『ニジンスキーの手記』:天才バレエダンサーの悲劇
私が大学生初期のころ、『ニジンスキーの手記』を読み、興味深く読了したのを覚えています。そのときの本は今では入手困難ですが、代わりに鈴木晶さんの「完全版:新書舘」が読めるのでなかなか重宝です。
ニジンスキーにとっての転機は セルゲイ・ディアギレフとの出会いであった。二人は深い親交を結び(同性愛の関係だった)、ディアギレフはニジンスキーの活動に大きく関与するようになった。 1909年、ディアギレフはマリインスキー劇場を出たニジンスキーとアンナ・パヴロワ、振付師のミハイル・フォーキンらと共にパリでバレエ・リュスを旗揚げした。公演は各地で大成功を収め、ヨーロッパの芸術界の中でディアギレフの名は揺るぎないものになった。
(中略)
1913年、バレエ・リュスは南米公演を行うが、航海が嫌いだったディアギレフは参加しなかった。ツアーの途中で、ニジンスキーはハンガリー人のバレリーナでニジンスキーのファンだったロモラ・デ・プルスキと恋に落ち、ブエノスアイレスで結婚式を挙げた。その知らせを聞いたディアギレフは激怒し、間もなく二人を解雇してしまう。ニジンスキーは新たにバレエ団を旗揚げするが、ニジンスキーには興行師としての才能が無かったのが災いして結局失敗に終わり、多くの心労を背負い込むことになる。
(中略)1916年、ディアギレフはバレエ・リュスの北米ツアーのために再びニジンスキーを呼び戻し、ニジンスキーは『ティル・オイレンシュピーゲル』を振付けて上演した。しかしこのころになると次第に統合失調症の兆候が現れ始め、仲間たちを恐れて部屋に閉じこもるようになった。これが二人の最後の出会いであった。
このように、ニジンスキー(1890-1950)に悪気はないのに、どんどん底なし沼に引きずりこまれる様は悲劇的です。『ニジンスキーの手記』は、最後の公演のあと、精神病院に入院するまでの6週間で書かれました。彼は統合失調症、社会的生活を送るのに実に難儀な病気を発症してしまったのです。この本から、印象に残る記述を拾い上げてみます。
@対句が多い。
“私は四角い舞台はきらいだ。丸い舞台が好きだ。” (80P)
対句は、詩人が良く使う表現ですが、これは、裏返して「狂気」を幾分か含んだものです。実際、多少の狂気なくして、詩は書けません。この経緯は、多分バレエを含め大部分の芸術で見られるものだと思います。
@“私が書いていることは、すべて人類に欠かせない教えである。” (90P)
誇大妄想です。
@フォン・ドマルスの原理が適用できる。
“私はキリストである。私は人びとを助けるだろう。” (81P)
キリストは人を助ける、私は人を助ける、同じ行為をするからキリスト=ニジンスキーとしているのです。主語より動詞によって、人を見分ける、あるいは同一視するという解釈、このように統合失調症患者特有の判断をしているわけで、このような世界認識法をフォン・ドマルスの原理といいます。(過去ログでも触れています。)
:陰陽五行論とフォン・ドマルスの原理:神話と統合失調症
@政治家に、異常に関心が高い。
イギリスのロイド=ジョージ、フランスのクレマンソー、アメリカのウィルソンなどについてしばしば語られる。とくにロイド=ジョージについては、328Pから331Pまで執拗にマイナス評価の記述が見られる。
@繰り返しの多い詩。頭脳が錯乱していると思われます(189P―196Pなど)。
こんなことも言っています。
“性欲は欲しくない、精子は欲しい” 240P (矛盾)
“私は彼に、神の命令で書くのは、神経が疲れないということを証明したかったのだ。”
(298P)
今日のひと言:ニジンスキーというバレエダンサーはいわば「彗星のように現れ、流星のように消えていった」天才だと思います。残念ながら彼の舞台の映像は残されていないので、その姿を見ることは出来ません。せめて、物議を醸したという彼の「牧神の午後への前奏曲」は観てみたいですね。ちなみに、エッセイスト:群ようこさんの『鞄に本だけ詰め込んで』で、ニジンスキーのことが取り上げられていましたが、2版以降は、その部分は削除されていました。精神病患者を取りあげることを、出版社は自主規制したのでしょうか?判然としません。でも、ニジンスキーという天才が忘れ去られてしまうのは必至です。・・・あの才能が、もったいない。
:牧神の午後への前奏曲(舞踊付き)
- 作者:ヴァーツラフ・ニジンスキー,Vaslav Nijinski
- 発売日: 1998/06/25
- メディア: 単行本
バレエ・リュス ニジンスキーとディアギレフ (フィールコミックス)
- 作者:桜沢エリカ
- 発売日: 2017/10/07
- メディア: コミック
今日の一品
@五色オジヤ
学校給食のパンを作っている、弟が勤めるパン屋では、パンのほかにもご飯を作っているので、現物支給としてパンやご飯が従業員に供給されることがあります。それで昨日の夕飯にはそのご飯を食べましたが、余ったので、私は昼食用にオジヤにしました。具は黒キクラゲ、クコの実、小松菜、卵を入れて、白いご飯とあわせ、五色オジヤとしたわけです。
(2020.11.22)
@深川鍋
弟作。アサリとネギを入れればもう深川鍋ですが、卵、カニカマ、セリ(庭に群生している)などで卵とじ風に。タレは昆布汁、醤油、蜂蜜。
(2020.11.22)
@納豆+山椒の実(佃煮)
山椒の実は、とっても辛く、何年か前に作っていても、なかなか食べ終わらないのですが(逆に言うと腐りもしない)、納豆と混ぜると、食が進むことを最近発見しました。
(2020.11.24)
@ホウレンソウのクミン炒め
クミンは、ホールの種を用い、カレー独特な風味を醸し出すスパイスですが、これをホウレンソウと炒めてみました。油を敷いたフライパンにクミンシードを入れて香りを出し(スタータースパイス)、赤い根の部分を2つ切りにしたものをまず入れて炒め、葉の部分を加え、スリごま、カツオ節、食卓塩で味を整えました。まずまずの出来。
(2020.11.25)
今日の五句
木枯らしに
吹かれダンスす
銀杏の葉
黄色な乱舞。
(2020.11.21)
梅が枝に
雀群れ居る
昼下がり
(2020.11.22)
生命を
一切拒む
水路かな
(2020.11.22)
赤黄色
彩り残る
暖かさ
(2020.11.22)
敦くん
見てきたような
嘘をつき
小説家:中島敦の遺作『李陵』で、『史記』の著者:司馬遷が歴史の一場面を「異常な五感」で、まるでその場に司馬遷が居合わせたかのように記述していたと、中島が述べるのを読んで、「中島自身も同じような五感をしていた」、と、私は感じたものです。
(2020.11.24)
- 作者:敦, 中島
- メディア: 文庫
写真集(1枚だけ・・・)
謎の花木(これ、な~~んだ?)
☆☆過去ログから厳選し、英語版のブログを始めました。☆☆
“Diamond cut Diamond--Ultra-Vival”
https://iirei.hatenadiary.com/
ダイアモンドのほうは、週一回、水曜日か木曜日に更新します。
英語版ブログには、末尾に日本語ブログも付記します。記事は
虚虚実実――ウルトラバイバルとはダブりませんので、こぞって
お越しを。