虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

ライプニッツとモナド論〜〜哲学は難しい

ライプニッツwiki)→

 
 ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646−1716)は万能の天才と言われます。彼のIQ(知能指数)は200を超えていたという説もあり、自然科学(中でも数学)、哲学、神学、技術の各分野で卓越した業績を残しています。また、政治家、外交官でもありました。


数学について言えば、(時期はちょっと後だったけど)微分積分アイザックニュートンとは独立に発案し、ニュートンの記法より便利だったため、今では彼の微分積分記法が採用されています。また中国の易経の原理を洞察し、2進法を発案したり(これはコンピュータの時代に採用されました)、多元連立一次方程式を「一括して」処理するため、行列行列式を着想し、それだけでなく数学者の負担を軽減するため自動計算機も発明しています。


・・・以上のように、数学の分野での業績は、優れた数学者数人分のものがあり、それは空恐ろしいほどです。巷間、人類史に残る3大数学者として、アルキメデスニュートンガウスが挙げられますが、私としてはニュートンよりライプニッツを挙げたい気がします。現代日本の大学入試の数学で、受験生を悩ませる諸問題は、実にライプニッツLeibniz)に起源をもつことが多いのです。


 それでは、哲学の分野ではどうか、というと、「モナド論」というものを彼は残しています。
ただ、哲学という分野は極めて難解で、とくにモナド論は難しい気がします。それならなぜライプニッツの哲学を取り上げるのかといえば、やはり超・卓越した数学者だった彼のありさまについて一瞥したかったからです。今回のブログはそういった私の趣味に合わせたもので、難しかったらゴメンなさい。

モナドライプニッツの案出した存在を説明するための概念である。ギリシア語モナス(個、単一)に由来する。単子と翻訳される場合もある。


モナドはこれ以上分割できない究極の個体という原子論的側面だけでなく、可能的な述語をすべてその概念に含むものとしての主語と言う論理学的な側面、精神の神学的・形而上学的なモデルという側面を併せ持つ。


ライプニッツは、現実に存在するものをそれを構成しているものへと分析していくといつかはそれ以上分割できない(部分を持たない)非延長的な実体に到達するに違いないと考えた。これがモナドである。ライプニッツによれば、モナドは構成されたものではなく、部分を持たない、厳密に単純な実体であるが、にもかかわらず属性として状態を持つ。属性を持たなければすべてのモナドは区別できず、複数のモナドがあるとはいえなくなるからである(不可識別者同一)。このとき、或る状態から別の状態への変化の傾向性を欲求という。


この「状態」は他のすべてのモナドの状態を反映する。すなわち、究極的には無数のモナドから、そしてただそれだけからなる現実世界全体の状態(ということはすべてのモナドの状態)に、個別のモナドの「状態」は対応する。これがモナドの持つ「表象・知覚」能力である(モナドは鏡である)。しかしモナドは部分を持たない厳密に単純な実体であるから、複合的なもの同士が関係するような意味で「関係」することはできず、厳密に相互に独立している(モナドには窓がない)。


したがってこの表象能力、他のモナドの状態との対応は、モナドの定義からいって不可能であるところの外的な「相互関係」によるものではなく、ちょうど、あらかじめ時刻を合わせた二つの時計のような意味での、神の創造の時点で予定・調整された「調和」である(予定調和)。モナドの状態の変化は、可能性としてそのモナド自身が有しているものの展開であり、厳密にそのモナドの先行状態にのみ由来する。

Wikipediaより


 うーーん、正直言って、私にはここで触れられていることが、(日本語の文字列として読めるけども)ストンと腑に落ちません。哲学の場合、哲学者の言葉の半分は、読者にとっては哲学的内容を説明する言葉になっているのですが、これがムズカシイのです。だからそのような説明的言辞が理解できないと、その哲学者の言葉全体が解らなくなるような気がします。


ただ、ライプニッツは、デカルト流の二元論には組みせず、やや東洋的とも言える一元論の論者だったそう。(これもいまひとつ意味が解らんですね。ただ、彼が研究した易経は、一見二元論に見えますが、じつは一元論です。)「要するに、モナドとは魂に類比的に捉えられる存在者なのである。」(これもwikipediaの記述より。)とあります。いわゆる自然科学にいう「原子」という狭い意味ではないのですね。この記述なら、なんだか解る気がします。英語でいう「individual」の語源はラテン語の「分割できない」から来ていて、「個人」という意味も併せ持ちます。その個人個人の魂をモナドというのでしょうか?


 なお、私は図書館からライプニッツの評伝の本を複数借りましたが、「モナド論」については真正面から取り上げられておらず、wikipediaの解説のほうが幾分か解りやすかったです。


そして、ライプニッツの哲学は、西欧の哲学の主流にはなりませんでした。
私の知人で、数年前亡くなられた哲学者・小阪修平さんは、難解な哲学を「わかりやすく」解説してくれる素晴らしい方でした。たとえば、サルトル実存主義というものはだいたい原稿用紙2枚くらいにつづめて解釈してくれそうですが、ライプニッツの場合はそうも行かない気がします。


今日のひと言:「予定調和」という言葉は現在では、ネガティヴな言葉であるような気がします。ニーチェが「神は死んだ」と発言したあとの現代の中では、あまりに楽天的に過ぎる気がします。「予定調和」をしてくれる神は、もういないのかも知れないのですから。量子力学の範囲でも、先行条件が今の状態を規定する、とは言っておらず、測定をしないと現状は解らず、測定すると現状は変わる(不確定性原理)・・・と言った具合です。(未来は予知できない。もしすべての法則を知っていて、原初の状態を知り得る者は、未来を予測できる・・・いわゆる「ラプラスの魔」はいないのですから。このことを量子力学は主張しているのです。)


なお、フォン・ドマルスの原理を取り上げてみると、この原理は「実に個人に最大限可能な自由を与える原理または法則である。少なくともわれわれのアリストテレス的知性にとっては、そうみえる。一つの主語は無数の述語をもつことができる。したがって、その個人の特性に応じて、同一視させる述語が自由に選ばれる。」(「精神分裂病の解釈」:アリエティ・535―536P)とあり、幾分かモナド論に近い気がします。


参考過去ログ

http://d.hatena.ne.jp/iirei/20111206 

 「フォン・ドマルスの原理」とアリストテレス論理学

ライプニッツ 普遍数学への旅 (双書―大数学者の数学)

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一知半解  鉄槌を下す