虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

DO NOTHING   都市工学の核心  その3

iirei2005-12-24

*DO NOTHING   都市工学の核心  その3
    (写真:ある技術の作業所 → )
 森村助教授による助け船
 その2年後、森村助教授には卒論審査の際、大変お世話になりました。自主講座での運動が過ぎて、留年(2度目)して、今度はちゃんと卒業しないと後がない状況で卒論に取り組みました。その審査当日、私が発表する番の時、H助教授が噛み付いてきました。私は、すごくラフな服装で、マフラーを首に巻いていました。いわく:「森下、マフラーを取って発表しないと卒業させんぞ!」それを受けて私:「解りましたよ、取ればいいんでしょう?こんな下らないところ、早く出たいや!」と投げやりに発表を始めました。そのH助教授とは浅からぬ縁がありました。アルバイトが忙しくなり、H助教授に「演習(必須)に出ている暇がありません」と申しでたことがあります。これは、かつて評論家の小林秀雄が「女と同棲しているので稼がなければならない。だから授業に出ている暇はありません」と辰野豊フランス文学科教授に申しでたのを真似たのですが、小林の場合、試験を課されて、その結果を見た辰野教授が「これくらい出来るなら授業に出なくてもよろしい」と言うことになったのですが、私の場合、試験は課されず、「とにかく、演習には出ろ」と言われたに止まりました。H助教授とは犬猿の仲だったのです。彼は都市工学科・衛生工学の本流に属する人でした。水処理の世界では良かれ悪しかれ有名な石橋多聞氏(故人)の子分の一人がH助教授です。石橋氏は厚生省(当時)に顔の利く人で、色々悪さをしています。一つ例を挙げると、岐阜県高山市上水道計画への関与のあり方です。高山市が水源として上流に廃坑がある地点を選定しました。鉱毒の恐れがあります。その計画書を見た石橋氏は、計画書を一読しただけで、すなわち実地を見ないで建設にゴーサインを出しました。不安に思った現地住民は、衛生工学の大学院生に助けを求めました。ここに、教授と院生の間で、前代未聞の戦争が起こりました。石橋氏は院生に吊るし上げを喰らいましたが、その際、就職の斡旋をしないなどの圧力を院生にかけて石橋氏を助けたのがH助教授です。以上の経緯は「公害原論(自主講座)」に詳しく載っています。私はそれを知っていたので、H助教授には敵意に近いものを持っていましたし、彼も同様でした。たまたま私の頃の就職担当がH助教授だったので、私は斡旋も断っていました。因みに、現在の都市工学科衛生工学は、この石橋―H助教授の人脈で固められています。碌な物ではありません。
 私は、目出度く卒業できました。教授会での一幕を中西助手が教えてくださいました。H助教授が私の卒業に異を唱え、「発表はすごかったが、まだ卒論の本文は半分も書いてない、と言う。こんな奴を卒業させられるか!」と言ったとのこと。その時、森村助教授が「いいかげんにしろ、H!卒論もまともに書かずに海外旅行に行く奴もいるのに、ちゃんと本文を書く、と言っているのだ。卒業させてやれ!」と一喝したそうです。コネで助教授になったH助教授とは違い、実力で助教授になった森村助教授の言葉は「鶴の一声」でした。誰も異を唱えなかったそうです。それに、森村助教授が都市計画の教官で、衛生工学のではなかったことも幸いしました。都市工学は都市計画と衛生工学で構成されているのは前に書いた通りです。卒業記念パーティーの時、森村助教授は「君はやるとは思っていたが、これほどやるとは思っていなかった。卒業後、何をやってもいいけど、活動の報告は聞かせてくれよ。」と話してくれました。私の仕事は、森村先生にも感銘を与えたのでした。私にとって、宇井助手や中西助手はあくまで宇井さん、中西さんです。森村助教授は、永遠に「森村先生」です。因みに、V教授は、私の卒論審査には出席なさいませんでした。


今日のひと言:わ、わびしい佐藤ゆかり

 (次回、次々回はマスコミ論です。お楽しみに!)

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