虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

不条理マンガの雄・中川いさみを解体新書する

 *不条理マンガの雄・中川いさみを解体新書する
 (4回に渡るマンガ特集。3回目。)
   マンガシリーズ その3


①「・・・『このポストの中にカマキリが居ます』こんな貼り紙がポストに貼ってあったらどうか?どう対処すればいいのか?
  なるべく投函口に手を突っ込まない。
  カマキリが手紙から腕に登ってこないようにすばやく投函する。
  カマキリに食べられないように、ハエや蝶の絵柄の切手は避ける。
などが考えられる。・・・」
 以上は不条理マンガの雄、中川いさみのエッセイ集「うなされ上手」(晶文社)の一節「標識」(68ページ)から引用しました。


②4コママンガの一つ

 小学生くらいの娘が「ランラランララン」と歩いてくる・・・父親の「匂い」を嗅ぎ付ける・・・電柱の付け根の匂いを嗅ぐ・・・「パパ!」と叫び電柱の下で転げまわる。 (コミックス「クマのプー太郎②:小学館:96ページ」)
これらから、中川いさみ不条理マンガに迫っていきたいと思います。


ここで挙げた2つの例だけで、中川いさみのすべてのマンガを分析するのは不可能ですが、かなり大きな特性をあぶりだすことが出来ると思います。①から読取れるのは、通常あり得ない状況の設定です。実際ポストにカマキリがいることは、確率的にあり得ないことではありませんが、まず稀有のことです。そのような事例が「何の前触れもなく」呈示されます。その異常な設定をいったん置くと、今度は論理的に考察が進められていきます。真面目に考察を進めれば進めるほど、パラレルワールド=不条理な世界に突き進んでいくという具合です。

②のケースの場合は、娘の行動の異常さに目を引かれますが、もし、この娘が「犬」だったとしたらどうでしょうか?犬であれば、このような行動を取りえるかも知れません。つまりは、動作の主体を、「犬」から「人間の娘」に意図的に置き換えているのです。うーーん、「犬娘」だ。
いずれのケースでも、「あり得ない設定」が作用しています。ここに読者は笑いを見出すのです(見出せない読者は笑えません。)。

こう書いてくると、私はシュルレアリスム(超現実主義)の宣言文として有名なフレーズであるロートレアモン(1846−1870)の「手術台の上のミシンと蝙蝠がさの出合い」という一節を想起します。あり得ない設定、ありえない人物。それが出会い、反応する。あるいは劇作家ベルトルト・ブレヒト(1898−1956)の、「異化効果」をも想起します。日常見慣れたものを、あたかもエイリアンであるかのように呈示する手法です。・・・不条理マンガは、これらの芸術理論を想起するほど、レベルが高いギャグマンガなのです。不条理マンガの奥は深いようです。


今日のひと言:1980年に発表された高野文子の「たあたあたあと遠くで銃の鳴く声がする」という短編マンガでは、加害者「銃」と被害者「貂(てん)」の役割が逆転しています。ちょうど、上であげた「犬娘」のような発想です。このマンガを、私は不条理マンガのさきがけであると考えています。


絶対安全剃刀―高野文子作品集

絶対安全剃刀―高野文子作品集