虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

日本の世界史的役割

 極東の小さな国、日本が世界史上に果たしてきた役割について考えてみます。まずは日本は国家建設当初から、中国大陸・朝鮮半島と抜き差しならない関係がありました。白村江の戦い(はくすきのえのたたかい:663年)に敗れ、朝鮮半島に根城を失うあたりから、むしろ日本の独自性が生まれるようになったと考えます。


 それ以降、中国大陸と朝鮮半島は「遣隋使」「遣唐使」など、進んだ文化を取り入れるための教師だったのだと思います。ただ、草原民族の「元」が仕掛けてきた戦争・・・元寇(1274,1281年の2回)で流れが変わったと思います。戦争という意味では、日本の武士が「神風」を天佑としながらも、辛くも元と高麗の軍を押し返し、当たるところ敵なしだった元の、東方への領土拡張を防いだのです。


 そして、探検家マルコ・ポーロ(1254−1324)が元での日本の評判を聞き「東方見聞録」を著し、「ジパングという黄金の国が存在する」と書いたのを切っ掛けにして、ヨーロッパ人がジパングを目指し、大洋に進出し、南北アメリカ大陸を「発見」し、原住民を迫害・殺害しつつ富の略奪に勤めたのでした。これは、日本が世界史的な役割を持った最初の例だと思います。


 そして、日本は織田信長のころ、当時最新の鉄砲(火縄銃)が渡来し、珍しいもの好きの信長は、これと一緒にキリシタンも受け入れましたが、彼の跡を継いだ豊臣秀吉は、キリシタンを迫害し、最新の鉄砲の技術も込みで、朝鮮半島に殴りこみをかけます。いわゆる「唐入り」で、中国大陸への侵略が目的でした。(1592−1598:断続的)この事実は、いまでも朝鮮民族には不評ですね。怨嗟のひとつです。


 そして徳川家康から始まる江戸幕府幕藩体制では「鎖国」(1639−1854)を旨とし、「新奇なもの、新しい技術の開発」を禁止しました。それで260年にも及ぶ平安を享受したのですが、ペリーが浦賀に4隻の黒船でやってきて、むりやり国交を結ばされるようになって、尊王攘夷の運動が巻き起こります。戦国時代だったら世界最新の軍事技術だったのに、260年も経てば時代遅れになってしまうのも当然なのでした。・・・「ガラケー」のようなものか。


 多くの日本人が自らの文明・文化に自信をなくし、培ってきた文化をヨーロッパに流出させたとき、ヨーロッパの具眼の士には、日本の庶民の風俗を描いた「浮世絵」が持て囃され、中でも葛飾北斎の「神奈川沖波裏」がレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」に匹敵する絵であるとの評価を受けたのは、大変皮肉な現象で、浮世絵は近・現代西欧美術に大きな影響を与えています。これも世界史的な出来事であると見てよいでしょう。


 それから、「日露戦争」(1904−1905)・・・朝鮮半島・中国大陸の覇権を巡って日本とロシアが争った戦争ですが、この戦争は、これら地域のみの問題であるに限らず、常に南進を企図するロシアが、クリミア戦争(1853−1856)でイギリス・フランス連合軍に敗れた後、東方の「不凍港」を目指した必然の戦争だったのです。また、有色人種が白色人種に勝利した初の戦争であったのも、特筆すべきです。ロシアに苛められていたトルコが東郷平八郎の名を取り「トーゴービール」を今でも飲んでいるのですね。


 もう一点、戦争遂行のための資材として、銅(金属の、Cu)が必要だった・・・その銅は足尾銅山の製品に頼っていました。もちろん、この銅山は、足尾鉱毒事件を引き起こし、足尾山地渡良瀬川流域に大きな環境問題・・・鉱害、つまりは公害の世界的規模での先駆けとなってしまったのですね。


 最後に「第二次世界大戦15年戦争が正式な学術用語」・・・「大東亜共栄圏」というスローガンの是非は置いておいて、戦後それまで植民地だった国々が次々と独立するという流れが生じました(バンドン会議:1955)。これは、数年間だけだったとは言え、日本が欧米列国を蹂躙し、原住民たちが、「なあんだ、西欧諸国も大したことないではないか」と考えることができたことが、日本の功績になるのでしょうね。日本はそういった意図ではなかったとは思いますが。



今日のひと言:そんなわけで、日本人に関する隠微なジョークを、ヨーロッパ人は好みます。植民地を失った口惜しさをジョークに込めるのだそう。・・・こう見てくると、日本が世界史において演じた役割の多くは、「戦争がらみ」だったような気がします。


なお、科学の分野で見てみると、日本人医学者の業績が光っているようです。北里柴三郎(1853−1931)の研究・・・破傷風ジフテリアの血清療法、ペスト菌の発見など、多彩です。ノーベル賞は(おそらく人種差別のため)取れませんでしたが、立派な学者でした。世界的ですね。また、最近の業績では、iPS細胞の創出者、山中伸弥京都大学教授の仕事は、ワールドワイドになりそうです。


追加として、1995年、オウム真理教が起こした「地下鉄サリン事件」は、カルト教団武装して国家転覆を狙った事件として、世界史の教科書にも載るでしょうね。


ただ、広島・長崎・福島と、3度の被爆体験を重ねてきたのに、いまだ脱原発できない日本は、破滅への近道を世界に先駆けて実践するでしょう。これも世界史的な出来事になると思います。


日露戦争と世界史に登場した日本

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バンドン会議と日本のアジア復帰―アメリカとアジアの狭間で

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北里柴三郎の生涯―第1回ノーベル賞候補

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今日の料理


@切干大根の炒め煮+クコの実



大根を細切りにして乾燥したのが切干大根。私が今回使ったのはニンジンを細切りしたものも入っていました。ただ、ニンジンに含まれる酵素で、大根の持つビタミンCを破壊することもありますので、混ぜて良いのか否か解らんですね。クコの実も一緒に水につけふやかし、ゴマ油で炒めたあと醤油、砂糖を加え6,7分ほど加熱し、仕上げにユズの皮も入れました。

 (2013.12.27)




今日の一首



紙すきを
せずして コウゾ
大木に


伐るべき木を
ためつすがめつ



コウゾ(楮)は和紙の原料。春が来る前には伐採しようと思います。写真は2階ベランダから見たコウゾ。

 (2013.12.27)




2013年の本ブログはこれで終わりです。皆様、良いお年を!