虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

志賀直哉作品とドラマツルギー:葛藤の要素に欠ける短編

小説の神様」と呼ばれる志賀直哉、彼の作品を今回4編読んでみました。「神様」という大仰な表現は作品「小僧の神様」から来ているようです。


「城の崎にて」。これは志賀が山の手線に轢かれかけて九死に一生を得たあと、脊椎カリエスになる恐れを抱きつつ、山陰地方の城の崎温泉(きのさきおんせん)に湯治に来た際に書いた作品で、高校生の頃現代国語の授業で読んだことがあり、再読でした。この作品の場合、湯治場の山河の様子が、まるで写真を撮って切り取るような視線で描かれているのが印象的でした。ただこの作品は完全なる「一人称小説」で、個人的な体験を綴っていても、さほどドラマツルギーを感じないのです。ドラマツルギー・・・作品における葛藤の要素、という具合に私は認識していますが、それが希薄なのです。梶井基次郎は、「城の崎にて」をモデルにして、彼なりの一人称小説、たとえば「闇の絵巻」を書きましたが、こちらにはドラマツルギーが横溢していて、いわば「出藍の誉れ」であるかのようです。


「焚火」(たきび)。赤城山の大沼らしき場所で繰り広げられる男女数人のとりとめもない会話。この作品にはドラマツルギーが完全に無いように感じました。この作品も中学校時代だったか、教科書とか副教本に収録されていたように思いますが、このような作品に、「見るべき」ところはありません。以上2作品、読んだ本は「志賀直哉短編集」岩波書店阿川弘之 解説ですが、見開きに以下のような言葉があります:「文章修練のために志賀直哉の作品を一字一字原稿用紙に書き写したことがあると、少なからぬ作家が洩らしている。」・・・まあ、成果としてスナップ写真くらいは得られることはあるでしょうね。でも、それでは独創的な小説は書けますまい。十中八九、志賀の単なる模倣者に終わると言えましょう。


ここで、このドラマツルギーについて、解説を引用しますと

dramaturgy(英語)
Dramaturgie (ドイツ語)

辞書的な意味では、ドラマの製作手法。作劇論。演劇論。
起承転結の、メリハリの付け方から、細かな人物設定にいたるまで。
その方策。テキスト・レベルでの、既なる演出。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1019399315


清兵衛と瓢箪」。これについては、id:wattoさんから、私の過去ログに投稿されたコメントがありますので、挙げてみます。

志賀直哉の短編『清兵衛と瓢箪』が本文、コメントで未出のようなので。
この瓢箪は文学の暗喩と言われます。

http://d.hatena.ne.jp/iirei/20161021#1476975973


なかなか示唆的なコメントなので、この作品も読んでみました。ただ、私にはwattoさんのいう「文学の暗喩」ということは読取れず、主人公の清兵衛の趣味が、大人たちの干渉によって、瓢箪(ひょうたん)集めから絵を描くことに変わっていた過程は読取れ、幾分かドラマツルギーがあるな、と思えました。


最後に「クローディアスの日記」。このクローディアスというのはシェイクスピアの悲劇「ハムレット」に出て来るハムレットの叔父で、ハムレットには、クローディアスの兄で毒殺されたという元国王が、ハムレットの前に亡霊として現われ、自分を毒殺したのは、クローディアスであり、仇を殺せと命じるのです。


でも、クローディアスにはそんなことをした覚えがなく、おかしな言動を取るようになったハムレットに、嫌悪感を抱いて、書いた日記なのですね。私はよほどのドラマツルギーがあるかと期待したのですが、クローディアスはあくまでモノローグで日記を書いており、さほどドラマツルギーを感じませんでした。一人称小説変化球だと思われます。仇役から物語を見直すという著者の意図なのでしょうが、不発に終わっていると思います。以上2作は「清兵衛と瓢箪・網走まで」(新潮文庫)を読んで書きました。以上、私が読んだ4作品においては、志賀直哉作品はドラマツルギーが希薄だという結論になります。


志賀直哉の評価(wikipedia 「志賀直哉」から)


白樺派の作家であるが、作品には自然主義の影響も指摘される。無駄のない文章は、小説文体の理想のひとつと見なされ評価が高い。そのため作品は文章練達のために、模写の題材にされることもある。芥川龍之介は、志賀の小説を高く評価し自分の創作上の理想と呼んだ。当時の文学青年から崇拝され、代表作「小僧の神様」にかけて「小説の神様」に擬せられていたが、太宰治の小説『津軽』の中で批判を受け、立腹し座談会の席上で太宰を激しく攻撃、これに対して太宰も連載評論『如是我聞』を書き、志賀に反撃したことがある。

