虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

聖☆おにいさん・・・ブッダとイエスの漫才

(堂々全五回に渡る新旧マンガ特集その3)




 東京都立川市で、同居生活を送るブッダとイエス。人類滅亡の年と言われた1999年も乗り越え今そこに住んでいるのですが、彼らの都会人としての態度から見て、違和感を持つ人はおりません。


 もちろんいろいろな「奇跡」を起こすのですが、だーれも「奇跡」とは思わないのです。例えばブッダが横になっていたら、「涅槃(ねはん)」だと勘違いした鳥獣たちが集まってきて、ブッダは「これは涅槃じゃないから」と鳥獣たちを追い返したり(鳥獣たちはブッダであると正確に認識したのですね。)
 また、眉間(みけん)にあるポッチを触られて、痛い思いをするとか。


 あるいは、イエスがプールの水を二つに割って道を作っても、単なるアトラクションと思われたり・・・(この奇跡は、モーゼのものと作者が混同しているようです。)



 この2人を見ていると、ブッダが「天然」・「ぼけ」、イエスが「常識派」・「つっこみ」の漫才をやっているように思えます。パンチ・パーマで「ホトケの顔も三度まで」を地で行く、怒らせるとコワイ・ブッダと、それをとりなすイエス。ただし、彼らには周囲の人を「笑わせてやろう」という意識は乏しく、むしろ結果として「笑われる」という受身の姿勢を貫いているようです。もちろん、笑うのは読者ですが。


 このマンガはもちろん「ギャグ・マンガ」ですが、作者の中村光さん(女性)は画力があるので、それなりの劇画的な視点でこの作品を見ると、可笑しさが広がるのですね。普通絵が上手い漫画家はストーリーマンガしか書かないですから、中村女史のスタンスは絶妙なものと言えますね。同じような例として「課長バカ一代」の野中英次氏がいます。
 http://d.hatena.ne.jp/iirei/20060109課長バカ一代


 それにしても、聖(セイント)というものがつかいふるされ、俗になってしまったのですねえ。ブッダさん、イエスさん。どんなに優れた宗教的天才でも、現代においては無意味になってしまうのですね。「聖」なる者は、民衆をひれ伏させる荘厳な側面を持っていましたが、その存在自体が「俗」に染まると、民衆(読者)はひれ伏すどころか笑いとばしてしまうのです。


 それでもカルト教団は「ブッダからの正統的なのが我が教団だ」とか、「イエスを正しく継ぐのは自分たち」とか言って、いまでも信者集めにせわしないでしょうが、このマンガを読むと、そのような「気張り」は無用であると考えられるのです。脱力系のギャグ・マンガですね。さらに言えば、そのような「気張り」は「有害」です。



今日のひと言:今回、私が読んだのは、第1巻であり、これから孔子とかソクラテスが登場すれば混乱が増して面白くなるだろうと思います。現在3巻ほど出ているようです。(09.3.23現在)



聖☆おにいさん:セイント☆おにいさん」講談社・モーニングコミック:中村光・作


人類は「宗教」に勝てるか 一神教文明の終焉 (NHKブックス)

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