィリアム・ウィルソンは、「さあ、おまえの勝ちだ。おれは負ける。だが、これからは、おまえも死んでいると思うがいい。この世にも、天界にも、希望にも、無縁になったと思え。おれがいたから、おまえも生きた。おれが死ぬところを、ようく見ておけ。この姿でわかるだろう。これがおまえだ。どれだけ己を滅ぼしてしまったか知るがいい」(黒猫/モルグ街の殺人:小川高義訳:光文社古典新訳文庫



 エドガー・アラン・ポー(Edger Allan Poe:1809−1849:40歳で死亡)は、アメリカの風土が生み出した、型破りな詩人・小説家でした。生前その作品はほとんど評価されませんでしたが、詩の分野では、フランスの詩人・シャルル・ボードレール(Charles Pierre Baudelaire:1821−1867:46歳で死亡)の「フランス象徴詩」の概念形成に大きな影響を与えました。そのほか、今で言う「ミステリー・推理小説」という概念を一般の人が理解できる50年前に遡り、導入して、実作にも反映させていたわけですね。:シャーロック・ホームズエルキュール・ポアロの大先輩として、名探偵デュパンを創造しています。また、日本のミステリー作家「江戸川乱歩」のペンネームは、まさにポーのフルネームをもじったものでした。「エドガワ・ァ・ランポ」と言った具合ですね。



 この「ウィリアム・ウィルソン」という小説はいわゆる「ドッペルゲンゲル」のお話に分類される作品で、それら作品群中でも、出色な出来あいの小説になっています。
ドイツ語で「der Doppelgaenger」(aeはaのウムラウトとしておく、変換できないので)と呼び、「生霊、分身、代役、替え玉」などの意味をもちます。(三修社・現代独和辞典より)doppelが「2重である」という意味を表します。ウィリアム・ウィルソンは、自分の分身に会うことに一面の「喜び」を感じたような気がします。



 シューベルト(Schubert:1797−1828:31歳で死亡)は、ハイネ(Heine:1797−1856:59歳で死亡)の詩にインスピレーションを受け、「影法師/ドッペルゲンゲル」という当時、いや今から見ても特異的な作品を作っています。ピアノは、飛び石のように音を点々と刻むだけ、歌唱も唸るように歌われます。聴いたことのない人は、是非お聴きください。歌曲集「白鳥の歌」の第13曲です。



芥川龍之介(1892−1927:35歳で死亡)も、生前「影法師:ドッペルゲンゲル」を見たことがあると、彼の著作のなかで語っています。



今日のひと言:ドッペルゲンゲルを見た人は、遠からず「死ぬ」という言伝えも、短い生涯だったシューベルト芥川龍之介を例と考えれば、無理からぬところでしょう。大体、ドッペルゲンゲルを見るひとは、アラフォーで亡くなる人が多いような気がします。


 そう言えば、ポーには「大鴉:おおがらす」という長詩があり、「never more」(もう二度とない)と不吉な声を響かせるのですが、この詩がボードレールに与えた影響はどれほどあるか、興味深いところです。

 
また、シューベルトは歌曲集「冬の旅」の中でやはり不吉だけど「私」の周りを離れないカラスに対する「私の」愛情とも言える気持を歌っています。「墓標だけになっても、私への忠誠を誓え」と歌っています。



なんだか、今日挙げた芸術家たちは、「カラスつながり」のような気がしてきます。(芥川龍之介出世作羅生門」にカラスはよく似合います。)カラス好きの芸術家は、短命に終わる・・・?


黒猫・アッシャー家の崩壊―ポー短編集〈1〉ゴシック編 (新潮文庫)

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ポー詩集―対訳 (岩波文庫―アメリカ詩人選)

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