自動車とその所有者の横暴:優遇され過ぎだ!(随想録―72)
自動車とその所有者の横暴:優遇され過ぎだ!(随想録―72)
2022年、大晦日、HNKで朝放送されていた「世界街歩き」を見ていたら、お決まりのウクライナ特集だったが、その首都キーウ(ウクライナ戦争以前の2019年の放送の再放送だったので、キエフと呼ばれていた)の街角の有様が種々映し出されていた。街を埋め尽くす人々、ひまわりの販売、ギリシャ正教のモンゴル侵攻以来の青く美しい教会、ロシアではなくウクライナこそが本場のスープ:ボルシチ・・・いろいろある中で、私は道路に目が行った。
広く、何車線もある自動車道、それにも増して歩道が広い!!これは日本ではなかなか考えられないことだ。私が住む地方都市では、自動車道が幅を利かせていて、歩道と自転車道合わせても、人がすれ違うのがやっとの道が「申し訳にも」ならない程度についているだけの、アブナイ道も実在し、私もたまにそこを通らなければならないことがある。
(狭すぎる歩道)
日本の都市計画というのはいい加減だから、そういった道はあちこちにあるだろう。その意味で、ウクライナの人はちゃんと都市計画というものを知っているらしい。『自動車の社会的費用』を書いた計量経済学者:宇沢弘文さん(東大名誉教授:故人)は、上に書いたように、日本における、「自動車優遇、人間軽視」の風潮には大いに憤慨し、それが経済学的に見た自動車の問題点を抉る著作に結実したのであろう。
だれのための技術か、日本では、人ひとりより、国の全体的な利益を優先するのだろう。道路も、それを反映して作られる。しかも、より正確に言えば、「特定の個人、集団の利益」を優先していることになる。
より、微視的に言うと、自動車の所有者は「自分のプライド」をその機械に懸けている。たまたま私が停車中の車に自転車で接触しようものなら、(とくに自動車の中に所有者がいた場合)烈火の如く怒り出し、やれ「弁償しろ!」だの「お前酔っ払いか?」とかの罵声を浴びさせられることが多いので、自動車からはなるべく離れたところに自転車を置くか、店舗に歩いていくことにしている。このような人たちは、自動車という機械を自分そのものと考えているのだな。実感的には、「ほとんどの」自動車保有者がこれに該当する。
でも、そういった所有者に限って、自分が自動車事故を起こした際には、大破しなければ、逃げると、相場が決まっている。自動車保有者に災いあれ。
(2022.12.31)
今日の7句
小菊なり
この寒さにて
咲き誇る
(2022.12.16)
百日紅
ユニークな肌
全開に
(2022.12.16)
寒くても
常緑なるや
木蔦かな
(2022.12.16)
冬になお
新芽の生える
名無しの木
(2022.12.17)
掃き溜めに
征服されたる
キャベツかな
キャベツ畑をハキダメギクが占拠したまま冬になりました。
(2022.12.17)
色はある
されど無彩の
林かな
(2022.12.17)
葉は落ちて
実のみぞ残る
フォックスフェイス
ナス科の鑑賞用植物。
(2022.12.17)