(中略)

日本語を廃止してフランス語を公用語にすべしと説いたこともしばしば批判されている。批判者の代表として丸谷才一三島由紀夫を挙げることができる。これに対して蓮實重彦は、『反=日本語論』や『表層批評宣言』などにおいて、志賀を擁護した。



今日のひと言:なお、志賀直哉は、ハンセン氏病北條民雄を極度に嫌い、北條の書いた小説、印刷された文章でも一切触らなかったとの逸話もあります。いっぽう、作家の川端康成とか評論家の小林秀雄とかは北條をおおいに評価していて、北條のためにいろいろ骨を折っていたそうです。この違いは大きいです。非寛容な神様もあったものです。


http://d.hatena.ne.jp/iirei/20170418#1492501696

  :北條民雄の「いのちの初夜」:ハンセン氏病患者の慟哭


もっとも、志賀直哉には、世評の高い長編「暗夜行路」があり、それも読破してこその志賀評なのでしょうが、長編の嫌いな私は恐らく、読まないでしょうから、あくまで評価は短編についてになります。あしからず。でも短編といえど、作家の才能の有り方は十分算定できると思います。



小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)

小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫)

暗夜行路 (新潮文庫)

暗夜行路 (新潮文庫)

清兵衛と瓢箪・網走まで (新潮文庫)

清兵衛と瓢箪・網走まで (新潮文庫)

和解 (新潮文庫)

和解 (新潮文庫)




今日の一品


@蕗の煮物



今年もいよいよ蕗、筍の季節がやってきました。手始めに、いまだ柔らかい蕗を庭から摘んできて、草木灰で軽く煮た後、放冷し、灰を洗い流し、砂糖、醤油で煮込みました。

 (2017.04.17)



ヒラタケのアヒージョ



キノコ、エビなどの材料を、ニンニク、唐辛子の風味を引き出したオリーブ・オイルで炒めることで出来るスペイン発の簡単料理。今日は長野県の「霜振りひらたけ」(商品名)を使って作りました。なお、ヒラタケと言う言葉に馴染みのない人もいるでしょうが、これは普通「シメジ」の名で流通する「まがい物」です。もっとも、キノコとしての味は良いので、目くじら立てることもありませんが。このキノコについては、今昔物語に一篇の作品が残されています。

 (2017.04.19)



@シラタキの煮物山椒風味



弟作。冬の鍋の名脇役・シラタキを主役に据えました。結束タイプのシラタキ、水を張り、アゴ出汁、醤油、コチュジャンで煮込み、最後に山椒の葉を散らしました。山椒の風味が際立っていましたが、この料理はほかの香辛料にも適用できるかも。

 (2017.04.20)



コンフリー花穂のバター炒め


コンフリーも有用なハーブです。栄養満点で、植物としては珍しくビタミンB12を含みます。(他にはアシタバもそうです)ただ毒物:ピロリジジン・アルカロイドも含むので、この春の季節に2、3回ほど食べるくらいで良いと思います。今回はツボミを付けて薹立ちしてきた花穂を摘み、バター、塩で炒めました。仕上げにアクセントとしてラー油を少々。


http://d.hatena.ne.jp/iirei/20170325#1490423474

  :多くの植物が含む毒:ピロリジジン・アルカロイド
 (2017.04.21)



@タケノコと高野豆腐の煮物



タケノコの前処理は、通常のように。刻んだタケノコを水を張った鍋に入れ、砂糖、醤油、昆布出汁を入れて煮て、程々なところで高野豆腐を入れてもう少し煮、最後に山椒の葉を散らして一品完成。なお、タケノコにはシュウ酸が含まれ、通常は昆布を入れてマスクしますが、今回はなかったので、同じ効果が期待できそうな高野豆腐にしました。これに含まれるカルシウムがシュウ酸と反応して無害化するのです。

 (2017.04.22)




今日の2句


一面に
雪の振りたる
大根(おおね)花


大根(だいこん)の純白な花を愛で。
 (2017.04.21)




はなしのぶ
大地の桜
賑やかに


「はなしのぶ」は芝桜の属する科名。サクラと書くと、同じ文字が重なるので言い換えました。

 (2017.04.21)