海洋と陸地――地政学への招待 その1
* 海洋と陸地――地政学への招待 その1
これから7回に渡って、(途中にインターミッションをはさみますが)地政学について書こうと思います。本来この文章は、高校生向けに、日本の来歴と現在を伝える教科書を作ろうと、友人と企画したものですが、路線の違いで決裂してしまい、私が書いた分をこの場で発表しようと考えました。では、第1回。対話形式で、設問もあります。教科書ですからね。
ある発想――アメリカ島国論A:僕は昨年2004年、ある発想を得た。それは、「アメリカ合衆国は、非常識に大きいとは言え、島国だ」ということだ。
B:おいおい、待てよ。南北アメリカが、大陸だというのは、小学生でも知っている常識だぜ。
A:もちろん、知っているよ。だが、僕は次のように考えたんだ。
① アメリカのピューリツアー賞受賞詩人のゲーリー・シュナイダーに「亀の島」という詩集があり、このなかで、現代のネイティブ・アメリカン(いわゆるインディアン)たちの間でアメリカ大陸を称してこの「亀の島」という言葉が広まっていると書かれている。
② 大陸の定義自体がかなりあいまいで、通常「オーストラリア」以上の広さの陸地を「大陸」と呼ぶとされる。でも、この定義は今言った通り、あいまいなので、もし「アフリカ」以上の広さの陸地を「大陸」と呼ぶと変えれば、南北アメリカは「大陸」ではないことになる。
③ 一般的なアメリカ人の気質。これはどう見ても、「島国根性」が濃厚に感じられる。
B:まあ、①、②については解からんでもないけど、③は納得いかないな。と、言う
より説明不足じゃないかな。
A:もっともだ。じゃあ、説明するね。大陸国家と島国の大きな違いは、他国との関係に求められる。フランスとドイツ、あるいは古代中国の呉と越のように、地続きの国同士は、しばしば「血で血を洗う」抗争を繰り広げて来た。そこへ行くと島国は、海によって隣国と隔てられているから、大陸国家ほどの凄惨なシチュエーションには遭遇しにくい。だから「井の中の蛙(かわず)」の意識を持ちやすい。
B:でも、アメリカ合衆国だって、地続きの隣国があるよ。
A:そう。でも、カナダは友好国だし、メキシコとは力の差がありすぎて、とても「血で血を洗う」状況にはならない。南北アメリカ大陸において、アメリカ合衆国にはライバルはいない。だからこそアメリカ合衆国はその意識の延長の上で「世界の警察官」を自任するのだし、勝手に「イラク戦争」を引き起こすし、最近の話題では、2004年のアメリカ大統領選挙で、他国の情勢に敏感な沿海諸州は民主党のケリーが抑えたが、他国のことを考える必要の乏しい内陸諸州は共和党のブッシュが抑えた。むしろ、大陸の大陸である由縁の広い国土が「島国根性」を醸成しているんだね。他国を切実に意識しないで済むからさ。そうそう、高々アメリカ国内のプロ野球一位を決める一連のゲームのことを「World series(ワールドシリーズ)」と呼ぶことなんかも、そんな意識の産物だと思えるな。アメリカ一国で、どこがワールドと言えるのか。
B:なるほど、君のいいたいことは解かったよ。
A:でも、残念ながら、ほぼ同じような論説(アメリカ島国論)が2004年の(確か朝日新聞に)ヨーロッパの女性社会学者によって書かれていて、「ああ、先を越された!」と思ったものさ。ところが、以上の議論は、「地政学」では、別に目新しいことではなく、むしろ前提だと理解したときには、「ああ、僕も井の中の蛙だな」と思ったね。この項は、アメリカの軍人、地政学者のA.T.マハンの言葉で締めくくろう。「どんな国家も、大陸国家であると同時に、海洋国家であることはできない。」 (今回は、設問なしでした。)
今日のひと言:姉歯一級建築士たちの引き起こした「耐震強度偽装問題」には、テレビ業界にも重大な責任がある。トレンディードラマなどで映し出された「マンションのだだっ広い部屋」。
そこに住むライフスタイルに憧れて、欠陥マンションに入居した人も多いだろう。